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Old Japanese Highway

『箱根八里』

歩いて旅する、日本の古道
「 天下の嶮 」箱根峠を越えて、水の都・三島まで

徳川家康が整備した東海道といえば、江戸時代の産業や文化を支えた大幹線のひとつ。今回は「箱根八里」と呼ばれ、日本遺産にも認定されている小田原〜三島間の約32kmを歩く。鬱蒼とした木立のなかの石畳、街道筋に残る関所や茶屋、一里塚‥‥‥。東海道のなかでもとりわけ旅人を苦しめ、「箱根の山は、天下の嶮 函谷關も ものならず」と唄にも歌われた箱根峠と周辺の道からは、往時の姿が鮮やかに蘇る。

03/30/2021

48歳踏みちがえたら千尋の谷! 天下の箱根越え

1601年、徳川家康は五街道と宿駅を制定した。そのひとつが東海道である。なかでも箱根路と呼ばれた小田原宿と三島宿間を結ぶ8里(32km)には、唱歌『箱根八里』で「天下の嶮」と詠まれた箱根山が控えることから、東海道一の難所と恐れられた。幕府はここを江戸防衛の要に据え、旅人たちの往来を支えるために日本一の規模を誇る石畳を敷き、茶屋や関所、並木を置いたのだ。

PAPERSKYの箱根八里の歩き旅はイギリス人のキャットをゲストに迎え、小田原城からスタートする。小田原は中世から北条氏の牙城として栄えたが、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡、戦国時代も終焉を迎えた。その後、領地は家康の配下に与えられ、江戸の防衛の拠点として幕末まで機能した。

一方、小田原宿の成立は1601年。東海道最大級の宿場町だ。東海道起点の日本橋から数えて9番目、距離にするとおよそ80kmあまりだが、厳しい箱根越えに備えてここに宿を求める旅人が多く、江戸時代後期には95もの旅籠があった。

小田原城の「難攻不落」を象徴する常盤木門

小田原では名物や銘菓の食べ歩きも楽しい。旅のおやつに600年の伝統を誇るういろうを買い求め、揚げたての蒲鉾でお腹を満たして出発する。途中、寄木細工の工房に立ち寄る。

さまざまな種類の樹木の断面を薄く剥いでモザイク模様に仕立て、家具や雑貨の化粧材とするこの細工は、19世紀後半、静岡から持ち込まれた技術だ。小田原宿と箱根宿の間に設けられた畑宿は特に寄木細工が有名だが、箱根では寄木細工以前から木工が盛んで、挽き物細工や象嵌細工を総称して箱根細工と呼ばれるようになった。ロシアのマトリョーシカは、箱根の入れ子細工にヒントを得て生まれたものだとか。

寄木細工の工房、OTA MOKKOで精密な細工に触れる

さて、街道は箱根峠に向かっていよいよ急坂となり、箱根越えの過酷さの象徴ともいえる石畳の旧街道が現れる。1680年に石畳が敷かれる前は、雨が降ると膝までつかる泥道となり旅人を苦しめた。石畳が敷かれても決して歩きやすい道ではなく、雨の日は油を撒いたかのようにつるつると滑り、落馬や滑落事故が相次いだというから恐ろしい。

追込坂、猿滑坂といった難所らしい名の坂をいくつも越えて現れたのは、東海道ではめずらしい杉並木。幕府は東海道を行き交う旅人のため、街道筋に松を植えたのだが、箱根山中の環境は松の生育に適さず、この一帯だけは杉を植えたのだとか。

400年の歴史をもつ甘酒茶屋で、名物の甘酒を

芦ノ湖畔では1619年に置かれた箱根関所へ。「全国に50数ヶ所ある関所のなかで、施設の構造、工法、部材など最も忠実に当時を再現している施設」というのは、箱根関所長の大和田公一さんだ。

1865年に大改修を行った際の詳細な図面が発見され、それを基に完全復元を行ったもので、威風堂々たる黒塗りのたたずまいは江戸時代さながら。侵入者に備えて設けた、もとの地形を活かした遠見番所(見張り台)や裏山まで張り巡らせた800本の柵が再現されている。

芦ノ湖に映える箱根神社の赤い鳥居。天気が良ければ富士山の眺望も

芦ノ湖周辺でもう1ヶ所訪れたいのは箱根神社だ。富士山を背景に豊かな水を湛える芦ノ湖と箱根神社の赤い鳥居は、かつての庶民の憧れのランドスケープ。

神社に参詣した後は芦ノ湖周囲に整備されているトレイルの西岸コースを歩く。ふたつの水門と自然の砂浜を備え、静寂の湖畔と山々の景観を楽しめる約12kmのルートだ。

芦ノ湖西岸のトレイルでは、天然の砂浜散歩を楽しめる

東とは趣き一変、穏やかな西坂歩き

翌日は芦ノ湖を出発して三島方面へ。箱根峠から東側、つまり箱根町側を東坂、三島側を西坂と呼ぶのだが、西坂は東坂に比べて格段に歩きやすく、眺望もいい。時に眼前に現れる富士山を眺めながら、なだらかな坂を下っていく。豊臣秀吉に滅ぼされた山城の山中城址や、新田集落の畑作地帯を抜ければ、三嶋大社へ続く松並木が現れる。

三嶋大社の門前町として古くから栄えた三島宿は日本橋から数えて11番目の宿場町で、三嶋大社前で東海道と下田街道、甲州道が交差するかつての交通の要衝だ。富士山と箱根の湧水に恵まれた三島は水の都ともいわれていて、街中のいたるところをせせらぎが流れ、住民たちが憩っている。地元建設会社でゲストハウスのプロデュースなどさまざまな事業を行う本多大典さんと落ち合い、案内してもらった。

三島は水の街。清流に可憐なミシマバイカモが咲いていた

「1960年代以降、水は枯れ、街中を流れる源兵衛川の環境汚染が深刻化していったんです。現在の姿は、三島市民が中心となってかつての清流を取り戻そうと地道な環境改善活動に取り組んだ結果。今では絶滅危惧種のホトケドジョウや水生植物のミシマバイカモが生息する豊かな水辺が蘇っています。市民ひとりひとりがかけがえのない湧水を守ろうと、活動を続けているんですよ」

その昔、無事に箱根峠を越えた旅人はここで山祝いをしたという。そんなエピソードを耳にして、ルーカスとキャットは近くの水場で汲んだ水で乾杯する。明治になって箱根越えにまつわる習慣も廃れてしまったというが、丸一日山道を歩いた旅人にとって山の湧水は、甘露のような味わいだったに違いない。

三島では源兵衛川沿いのシックなレストラン#dilettante café