舟に乗り、どこへでも
子どもの頃、夏には琵琶湖で泳いでいたせいか、海よりも湖に親しみを感じ育ってきた。コロナ禍による県外移動自粛が緩和された日、日本海に面する若狭湾の内海である三方五湖を訪れた。高台から眺めると、湖が海と緩やかに繋がっているのが見えた。湖は海に近い日向湖や、奥まった菅湖などから成り、海水や汽水と各々異なった性質を持っているので、晴れた日には水の色がそれぞれに違って見えるらしい。

ここでは鳥浜貝塚という、縄文時代前期(約5500年前頃)を中心とした遺跡が見つかっていて、出土した遺物の中に丸木舟があることを、どこかで聞いたことのある人もいるだろう。丸木舟とは、くり舟のことで、木をくり抜いて作る舟。一本の丸太から作られたカヌーと想像してもらってもいい。その構造は至ってシンプルなもので、材自体に浮力があるので、水没してしまうことがなく、壊れにくい。三方五湖の周りでは、鳥浜貝塚に程近いユリ遺跡でも縄文後期や晩期の丸木舟が何艘も見つかっているので、いかに長く使い続けられてきたのかを知ることができる。

鳥浜貝塚の出土品の土器や石器、漆製品など数多く展示している若狭歴史博物館では丸木舟の他に、木を切り倒し、くり抜く時などに用いたと思われる石斧や石斧柄(ともに若狭歴史博物館所蔵)を学芸員にお願いし見せてもらった。道具まで見つかっているとは — 知恵の結晶とも言うべく美しい道具に触れた。頭の中では、かつてミャンマーのインレー湖を旅した日に出会った湖の民が、足で舟の舵を器用に操り、漁をしていた風景を思い出していた。というのは、丸木舟を直に見せてもらうと、その長さの割に舟底が浅く、驚いたからだ。
掲載しているユリ遺跡出土の丸木舟(若狭三方縄文博物館所蔵)は、手前から長さ5.22m、5.8m、4.9mとなるが、深さは10cmに満たない。インレー湖で見たくり舟も似たような形状であったが、大人から子どもまでが湖上を滑るように、ごく自然に漕ぎ出してゆき、宵闇に溶け込んでいったのだった。思わぬところで、あの日の光景が蘇ってきた。舟の浅さを見る限り、外海に漕ぎ出すには心許ないが、湖上の移動には適していたことだろう。ちなみに三方で見つかっている舟の材料は杉材だという。

かつて琵琶湖で船大工さんと話をした際仕事は森に入り、木を選ぶことから始まると伺ったが、縄文の人々も森を歩き、木々と出会い、舟作りが始まっていったに違いない。舟とは、森と海の結び目で生まれ来ることを僕はその時に知った。
そんな思いを巡らせながら、三方湖を車で走っていると、湖畔に立ち並ぶ舟小屋を見つけた。近づくと、復元された茅葺き屋根の下に、木造の舟や塗装されたボートが停めてあった。小雨となってきたので、雨宿りしていると北庄集落のおじさんと出会った。果樹農家を営んでいるとのことで、湖の暮らしについて尋ねてみると、60年程前までは、道がまだ細かったので、バタコ(オート三輪)が通れる程度で、舟が主たる移動手段だったという。「アレが無かったら、どこにもいけへん」と。梅畑や田んぼ、水神様のお祭りの日も舟で漕ぎ出したという話だった。又、まだ、現役の舟もあるという。おじさんの話を聞いていると、縄文の暮らしが一気に近づいた。

古い資料で目にした地図には、古三方湖という今は無き湖が描かれていた。それは縄文時代には、この辺りがもっと大きな湖であったことを伝えている。僕は、かつての湖の中に立っているのだ。さぁ、舟に乗り、どこへでも。
<PAPERSKY no.63(2020)より>

津田直 × ルーカス B.B. 対談動画
2019年9月21日〜11月24日に長野県八ヶ岳美術館にて開催された津田直展覧会「湖の目と山の皿」会場で上映された、津田直とルーカス B.B.による縄文フィールドワークについての対談動画です。
津田直 Nao Tsuda
1976年、神戸生まれ。世界を旅し、ファインダーを通して古代より綿々と続く、人と自然との関わりを翻訳し続けている写真家。文化の古層が我々に示唆する世界を見出すため、見えない時間に目を向ける。2001年より多数の展覧会を中心に活動。2010年、芸術選奨新人賞美術部門受賞。主な作品集に『漕』(主水書房)、『SMOKE LINE』、『Storm Last Night』(共に赤々舎)、『SAMELAND』(limArt)、『Elnias Forest』(handpicked)がある。2019年秋、9年間の縄文歩きを元に、八ヶ岳美術館にて個展「湖の目と山の皿」を開催した。
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