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「千曲川ワインバレー」のワインの個性の源をたどる

長野の標高から生まれる「新たな高み」

メスリ麻里

 

02/10/2026

ワインバレーに足を踏み入れる


東京から上田に向かう新幹線に乗りながら、どちら側の席がいちばん景色がいいのか考えていた。でも、結局どちらでも同じだった。列車は日本アルプスの真ん中を突っ切るように走り、どこを見ても山だ。

長野県は日本を代表するワイン産地のひとつだが、その中でも「千曲川ワインバレー」の名前がずっと気になっていた。海外にいたときから、何度も耳にしていた名前だ。ここ10年ほどで、この川沿いの土地は、新しい世代の生産者たちが集まる場所となり、日本のワインが持つ可能性を塗り替えている。山々が両側から迫ってくるにつれ、光は研ぎ澄まされ、空の青は深まり、谷の底一面に田んぼが広がっていく。

日本最古のワイン産地である山梨では、ワインづくりは地域に根ざした営みで、家族代々続くことも多い。それに対して、この千曲川流域にいる生産者の多くは、都市部からの移住者だ。都市での暮らしを離れ、この土地と向き合いながら何かをつくることを選んだ人たちである。地理もまた、彼らの賭けを後押ししている。山々に囲まれたこの谷には独自の微気候があり、日本でも有数の乾燥した土地だ。ここでは、繊細なヨーロッパ系品種でさえ育つ。

紙の傘が雨からブドウの房を守っている

近くには、2015年に設立された「千曲川ワインアカデミー」。ブドウ栽培とワイン醸造を教えており、千曲川ワインバレーのムーブメントを牽引する原動力となってきた。卒業生の多くは、学校のすぐ近くに自分たちの最初のブドウ畑を構えていく。

この谷を形づくっている人たちに会う中で、もうひとつ、空気の中に漂うものを感じた。ここでは、試すことが許されているという、暗黙の了解。まさに「カルト・ブランシュ」―自由裁量―の精神である。





ツイヂラボ(東御)


蔵の中にはアップビートな音楽が流れ、樽の表面にはきちんとしたラベルの代わりに、生き生きとした絵や文字がチョークで描かれている。ここはツイヂラボ。醸造責任者の須賀貴大さんが、自社ワインと「委託醸造」(ワイナリーを持たないブドウ生産者がブドウを持ち込み、醸造から瓶詰めまでを依頼する仕組み)の両方を手掛けている。

須賀さんはいわゆる日本的な「職人タイプ」ではない — ブリーチした金髪に、腕にはスリーブタトゥー。フランス、ニュージーランド、オーストラリア、ドイツ、さらにはハワイまで渡り歩いてきたヴィニュロンで、正真正銘の「フライング・ワインメーカー」だ。そんな彼がこの東御の地で、腰を落ち着けたいと思えるものに出会う。それがこのラボだった。ここは実験することを好む須賀さんの気質を受け入れ、活かしてくれる場所なのだ。

発酵の初期段階で、須賀さんが手作業でパンチダウンを行う

「こちらのお客さんからは今年、オレンジワインの希望があったので、まずメルローとリースリングを圧搾し、その果汁をソーヴィニヨン・ブラン、シュナン・ブラン、セミヨン、プティ・マンサン、シャルドネの果皮の上で発酵させました」須賀さんはそう説明しながら、タンクから直接グラスに注ぎ、私に手渡す。そのワインには、感覚が刺激されるようなエネルギーがあった。この質素な蔵から、これほど多様なスタイルと品種のワインが生み出されている―その事実に私は驚いた。

ブドウ畑に行くと、並んだ畝一つひとつの端に稲わらが積み上げてあった。「ブドウの隣で米をつくっているワイン産地は、世界でも稀だと思います」と彼は言い、「米には大量の水が必要で、ブドウには水がないほうがよい。矛盾した組み合わせですね」と彼は軽く笑った。

「でも、おかげでこの土地ならではの冬の対策があるんです。ブドウの木の幹にわらを巻いて、凍害から守っているんですよ」

蔵に戻ると、ブドウ生産者が立ち寄っていた。自分のワインの発酵具合を見に来たと言いながら、実際はおしゃべりが目的のようだ。須賀さんの穏やかな雰囲気の中で、仕事と会話が自然に混ざり合っていく。それがこのワイナリーのリズムだ。

各列の先頭に積み上げられたわらの束。冬越し作業前の準備



ナゴミヴィンヤーズ(東御)


「ブドウの木は、最初の3年間にしっかり仕立てることがとても重要です」池敬紘さんは言いながら、背の高い草をそっとかき分け、隠れていたピノ・ノワールの若木を見せてくれた。

「まだ小さいうちに幹をまっすぐ伸ばして育てないと、水の通り道がねじれたままになるんですよ」そう口調は優しく、この品種が彼にとって、手のかかる相手であると同時に創作意欲をかき立てる存在であることが伝わってくる。

池さんはワイン作りを始める前、通信エンジニアとして、つくっては壊し、またつくり直す世界で働いていた。30代半ばに差しかかった頃に彼は、長く存続し、地に根を張っていくものをつくりたいと強く思うようになった。その答えとして、池さんはまず農業を考え、やがてワインへとたどりついた。当時の日本のワイン業界は大企業に独占されており、市場に参入するハードルはとても高く感じられた。そんな時、彼は長野や北海道などで立ち上がったばかりの小規模ワイナリーに関する記事を目にする。

池さんのぶどう畑で

池さんと妻の和美さんが東御にやってきたのは、不安定でありながらも好機と言える時期だった。当時、地元の農業を支える基幹作物であった巨峰の価値が次第に下落しており、農家たちは土地を手放し始めていたのだ。そうした状況の中で、初めて小さな巨峰畑を購入した池夫妻は、地元の人々に今も愛されるブドウの救い手として、温かく迎え入れられた。地域社会の支えを受けながら、彼らは少しずつ土地を増やし、やがてナゴミヴィンヤーズは現在の姿へと育っていった。

その後の10年で、ピノ・ノワールは彼らの惜しみない世話と献身に応えるように順調に育っていく。「やっと自分たちらしさが出来てきました」と池さん。ブルゴーニュで開かれた日本ワインの展示会「サロン・デ・ヴァン・ジャポネ」で、彼らのワインの柔らかさと精緻さがフランス人批評家から称賛されたとき「信念が実を結んだように感じました」と池さんは振り返る。その顔には、控えめながらも充足感に満ちた表情がにじんでいた。

ピノ・ノワールの発酵進捗を確認している池さん
ナゴミヴィンヤーズでは、ナガノパープルなどの土着品種も醸造している



テールドシエル(小諸)


車で小諸に入ると、道は曲がりくねった山道へと入っていく。連なる山道を走っていると、果てしなく広がる青空の中へまっすぐ入っていくかのような心地がした。「テール・ド・シエル」、それはフランス語で「 天空の大地」を意味する。なんとこの土地にふさわしい名前だろう。

蔵では、除梗作業の最中に桒原一斗さんが迎えてくれた。忙しい作業中でもこちらを気遣い、しっかりと応えてくれる。桒原さんのワインづくりの哲学はシンプルだ。ワインの95%が畑で、残りの5%が蔵でつくられる。「蔵の中でも、こちらが何かやるよりも見守ることが大事です」と桒原さん。彼が目指しているのは、自分がつくったワインを飲む人たちに「この地の風景を味わってもらうこと」だという。

蔵にいる桒原さん
テールドシエルのチームが手作業で除梗しているところ

桒原さんが作業に戻ると、ワイナリーのオーナーである池田岳雄さんが姿を現した。外からの移住者が多いこのワインコミュニティの中で、彼は数少ない地元出身者だ。私は池田さんとともに山道を登り、見晴らしの良い場所へと向かう。そこには、ブドウ畑の列が反対側の尾根へと流れるように続き、低くたなびく雲がそのあいだを漂っていた。目の前の絶景と、生き生きと語る池田さん。そのどちらにカメラを向けるべきか、私は迷ってしまった。

テールドシエルのブドウ畑から谷を越えた眺め

「60を過ぎて、第二の人生は土とともに生きようと決めました」と池田さんは話す。退職後、彼は標高950mの土地にブドウを植えた。高すぎる、寒すぎるという声もあった。だが実際には、風の通る開けた斜面が、霜のリスクを遠ざけてくれていた。

このワイナリーのデビュー作となったソーヴィニヨン・ブランは、キレのある酸味が高く評価され、瞬く間に人気を博した。小諸は昔からりんごの産地として知られ、ワイン産地というイメージのない土地だったが、池田さんの成功に刺激を受けた生産者たちが続々と小諸に移ってきて、山の斜面にブドウを植え始めた。彼はこの追い風に乗り、コテージ風のテイスティングハウス「NUKAJI WINEHOUSE」をオープン。その館内にはあちこちに、大きな淡い青色の蝶の写真が飾られている。

「小諸はアサギマダラの季節移動の通り道にあたります。アサギマダラの到来は私たちに、収穫を始める時期が来たことを教えてくれます。多い日は一日に500匹も来てくれるんですよ」

アサギマダラの訪れは、収穫を促す自然からの合図だ。ここでは自然のリズムがかけがえのないものとして、今でも大切に扱われている。

「NUKAJI WINEHOUSE」の試飲室にいる池田さん



アパチャー ファーム&ワイナリー(東御)


「まず作りたいワインのイメージを描き、そこから逆算し、出発点であるブドウ畑からそのプロセスを作り上げるんです」と話すのは、アパチャーを率いる田辺良さん。彼の畑では、ブドウを通常より高く仕立てている。そうすることで、房が葉の重なりによって自然に日陰に守られる。収穫も3回から5回に分けて行い、毎回シュナン・ブランの異なる側面を引き出していく。このような行程はすべて、長年にわたる試行と精緻な調整を通じて磨かれてきたものだ。田辺さんがかつて自然を被写体にする写真家だったと知れば納得がいく。

ロワール地方のシュナン・ブランと運命的な出会いが、彼の人生を変え、ワイン作りの道へと導いた。日本で世界最高峰に肩を並べるシュナン・ブランを作ろうと決意したのだ。当時国内では、この品種を試みる生産者はほとんどいなかった中、彼が掲げた目標はとても大胆なものだった。

「シュナン・ブランは皮が薄く、房の実が詰まっているので、降水量の多い日本の気候ではとても難しい品種なんです」と田辺さんは説明する。「果実が水分を吸収するとトウモロコシの粒のように詰まり、割れてしまうんです。だからこの品種に挑戦した生産者の多くが結局あきらめてしまうんです」

「私のシュナンも最初の数年間、味が薄い感じがしていました。ところが、それがある時いきなり変わりました。根がやっと深く伸びて、ワインに凝縮感とミネラル感が出てきたんですよ」田辺さんのブドウがようやく、東御の粘土質の土壌がもたらす恩恵を受ける段階に達したのだ。

アパチャーのエチケットには田辺さんの写真作品が採用されている(写真: 田辺良)

蔵の中で、まだリリースされていない2024年産シュナン・ブランをグラスに注いでくれた。若いワインとは思えない豊かな味わいに、私はすっかり心を奪われた。しばし陶然としている時に、彼から「どう思いますか」と声をかけられ、はっと我に返る。

田辺さんは最近、標高940メートルの場所にシュナン・ブラン専用の畑を購入した。「長野県は気候変動に対応しやすい地域です」と言い、自分の言葉を面白がるように微笑みながら、「山の高い所にどんどん逃げることができますからね」と付け加えた。 

シュナン・ブランのブドウを見渡す田辺さん






ワイン産地への旅のおともに ― おすすめのスポット


上田は東京からのアクセスがよく、千曲川ワインバレーを巡る旅の拠点として理想的な街。到着したら、まず駅前のビルの地下にある「ワインテリアBe-One」に足を運びたい。試飲用の少量提供もあり、ワインバレー全体の特徴をつかむのにぴったりだ。

ディナーには「フィーカ」がおすすめ。この店は、元自転車工場をリノベーションしたビストロで、インダストリアルな雰囲気と温かみが共存する空間と、地産、海外産それぞれのワインをバランスよく取り揃えたワインリストは魅力である。

フィーカ

車を少し走らせたところにある「アートヴィレッジ明神館」の日帰り温泉では、露天風呂につかりながら、絵のように美しいワインバレーの風景を楽しめる。

東御に来たら、ぜひ訪れたいのが「東御ワインチャペル」。ここほど長野産ワインを幅広く揃えた店は、おそらく他にはないだろう。オーナーの地元ワインに寄せる誇りが訪れた人々に伝播して、誰もが長野産ワインに魅了される場所である。

東御ワインチャペル
東御ワインチャペルのセレクションの一部