晩春にしては冷たい風が芝生のうえを滑り、駿河湾へと吹き抜けていく。太陽はあいにく不機嫌なようで、すっぽりと灰色の雲に隠れてしまっている。天気がよければ、海の向こうにそびえる富士山を望めるというのに。
でも、ぼくらの気持ちは、優れない空模様とは裏腹に昂っていた。KATSUO TRAILのスタート地点である石津浜公園で「AN KO RAU」のメンバーと合流したばかりだからだ。ディレクターの辛园(シン・ユアン)さんと、3人のデザイナー、そして専属のフィジカルトレーナー。異国の地ではじまる8日間の旅に彼らも緊張気味のようだったけれど、静かに高揚しているのが伝わってくる。笑顔で挨拶とかるい自己紹介をして、みんなで輪になりストレッチを済ませ、一斉に歩き出した。長い旅がはじまる。


海によって形成されたカルチャーがひしめく「焼津エリア」
石津浜公園のそばの水天宮で、旅の無事を祈願し、潮の香りがする大井川を伝って焼津港へ。無数の船を横目に、オーシャンロードの一本裏手へ入り、古くから水産加工で栄えた風情を残す「浜通り」を進んだ。道すがらルーカスが、焼津の偉人・小泉八雲のことや、この地のカルチャーについて話し、AN KO RAUチームが興味深そうに聞き入る。


車なら10分の距離を2時間かけて歩き、ぼくらは、セクション1のハイライトといえる「林叟院」へたどり着いた。開創550年を超えるこの寺院の前住職・鈴木俊隆は、アメリカ西海岸に禅の教えを広めた海外布教の第一人者。その血を引く和尚の鈴木俊呉さんに、美しい講堂で禅の教えを説いてもらい、坐禅を体験した。


「坐禅は何かを得るためにするのではありません。坐禅そのものが目的であり、坐禅をした時点でそれは達成されているのです。日常の何かを得ようとする枠組みから外れ、ただ静かに座る。それが大切ですし、それだけでよいのです。歩くこともおなじで、ゴールではなく、歩くことそのものに価値があり、踏み出す一歩一歩にこそ、大きな意味があるのではないでしょうか」
後にAN KO RAUのメンバーは、旅の途中で何度も和尚の言葉を反芻したと口を揃えた ——— 歩くことに意味がある ———。背中を押されるように、最初の山登りとなる「焼津アルプス」の一部、標高およそ500mの高草山と満観峰の頂上へ、またぼくらは歩き出した。

かつての“街道文化”と山の恵みを感じた「静岡・藤枝エリア」
満観峰を下ると、そこはもう静岡市。歌川広重が東海道五十三次に描いた、創業400年超の料理処「丁子屋」で、名物の“とろろ料理”をいただき、14代目店主の語る歴史に耳を傾けた。その夜は、この地の伝統文化を集約した「匠宿」に宿泊。ゆったりと温泉に浸かって、明日への英気を養う。


セクション2から先は、トレッキングの要素が深みを帯びてくる。タイムスリップしたかのような宇津ノ谷峠の街並みとトンネルを抜けて、藤枝エリアへ。歴史ある「初亀酒造」の脇を過ぎ、陽が高くなるまで山村風景を眺めながら、ゆったり歩いた。

ランチは、ちいさな川沿いの集落に佇む「檸檬とラクダ」。店主の兼子有希さんは、かつて世界中を旅したバックパッカーで、帰郷してその魅力に気づき、各国の料理技法を月替わりでアレンジして地産地消のヴィーガン料理をコースで供するように。ヴィーガンに強い関心を持つというAN KO RAUチームも「こんなにおいしくて新しいのは食べたことがない」と絶賛していた。
旅はここから、いくつもの山を越えるルートへと入っていく。



「TRAIL LEARNING」が深化する「川根・島田エリア」
KATSUO TRAILが一般的なロングトレイルとちがうのは、「歩くことは学ぶこと」というコンセプトの通り、この地にしかない歴史やカルチャーと深く交われること。急峻な山を登り、キャンプサイトでテントを張って、夜空を眺める。また山を越え、茶畑に囲まれたティーテラス「茶の間」で一服し、歩みを進める。



翌日には製茶場を改装したアートギャラリー「CHA・BEYA」で、希少となった美しい伝統品の茶箱に出会い、2日後にはその工場「前田工房」を訪ね、職人の技に感嘆する。自転車に乗り、林道を鳥のように駆け抜け、車窓の景観が美しい「大井川鐵道」に乗った。流れる車窓に、AN KO RAUチームも子どものような笑顔を見せる。





「このトレイルは、本当にたくさんの立ち寄るべきスポットがあるし、いろいろな人々にも出会える。彼らのパッションが伝わってきて、私のなかでも何かが変わった気がします」とバッグデザイナー韩悦(ハン・ユエ)さん。
東京での留学経験があるメンズデザイナーの颜栋(ヤン・ドン)さんも「ぼくが知っている日本とはまるでちがう。山登りはよくするけど、こうして地域の歴史文化を学べるなんて、すごく特別な旅のコースだよね」と目を細めながら話してくれた。


数百年を超えて点在する、様々な神社仏閣に立ち寄り、旅は佳境へ。最終日には、世界一の長さを誇る木造歩道橋「蓬莱橋」を渡り、島田市を爽快に走って、石津浜公園へ到着。


最後の瞬間に感じたことを、レディースデザイナーの高路淇(ガオ・ルーチー)さんは、こう話してくれた。「ゴールが見えたとき、すごくキラキラしていて、これは終わりじゃなくはじまりなんだ、ここから新しい明日がはじまるんだ、そう思えたんです」。

その晴れやかな表情は、このKATSUO TRAILが全ての人に与える、とても大切なものを物語っているような気がした。
