滋賀県で最も広い市域を誇るのが、琵琶湖の西側に接する高島市だ。関西および北陸との交通の要衝として栄え、古くはその地名が『日本書紀』にも登場しているほど、長く人々が住み継いできた。
そんな歴史的な街がいま“消滅可能性都市”の危機に瀕しているという。消滅可能性都市とは、将来的に消滅の可能性がある自治体の意味。これを指定した一般社団法人人口戦略会議によれば、将来推計人口のデータに基づき分析した結果ということだ(2024年4月発表)。

人口推移の一点から見れば、たしかにそのような可能性も否定できないのだろう。しかし実際に高島市に足を運び、街のなかへ分け入った身からすると正直、ピンとこない話だ。というのも、出会う人、出会う人が、未来に目を向けて精力的に活動している人ばかりだったから。
「個々でユニークな活動をしている人は多いんです。ただし、ひとつの線、あるいは面での高島のイメージとしては訴求されていないと感じています」
そう語るのは、スポーツ塾とフリースクールを運営するNPO法人TSCの創業者、北川わたるさん。まさに北川さん自身が、未来を向いてポジティブに、故郷の高島市をよりよい街にすべく活動している人だ。

たとえば10万人都市であれば1000社というように、法人組織率というのはだいたい人口に対して1/100くらいが平均値らしい。
「でも高島市は、人口4.5万人に対して会社が660社ほどもあり、県内でもぶっちぎりで多い。ファミリービジネスが盛んなのも特徴です」
今回、北川さんに紹介された4人も、同じ農業という生業にありながら、それぞれに異なるアプローチで高島の将来を見据えている人たちだった。
安曇川町にある「グリーン藤栄」の梅村光さんは、父親が始めた環境再生型農業を引き継いでいるだけでなく、自家栽培の食材を加工品にして販売したり、それらの商品を扱うカフェを経営したりと、農業を軸に多角展開している。
もともとものづくりが好きだった梅村さんは、東京のアパレルメーカーで働いたのち、30歳になる前に「特にその後の予定も決めずに」実家に戻ってきた。そこで家族の農作業を手伝い、田植えから稲刈り、加工品に仕上げるまでの一連のサイクルをやり遂げたとき、この究極ともいえるものづくりに開眼してしまったのだった。
「家業に入る前は、企業でいわばネジの1本として働いていました。でもいまは、原料から加工、販売と、最初から最後まですべて自分たちで手がけている。この達成感は、他に代えられないものがあります」



19世帯38人が暮らす在原には、福井朝登さんがいる。設計事務所に勤めていた大阪から21年前に移住、なんと7年もの間、テント生活をしながら自力で古民家を再生した。それだけ歳月がかかったのは、茅葺の茅を採取するところから始めたからだ。
「大阪の事務所で設計図を引いているうちに、自分の家は自分で建てたいと思うようになりまして。それなら自分で設計事務所をやったろかいと思ったけど、もし仕事がなくても、食べ物くらい自分でつくっとけば死なないかな、と。それで田舎に来てみたんです」
いまは米農家として、また中学校の教諭として働くほか、移住希望者には家の改修法を伝授したり(『空き家改修の教科書』という著書もある)、廃校になった分校の活用や、川の水を使って地域での自家発電などを試みたりしている。
「行政的には、(人里離れたこの山間から)下に降りて、みんなと暮らしいなあってところなんだろうけど。でも、自分たちで何か生み出せるものがあるんやったら、可能性は追求していきたい」



新旭町針江の「のんきぃふぁーむ」の石津大輔さんはもともと、米農家である父親の仕事にはまったく興味がなかった。
「高校生くらいになると、色気づくでしょ? モテたいじゃないですか。当時は、長靴で泥のなかを歩くような仕事をかっこいいとは思えなかった」
大阪の服飾専門学校に通い、やがて古着屋をオープンし、海外に仕入れに行き、人々の多様な暮らしを垣間見る「楽しいけれど天邪鬼な」生活のなかで、「自分にとっての幸せとか、人間らしい生き方とは何かを考えるようになった」。そんな心境でたまたま実家に帰った折、父親がやっていたのがまさに人間らしい根源的な生業だということが、ようやく見えた。
「自分も、自分で食べ物をつくれる人間になりたい、と。それで、農業させてくださいと父に頼みました」
以来、人にも環境にもやさしい農業を営んできたが、最近では農業以外の活動にも注力している。地域で増え続ける空き家や空き倉庫を再生して、たとえば移住者に提供する、宿泊施設にする。はたまた、年長者の知恵を聞き取りして、記録として残す。針江の価値を掘り起こし、針江に還元する方法をあれこれと模索中だ。



今津町を拠点に「うねの農園」を営む釆野哲さんは、環境に負荷をかけない農に取り組みながらも、石津さんとはまた違ったタイプの農家だ。アメリカで農業経営を学んだのちに家業に入り、高齢などにより離農する近隣の人々の農地を次々と引き受けていった結果、現在76ヘクタールもの土地で米や大豆を栽培している。
「農地が荒れてくことに対して、最初はやっぱり感情的に対処している部分が多かったですよね。うちがやらへんかったら、どうなっていっちゃうの、と。それに、日本の農業に入る前にアメリカのそれを見てきていた影響で、効率的な大規模農業ができるものと思っていました」
でも、現実は違った。こと国内においては、大規模農業は簡単に運ばない。
「アメリカと違い、日本はひとつの農地が個人の所有物。だから所有者の違う農地同士をくっつけようと思っても境界や権利の問題があって、圃場が大きくなっていかない。田畑1枚がとにかく小さいので、機械を大型化したところで使えないし、能率も一向に改善されへん」
ICTや物価高、自動化、効率化を考慮し、自治体や県、ひいては国をあげて再区画しないことには、もはや限られた人材で土地を再生することなどできない。このままでは、耕作放棄地は増える一方だろう。
「何か根本的に大きいことをしないとあかん時期だと思います」
農作業をしながら釆野さんは日々、地元の農から、国内の農が抱える問題に視座を広げている。


この4人の農家のほか、冒頭の北川さんが旗振り役となって「高島 水から考える未来会議」が開催されたのは、この夏のこと。キーワードは「ウォーター・セントリックの実験地」。マザーレイクである琵琶湖のほとりの高島市で、人間第一ではなく、水に生かされる未来市民の生き方を探ろうとするものだ。自然を守るエネルギーの可能性や、未来の自治のあり方などを、多様な立場と視点からアイデアを出し合いながら考えていく。




それぞれの人が、すでに未来に向けて実験的な取り組みをしている。それを、この街自体を新しい社会実験の場として提示できたらいいのではないか。
「観光産業はローカルにとっては重要な収入源になります。その視点で考えると、高島が、未来視点をもった実験場所を見てみたいという人に注目されるような街になれたらいいな、と。国内外問わず、そんな人たちに向けて発信する町づくりができたら、“関係人口”も増えてくるのではと展望をもっています。地方創生が言われるようになって10年経ちましたが、個人や企業のプロジェクトベース、あるいは行政主導でランニングするタイプの事例ならともかく、地方創生の正解はまだ判明したとはいえない。高島を、全部が混ざった町ぐるみでの初の成功事例にしたいんです。今日集まった面々は、個々では十分暮らしは成り立っていて、べつに困っているわけではない。でも、街全体で見たときに、みんな立ち上がろうぜっていう空気があるんですよ」
点が集まり、線となり、面となる。そうなれば、消滅可能性都市はきっと、未来先進可能性都市になるだろう。









滋賀みらい構想プロジェクト
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