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Local Photographers
写真家たちが見つめる地域と暮らし

谷知英

(大分県 国東市)

 

01/24/2022

― お住まいの、国東半島について教えてください。

両子山(721m)を中心に、放射線状に伸びた谷筋が海へ広がった火山地形で、瀬戸内海に飛び出すたんこぶのような半島です。富来(とみく)という地名が残るほど、海運業が盛んな地域であったようです。山間部は低山ながらも切り立つ山々が多く、古くから山岳信仰の修験場となっていました。国東半島の周辺には、八幡信仰総本山の宇佐神宮をはじめ、さまざまな仏教文化が混ざり合い、神仏習合という形で1300年続いてきた山岳仏教文化が今も残っています。

― 生まれも国東半島ですか?

国東半島生まれです。幼い頃は、よく近所の港に行って釣りをしたり、秘密基地を作ったりして遊んでいました。高校になるとバス通学になり、片道1時間くらいかけて通っていていました。早く都会に出たいなぁといつも思っていました。


― 一度国東を出て、また戻って来られたのですか?

福岡県の教育系大学を卒業した後、一年間ほど服飾関係の仕事をして、地元に帰ってきました。戻ってからは保育士として働いていましたが、その当時は地域に愛着がなくて、またすぐに都会へ出ようと考えていました。ですが、せっかく故郷に帰ってきたから、地元のことを知っておくのも悪くないなと思うようになり、友人からおすすめのカメラを教えてもらい、地元の子どもたちや風景を撮り始めました。2012年に国東半島アートプロジェクトが始まり、保育士の仕事は続けながら、気づけばアーティストたちを案内するローカルガイドのようなことをするようになっていました。その機会に、地元の良さを改めて知ることができ、だんだんと自然と写真を撮る機会が増えていきました。


― 日々の暮らしの中で、地域のどんなところに魅力を感じていますか?

 僕が住んでいる集落は、国道からひと山越えた海沿いの小さな集落で、もう7年住んでいます。僕たち家族以外は70歳オーバーですが、ほんと皆さん可愛がってくれています。住み始めた頃から、玄関の前に箱いっぱいの卵とか、野菜とか何も言わず置かれていて、毎日驚いていました(笑)。そんな頃から、お裾分けしてくれたものを写真で記録しています。

― 普段のお仕事と暮らしについて教えてください。

教育関係の仕事を辞めてフリーになったのは3年前。偶々、僕が住んでいる国見町は作家やアーティストが多く移住してきていて、作品撮りやポートレイトなど、いろいろ撮らせていただく機会があったおかげで、どうにか生活ができるようになりました。仕事の合間に、友人と一緒に企画を立てたり、炭焼きの手伝いをしたり、地域の班長もしているので会合など、やることがいっぱいです(笑)。貧乏暇なしだけど、毎日とても愉しいです。

― 地域の行事を撮影されることもありますか?

僕らの年代になると、よくお祭りの当場(担当)で地域行事に参加することが多くなります。国東半島の中心にある両子山をはじめとした6つの郷に開かれた寺の総称は六郷満山と呼ばれ、1300年前より天台密教の修験場だったと伝わっています。旧正月の頃、修正鬼会(しゅじょうおにえ)という火祭りがあるのですが、その祭りに登場する鬼は、昔話で出てくるような鬼と違って、仏の化身となった善い鬼なんです。鬼になった者は、集落の家々を回り、お酒を呑み交わし、人々の幸福を願いながら早朝まで歩き続けます。撮り手である僕は、被写体である鬼に近い立場として関わりながらも、自分の存在が一切出ない、そんな写真を撮れたらと思いながら撮っています。そんな思いで、国東半島の沿岸部や山間部、谷ごとの文化の違い、僕もまだ見たことがない光景を日々探しています。

― この地域で今後やってみたいことはありますか?

地域の高齢化や人口減少を常日頃から感じています。Uターンをした視点を活かして、元々ここに暮らしていた人々と移住者、定住希望者が交流できる拠点を民間で作りたいなと考えています。国東半島には宿泊拠点になる場所が少ない、という現状があります。僕の祖父母の家が空き家なのですが、国東半島芸術祭が開催された際に、レジデンスとして家を使ってもらったことで、いろいろなアーティストと知り合うことができました。地元に暮らす人々や、他の地域に住んでいる友人たちに、国東半島、盛り上がっているな!と感じてもらえたり、地方へ出た子どもたちが地元に戻ってくるきっかけになったりと、そんな灯台のような場所を作っていきたいですね。



谷知英 Tomohide Tani
1984年 大分県国東市生まれ。保育士をしながら独学で写真を学び、現在は写真家として半農半写な生活を送る2児の父。写真や映像を通して、地域に貢献できる取り組みを模索している。
www.warapic.com