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Nihon Alps 12 views

吉田博の見た日本アルプスへ

Scene9 白馬山頂より

「日本アルプス十二題」とは、明治から昭和にかけて活躍した山岳画家の第一人者・吉田博が、北アルプスを題材に制作した木版画シリーズ。ここでは毎号、吉田の足跡をたどって、日本アルプスの各地を訪ねます。今回の舞台は『白馬山頂より』。

04/10/2023

独自の山岳写生方法/白馬山頂より

白馬大雪渓は幾重にも重なる尾根の奥へと続いていた。冷やされた風が白く冷たいガスとなり、雪面を這うように迫ってくる。登るにつれて谷はガスで覆われ、霧の海を泳ぐように雪上に刻まれた一本の道を辿っていった。

吉田博が山へ赴く目的は登山ではなく、絵を描くことだった。写生に適した場所を見つけると愛用のテントを張って拠点を作り、何日も野営をしながら納得のいくまで山の風景を描いた。その場所での写生が終わると荷物をまとめ、新しい美を求めて山々を彷徨した。 夏山では昼間は曇りやすいため、朝の四時頃から十時頃まで写生を行い、夕方に晴れ間を見てはまた写生に取り組んだという。淡彩スケッチのみならず、大きなキャンバスを丸めて運び、現地で油絵も描いた。持って行くのは博が現場で描ける最大寸法の12号Pと8号P が主だった。そのままでも名品だったが、 その絵をもとにアトリエで大作を描き、数々の展覧会に発表した。

白馬岳からの風景は80年以 上の時を経ても変わらない
illustration | Yohei Naruse

急な雪面をトラバースすると一面のお花畑が広がっていた。ハクサンイチゲ、ハクサンフウロ、シナノキンバイ…夏の青空から降り注ぐ光が花々を一層賑やかに照らし出している。ほどなくして山小屋に辿り着くと、遠く から雷の轟く音が低く聞こえてきた。テントを設営する頃にはあたりはガスに包まれ、小さな雨粒が落ちてきた。雷鳴が烈しくなると強い風がテントを叩いた。

這々の体で何時間も山道を歩いているとき、いかに息を飲むような風景が目の前に広がったとしても、ザックを下ろし、スケッチブックを取り出して絵を描くことはかなりの労力を要し、実際には困難である。何時間もその場に留まって絵を描いていては目的地に 到着する前に日が暮れてしまう。

歩き疲れていては絵など描けない。そのことをよく知っていた博は、写生する元気を浪費しないように細心の注意を払った。「山の上で幾日も天気が続いたりする場合にぶつかると、描ける丈け描かなければならないので、 その時に精力を使ひ果たしてゐると大変な無駄をするので、先に言ったやうに体をせい一杯使ふことは禁物である」と言い、前の晩は 不養生をせずによく眠り、六七分の速度で歩き、荷物は人夫に運んでもらい、絵筆ひとつ持って歩くことはなかった。その代わり、一旦筆を取ったら「戦場のやうな忙しさ」で「歩いて居るよりも一層烈しい」疲れと戦いながら、「一元気」で一気に絵を描き上げた。彼は荷物の軽量化にも気を配り、「画架とか三脚とかいふものは、あれば便利であるかも知れないが、決して持って行くものではない。 絵具箱にしても少しでも軽いものを選ぶこと、必要なもの丈けを各自に考へる事がいゝ」 と記述している。思い切り絵を描くために体力の温存に努めた吉田博。しかし彼の写生の秘密はそれだけではなかった。博と共にインドへ写生旅行に出かけた長男の吉田遠志は、次のように語っている。

7月下旬の大雪渓にはまだ雪が豊富に残っていた
illustration | Yohei Naruse

「父は絵を描くのが非常に早くて、午前に一枚、午後に一枚、8号 P か12号 P の油絵を描き、他に版画のための淡彩スケッチを一枚か二枚描き上げる。25号でも半日ずつ二日間で仕上げる。しかも細密な写実の風景画である。 そしてこの間に点景人物のスケッチを何枚も描いていた。父が油絵を描くのを見ていると、 まず輪郭を筆で描き、構図を遠近法に合わせて、決定的な主題の一部を塗り始める。これに調子を合わせて順々に色が埋っていって、 埋めつくした時には仕上っていた。何処から描き始めるかは毎回違う。一度描いた所は修 正したり、上塗りする必要のないように描き上げる」

普通は遠景から描き始めて次第に近景を描くのだが、博の絵は画面の左下隅から描き始め、画面中央を経て右上隅に到達したところ で完成していたともいわれる。彼は驚くべき速さで描き上げる独自の写生方法を編み出していたのである。それは山の写生においても非常に有効だったはずだ。

雪渓は効率よく登降できる自然の道だが、危険も多い
illustration | Yohei Naruse

「山の写生は山の写生をやったことがないと描けるものではない。それに一度や二度山へ登ったのではまとまったものは描けない。まとまったものを描くには何うしても沢山スケッチを作らないと描けないものである。おかしな事は下界の描き方は山の上では通じない事である。それには練習と研究を積まなけ ればなるまい」

博は瞬時に変化する高山の光や雲の美しさに魅了され、表現の難しいそのモチーフに真正面から取り組んだ。練習と研究とは、光線や雲の移り変わりを鋭く観察し、その変化に対応しながら、山が見せる一瞬の美しさを素 早くキャンバスに描き出すことだった。山に篭って「仙骨」になりきり、「高山特有の霊気とでもいふべき一種清浄な雰囲気」を鋭敏に体得するとともに、誰も真似し得ない独自の早描き画法が儚い「高山の美」を捉え、大胆かつ繊細な彼の表現を生み出したのだろう。「練習と研究を積まなければなるまい」 とは、「絵の鬼」と呼ばれ、修練を怠ることのなかった彼らしい言葉である。

吉田博「白馬山頂より」1926(大正15)年 福岡市美術館 蔵

テントから顔を出すと強い紅色に染まった雲が淡い曙の空に細くたなびいていた。白い朝日を浴びながら、白馬岳頂上へと続くザレ場を登る。白馬山荘に差し掛かって振り返ると、大きく横たわる杓子岳と白馬鑓がオレン ジ色に染まりはじめていた。そのとき、白馬 鑓の向こう、遠くに連なる青い山並みの中に、 端正な鋭三角形の頂が見えた。槍ヶ岳だった。 博の版画「白馬山頂より」の右上には特徴的 な鋭角の山が描かれている。その山が槍ヶ岳であることは一目瞭然だった。80年以上前に彼が描き残した風景が今、そのままの表情で静かに私の前に広がっていた。いささか強調して描かれたように見えるその峻峰には、大好きな山を望むことのできた彼の感激が表われているような気がした。

太陽が昇りきり、爽やかな夏の一日が始まった。足下を見ると、ミヤマオダマキの青紫が、冷たい朝露に白く滲んでいた。

<PAPERSKY no.34(2010)より>


route information

白馬大雪渓は日本最大の雪渓。雪の融け具合によってルートが変わり、とくに秋は雪渓が細くクレバスも多くなるため秋道ルートが使われる。雪面が凍りやすい早朝や雪渓歩きに慣れていない人は軽アイゼンやトレッキングストックの使用がおすすめ。白馬駅前や大雪渓周辺の山小屋では軽アイゼンのレンタル・販売も行っている。雪渓の周囲は脆い崖が続き、崩壊や落石も多い。とくに雪渓上の落石は音がしないので細心の注意が必要だ。できるだけ速く雪渓を通過したい。白馬岳は高山植物の宝庫でもある。長い雪渓を登ると一面のお花畑が広がり、夏の間は色とりどりの花々が咲き乱れる。テント場は稜線の分岐点に建てられた白馬岳頂上宿舎にある。白馬岳頂上直下の白馬山荘は日本最大の山小屋でレストランも併設されている。



成瀬洋平
1982年、岐阜県生まれ。都留文科大学大学院修了。広告代理店勤務の後、フリーのライター、イラストレーターとして活動中。