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YUMESHIMA ROUTE
ISLAND OF DREAMS

ゆめしま海道に明滅する夢

 

03/09/2024

夢に見たこの場所


多島海に太陽が沈もうとしている。光線が乱反射するように、海と空をオレンジ色に照らした。浮かぶ島影はまるで夢であるかのようにおぼろげな輪郭。ここへと旅を導いた一曲の名をひとりごつ。

「アイランド・オブ・ドリームスか……」

その楽曲は、このゆめしま海道で生み出された。イギリスから京都を経て移住してきた、デイブ・シンクレアさんによる作曲の『Island Of Dreams』。かつてプログレッシブ・ロックでイギリスの音楽シーンをにぎわせたミュージシャンに移住を決意させるなんて、いったいどんな島なのだろうか。どんな風景から、瀬戸内を讃えるようなあの楽曲が生まれたのだろうか。それを知りたくて島々を巡り、同じくこの場所に引き寄せられた人々と言葉を交わした。旅を反芻すれば、あの一曲がリフレインする-アイランド・オブ・ドリームス。

夕方のマジックアワー。多島美が織りなす淡い風景は瀬戸内ならでは


ようこそ青いレモンの島へ


きらめくしまなみ海道に背を向けて、生口島の洲江港を出たのは朝のことだ。愛媛県の上島町に位置し、岩城島、生名島、佐島、弓削島からなるゆめしま海道。海道へ入るには因島や今治から6つの航路がある。洲江港から岩城島の小漕港まではフェリーで5分の距離で、1日に33往復。船から下りようとすると、甲板では大きく「ようきたのう」の文字が踊っていた。

たった5分の船旅とは思えないほど、岩城島は遠くに来たような感慨を抱かせた。小漕港に着くなり、目に留まったのは競うように自転車を走らせる男たち。堤防へと飛び上がり、釣り竿を海に向かって振り下ろす。釣り人なら瀬戸内ではめずらしくないが、快活な雰囲気が他と違う。話しかければ、彼らはフィリピンから来たという。

「街より島のほうが好き。スローだから。少しだけ故郷を思い出す」

造船所で働いていて、釣りが休日の娯楽のようだ。白い歯を見せながら、穏やかな水面をいつまでも見つめていた。

小漕港で釣りに興じていた男たち。奥にのぞけるように、造船業が盛んな土地

小漕港には、「またのおこしを 青いレモンの島」の看板が掲げられている。レモンであれば対岸の生口島にある瀬戸田が日本一の産地と名高い。それがこの島では青色を謳うのは、新鮮さへの自負である。

レモンの色といっても、品種の違いを意味するものではない。収穫時期の違いを表し、一般的には青色のほうが芳醇で、黄色のほうが果汁たっぷり。「レモン=黄色」というイメージが日本に定着しているのは、輸送に時間を要する外国産が流通の9割を占めるからだろう。黄色へ熟れる前に消費者へ届く青色のレモンは採れたての証であり、清純な香りをまとう。新鮮であるから防腐剤やワックスは不要と、品質も安全なのだ。

岩城島の代名詞である青いレモンは全国に出荷され、島内でもあらゆるかたちで食べられている。レモン果汁をつくるときに生まれる搾りかすを飼料にした、「レモンポーク」なるブランド豚まで育てられているのだ。肉質は驚くほどやわらかく、脂に甘みがあるのにしつこくない。飼料を食べたブタの排泄物が堆肥になり、堆肥がレモン農家で使われるなど、島内で資源が循環するようなサイクルが形成されている。

バイクを走らせ、青いレモンの看板が遠のいていく。岩城島北部の小漕港から南部の岩城港へ。出発前に尾道で出会った老父にこんなことを言われていた。

「ゆめしま海道に行くの? それなら昼飯は絶対に岩城港の『レモン・ハート』がおすすめだよ。レモンポーク丼が本当にうまいんだから」

レモン・ハートは岩城港の喫茶店。食堂のような雰囲気で、島民の憩いの場となっている


レモンだけではない島の味


岩城港での食事なら、島民は「よし正」にも太鼓判を押す。レモンポーク丼もメニューに並ぶが、自慢は地元漁師から仕入れる新鮮な地魚料理。遊漁船で船釣り体験をし、釣果を料理してもらうこともできる。民泊を併設しているので、泊まりがけの観光客も多い。

よし正の遊漁船。船釣り体験ではマダイやテンヤを通年、時期によってメバルやアジ、サバなどが釣れる
風情ある街並みが続く岩城港

お腹を満たしてバイクを走らせると、「益田谷吉翁之碑」と刻まれた立派な石碑を通りがかった。大きさのわりには見知らぬ名前。名前の横には「芋菓子元祖」とある。

岩城島が「青いレモンの島」を名乗るようになったのは1985年からである。だが、古くはサツマイモの島として知られていた。隆盛ぶりは過剰生産に陥るほどであり、その救世主となったのが益田谷吉翁。1912年に芋菓子製造を成功させると、最盛期には島内で30軒以上まで製造業者が拡大。日産数は数トンに及んだと伝えられている。

現在も岩城島で芋菓子を製造しているのは、石碑そばの「タムラ食品」のみである。かじればくせになる芋の甘み、しっとりかつパリッとした食感。口へと運ぶ手を止められず、バイクの旅をなかなか進められない。

タムラ食品の芋菓子は、いわゆる芋けんぴ。季節によって変化するサツマイモの水分や味を職人の勘で微調整


島になければ自分の手で


ゆめしま海道は2022年に全線開通したばかりとまだ歴史が浅い。同年に架けられたのが、岩城島と生名島を結ぶ岩城橋だ。長さ916m、高さ137.5m。斜張橋として国内トップクラスに高い、海道のランドマークである。

生名島と佐島に架かる生名橋も2011年に建てられたばかりだ。つい最近まで、島々は海によって隔てられていた。そして同時に、海によってのみ結ばれていた。

積善山展望台からの眺望。山道は幅が狭く、車同士のすれ違いには慎重を期すが、バイクでのアクセスなら安心だ

「上島町には25の島があります。全部に橋を架けるなんて贅沢な考え方。橋が3本しか架かっていなくても、ヨットであれば島々をつなげることができると思うんです」

佐島で「島旅ヨット」を営む齋藤サムさんは、海上でそう胸を張った。家族とヨットで2年もの旅をした経験のある彼にとって、海が穏やかなあまりヨット文化のない瀬戸内はカルチャーショックだったという。それを逆手にビジネスチャンスと捉え、ビーチクリーンや無人島探検を組み合わせたクルーズ体験を自作のカタマランヨット(双胴船)で提供している。

最後に弓削大橋を走って弓削島に渡れば、本格的なベーカリーカフェが話題を集めていた。築100年超の登録有形文化財を店舗にリノベーションした「Kitchen 313 Kamiyuge」。店主の宮畑真紀さんは、父が遺した土蔵に棲みつく微生物とともに、約10種類のベーグルやパンを手づくりしている。

穏やかな笑顔はKitchen 313 Kamiyugeの店主である宮畑真紀さん
Kitchen 313 Kamiyugeのブルーベリー&クリームチーズのパン。もっちりした食感がやみつき必至

「きっかけは弓削島の友だちの『ベーグルが好きなのに島で買えないのよ』のひと言でした。それなら自分でつくってみようと。ベーグルの手ごねって、おにぎりをにぎる作業に似ていると思いませんか? 地に足をつけた暮らし。この島で暮らしたいと決意した理由を、手作業によって日々確かめているのかもしれません」

郷愁が漂う上弓削の街並み。路地裏を猫が闊歩していた


YUMESHIMA Guide

レモン・ハート
愛媛県越智郡上島町岩城1427-2
TEL:0897-75-3277

よし正
愛媛県越智郡上島町岩城1540
TEL:0897-75-2267

タムラ食品
愛媛県越智郡上島町岩城2160
TEL:0897-75-2030

島旅ヨット
愛媛県越智郡上島町弓削佐島2804
TEL:080-9530-2800

Kitchen 313 Kamiyuge
愛媛県越智郡上島町弓削上弓削 313
TEL:090-7371-6888

photography | Natsumi Kinugasa, Toshitake Suzuki text | Yosuke Uchida Special Thanks | CAKE, Hiroshima Tourism Association, Staple Inc.