南の島への憧れは、やがて衝動へ
「とにかく西表島に行きたい!と思い、全財産を握りしめて東京から西表島へ直行しました。それが20代前半の頃ですね」
溌剌とした表情でそう語る國岡さんはもともと、デザイン科で木工を専攻する美術大学生だった。家具デザインのコースを専攻していた彼女だったが、やがてその興味はプロダクトデザインではなく、ノミで木の塊を彫る木彫制作に向かっていった。

大学卒業後、いずれは彫刻家になりたいという夢を抱きつつ、でも一体どうすればいいのか分からずアルバイトに明け暮れる日々を送っていた。そんな暗中模索の日々のなか、ようやく自分の作品がひとつ売れ、その売り上げで飛行機のチケットを購入し衝動的に西表へ向かったという。
「それからしばらく西表島で暮らしたあと、すこし“都会”でも生活したいなと思い隣の石垣島に移って、WWF珊瑚礁保護研究センター(通称:しらほサンゴ村)で現地スタッフとして勤務し、人と海の繋がりについて聞き取り調査する仕事をさせてもらうことになりました。その時サバニに出会って、『なんて不思議な形だろう』と思ったのが最初の出会いですね」

とある工房で制作途中だったサバニに出会い、その美しさに一目惚れしたという國岡さん。木の板が織りなす曲線は無駄がなくシンプルで、そこにはまるで自然物のような有機的な美しさが感じられたという。
「最初は、よそ者の自分がまさかこの舟を作れるなんて思っていませんでした。ただただ、この技術を記録して発信していこうと思い、後に師匠となる新城康弘さんの工房に通いはじめたんです。そうしたらその師匠が、性別とか出身地をまったく気にしない方で、『作りたかった作ればいいさ』と、どんどん私に手伝わせてくれたんです」

もともと大学で木彫をしていた國岡さん。ノミで木を彫る作業もお手のもので、次第に手伝える工程も増えていき、やがて自分自身でサバニを作ることを意識していったそう。
サバニとは? 丸木船との違い
一本の大木をくり抜いて作る「丸木舟」に対し、サバニ作りでは基本的に木の板を加工し、曲げ、繋ぎ合わせながら形作っていく。これはかつて琉球王朝の時代、造船のため島の松やアカギの大木を伐採し過ぎたため、丸木舟の製造を制限するルールが敷かれ発展してきた技術だという。
「木を曲げる工程が一番面白いですね。同じ木はひとつとしてないし、同じ木から取った板でも、左右で違う曲がり方をするんです。水を含ませたり、お湯をかけたりしながら、その木と対話するように曲げていく。その時間が一番好きですね」

伝統を受け継ぐ、などという大それた目標はなく、ただただ師匠を手伝うのが楽しくて、自分ができることが増えていくのが楽しくて、ここまでやってきたという國岡さん。そしてなにより舟作りを通して、海で生きてきた人たちがどのように知恵を絞って海と向き合ってきたかが垣間見える瞬間に喜びを感じるという。

「自分で作った舟に乗るようになって、海や風といった自然や、西表という島自体がすごく身近な存在になったように思います。舟に乗らない日でも『今日はこんな風だから、きっと海ではこんな波が立っているな』と考えたりするんです。海は怖い場所でもあります。でも、舟に乗って、海から島を眺める時間が、私にとってかけがえのないものになっています」


國岡恭子
武蔵野美術大学工芸工業デザイン科を卒業後、1993年に西表島へ移住。1998年より石垣島へ拠点を移し、八重山の文化を調査、発信する仕事に携わるなかでサバニと出会う。以降、新城康弘さんに師事。著書に、音付き仕かけ絵本『潮舟-スウニ-』(2023年/やらだ出版)がある。なお、西表島のツアーガイド会社「西表島の自然遊び屋Hanauta」、「カーミーウォーク」では、國岡さんのサバニによるツアーを体験することができる。
「西表島の自然遊び屋 Hanauta」
HP:https://www.hugging-nature.com/
「カーミーウォーク」
MAIL:iriomote@karmy-walk.com