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満ちては引く、小さな水の塊である自分を抱きしめて

よもぎと薬草のブランド – suu –
主宰 佐々木美帆

 

08/23/2022

「人は、自分で自分を癒す力をもともともっている。植物は、その力をすこし後押ししてくれるかもしれないだけ」

「癒されるか、癒されないか。最終的にはその人次第」

「念じるみたいに『みんな良くなれ~良くなれ~』っていうのは、ないんですよ」

福岡県の糸島にある海辺のアトリエでよもぎ茶をつくる – suu – の佐々木美帆さんは、カラカラと笑いながらそう話す。

自然が、全てを癒してくれるわけではない。自分の外からくるものが、全てを満たしてくれるわけではない。生き物に備わる根源的な力強さを信じる彼女の言葉は、人を甘やかさず、誠実なやさしさをもって、響く。

美帆さんが生まれ育ったのは東京都の世田谷区。首都圏でありながら、当時暮らした実家の近くには自然があふれていた。幼少期には、自然を愛する祖父とともに近くを流れる多摩川へ遊びに行っては、野生のシイやクルミの木になる実をとったり、土手に生えるよもぎやつくしを摘んだりと、身近な植物に親しむ日々を過ごした。

その後、渡米、帰国、渡米を繰り返し、獣医やIT関連の仕事に就く。しかし業務に忙殺され、「どうしたら自分のこころを大切に生きていけるのか」と思い悩んだ末に出した答えが、自然の中で過ごしながら植物に関わる生業をすること。帰国に際して、「東京で暮らすイメージが湧かない」と調べてたどりついたのが、海の美しい糸島だった。

「糸島の田んぼの畦道を歩いていると、朝と晩で様子が違うんです。数日経てば、以前見かけなかった花が咲いていることもあります。そういう、いままで自分の世界の中にあったのに、見えていなかったものがあったことを、糸島に移り住んで気付くようになりました」

スーパーに当たり前に並ぶ食材を買い、摂取する生活は、この土地で暮らす上での「当たり前」ではない。たとえば正月に食べる七草粥の材料を、裏山や野に育つものを自分たちで摘み、食す人たちがいる。自然と人の営みが無理なく結びついたこの土地で暮らすうちに、気まぐれから美帆さんも、野草を摘み、お茶にすることにした。ここから、 – suu – は始まっていく。

「はじめから今まで、(よもぎ茶は)実はずっと自己流なんです。よもぎそのものが食べられるし、飲めるし、蒸せるし、なんならお灸の原料としても据えられる。長い歴史を持った活用の幅の広い薬草だけれど、この植物の食材としての、お茶としてのポテンシャルを最大限に引き出そうとしている人や会社はおそらく他にないんじゃないかな?と思って」

もともと実験をしたり、アカデミックな視点でものごとを捉えたりするのが好きな性分。それに「あくまでも雑草出身」である – suu – のよもぎ茶は、育った場所や摘む季節、時間、タイミング、干され方など、その全てが複雑に絡み合って生まれるもの。出来上がったお茶も当然、振れ幅がある。「だから、やればやるほど応えてくれる一方で、一瞬も気が抜けないし、すごく緊張する」とやりがいに満ちている。

あくまでも「自然からいただいているもの」という感覚から、美帆さんは「お裾分け」という言葉をよく使う。

「こころを開くと、いろんな香りや情景が体に入ってくるし、自然と通じ合うことができるようになるんです。そこで気付くこと、学ぶことがたくさんあって、それはインターネットでは調べきれないもの。それを受け取ると生きていてよかったと幸せを感じるからこそ『お裾分け』したいと思うんです」

自然のままの野原や里山に育つよもぎをお茶にして、生業とする。しかし、美帆さんにとって「お裾分け」だと思えるラインを超えてしまえば、それは「自然からの搾取」となってしまう。ビジネスやお金のことだけを考えればもっとうまいやりかたはあるけれども、それはしない。

「多分、なんか通じ合えなくなるから。自然と」

「だから多く作れないし、安くできない。けれども、お金のために植物に触れている、自然の中に入っていくと感じないところにいたい」

もとより「自然の中に入り、自然から受け取る感覚から、大きな巡りの中で生かされている安心感があった」と話す彼女は最近、ただ受け取るだけではなく、よもぎを育てる圃場を整備し、土を作り始めた。それを経て、この考えはさらに熟成されていく。

「今までは生きることと生かされること、すなわち『生』を見ていましたが、土に触れることでその先の『死』と向き合うようになりました。全ては土に戻るということ。土ってひとつの物質のことではなく、ありとあらゆる物質、生命の果てというか。それが次の命の肥やしとなって、育んでいく。土に変わるという、壮大さ。いずれ自分もここに戻っていく、というような感覚を得ました」

よもぎ茶の作り手が土を作り、畑を耕すと聞けば自然な流れのようで、そして、美しい物語のようにも聞こえる。しかし実際には、決してそのような美談ではない。

舞台裏を覗くと、そこには昨今の気候変動や、里山への除草剤の散布などによるよもぎの味や香りの変化、加えて、摘み手や担い手の減少によって、上質なよもぎを使ったお茶作りが現実的に不能となった外的要因があった。国内外からさまざまな問い合わせが続く状況にあるにも関わらず、である。

土や畑づくりは、それを受けて昨年、ブランドを畳むことも現実的に考えうる逼迫した状況において「自分たちでよもぎを育てよう」と苦渋の決断を下した結果にすぎない。実際に畑仕事を開始するまでおよそ半年。立ちはだかる行政課題に挑み、何度はねつけられても挫けずに、進むべき道を拓こうと努力を重ねてようやく、今年も無事によもぎ茶を作ることができた。

「満ちることがあれば、後ろに引くこともある。海という大きな水の塊でも月の満ち欠けによって大きく変化するのだから『小さな水の塊』である私たちもいろんな波や変化があって当たり前。ずっと右肩上がりで伸びていかなきゃ、とやっぱり思いがちですけれども、それってすごく自然の摂理から離れていることだと思います」

糸島に暮らして「そうした揺れ戻しを受け入れられるようになってきた」と美帆さんは話すが、糸島での暮らしが美帆さんに影響したのかもしれない。

「もともとそういうことを自然体にできる人もいるでしょうけど、私は何年か前までは六本木の近くに住んでいて、あらゆるものをスーパーで購入するとんでもないスピード感で暮らしてきた真逆の人間だからこそ、毎日揺れて『自分の真ん中ってどこだっけ』といつも思っています」と、自らの暮らしを振り返って続ける。

「『自分の真ん中』を取り戻すために生きているし、それが自分の思い通りじゃなかったとしても、面白がって、揺らいでいければいいかな」

対話の途中、美帆さんはこともなげにこんな一言を呟いた。

「今は佐々木美帆っていうこういう形で生きているけれども、いずれあらゆるものの境界線って溶けてなくなるような気がします」

生きることも、死ぬことも、ニュートラルな目線で見つめる。その過程が健やかなものであるよう、大きな巡りのなかに生まれるさざなみや大波を抗わずに受け入れ、その感覚を世界へと「お裾分け」していく。

彼女のよもぎ茶は、その循環の一瞬を掴んだ、わかりやすい形となったものにすぎない。

その「すうっ」ととけて身体に沁み込むお茶を一杯いただく。そこで感じて気づく根源的な自分の強さ、力。あなたにも満ちるものがあるだろうか。




佐々木美帆
よもぎと薬草暮らしのブランド – suu – 主宰。土地や関わる人に無理のないよもぎの栽培、生産を行い、「やさしく、すうっと」体に沁み込むようなお茶作りを行う。