展示物の前で腰を下ろすと、思わず怪訝な目つきでそれを見上げた。片持ち梁構造をした二本脚のモダンなイス。素人目には、座れば後ろに倒れ込んでしまいそうに見えるが、斬新な構造美は緻密な計算によって導かれたもの。名作イスの名はコノイドチェアといい、ジョージ・ナカシマによってデザインされた。

ジョージ・ナカシマは1905年に日系二世としてアメリカで生まれる。そのキャリアは建築家としてスタートし、戦前には日本のアントニン・レーモンドの事務所で働いていた。レーモンドといえば、近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトの同僚。旧帝国ホテルの設計管理のために来日後も留まり、日本の建築家に多大な影響を与えた。だが、ナカシマはというと、結婚して帰国後視察したライトの建築に失望までしたこともあったようだ。
自分自身で最初から最後まで責任を持てる仕事──建築に背を向け、設計から製作まで一貫して手がけようとナカシマが志向したのが家具だった。第二次世界大戦が勃発し、アメリカの収容所で不遇の時をすごすが、そこで日系の大工と出会う。西洋のおおらかな木工に対して、日本の木工はシャープでいて繊細。その技術をナカシマは学び、後に移住したペンシルバニア州ニューホープで自らの工房を立ち上げることになる。コノイドチェアを生んだコノイドスタジオである。

芸術家と呼ばれることを嫌い、ウッドワーカー(木匠)を自称したナカシマの名は、後年に世界中で知れ渡る。だが、彼がデザインした家具を正規でつくる工房は、いまもなおコノイドスタジオのほか世界で1ヶ所しかない。それが高松の桜製作所。ナカシマが彫刻家の流政之の招きで工房を訪れ、高松の作り手たちの活動(讃岐民具連)に賛同して以来、パートナーとして美しい家具を世に送り出してきた。

桜製作所が受け継いだナカシマの精神は、併設のジョージ ナカシマ記念館で間近に見ることができる。2階の展示室でその系譜を学び、作品を直に目にすることができるとあって、海外からの来館者も多い。
「もともと建築家だったナカシマは、構造をとても大事にしていました。飾り立てるのではなく、構造を重視していたから、彼の家具には普遍的な美しさがあるのではないでしょうか」

展示物を反芻しながら、1階のカフェスペースでスタッフの声に耳を傾け、コーヒーをすする。ホッとひと息つくように視線を上げると、カウンター上の梁には錚々たるメンバーのサインが残されていた。彫刻家のイサム・ノグチ、画家の猪熊弦一郎……アート県を称する香川の美意識が垣間見えるような気がした。