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【Papersky Archives】

山伏 ─ 山の行者たち

出羽三山の深い霧のなかに消えていく人影は、山伏である。人目を忍び、儀礼を重んずるこの修行者たちは、千年以上も昔から、厳しい自然環境と完全に一体化することをめざし、出羽三山の神聖な場所で超自然的な能力を得るための修行に励んできた。

08/12/2021

Story 01 | 肉体は宙を舞い、消えていく

山は人間の心を捉えて離さない。山は初めて出会う塔であり、そびえ立つ信仰の対象であり、記念碑である。古代の人々は山々を畏敬し、ひれ伏した。多くの農民にとっては、自然の容赦のない力をなによりも鮮烈に象徴する存在となった。日本ではすでに7世紀に山岳信仰の習わしがあり、9世紀には聖僧たちも山々を崇めた。この信仰が、修験道──呪術を操る僧、役行者が創始した混淆宗教──のインスピレーションのひとつになった。

修験道は信仰ではなく、「道」である。神道と仏教と精霊信仰の考えに、神秘的な呪術や厳しい山岳信仰の儀式が合わさったものである。過去には、北日本にある村々の約90%に修験道の僧や山伏(修験道を実践する者)が住んでいた時代があった。今日では、出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)周辺で暮らす修行者だけでなく、全国各地から訪れる修行者たちが、羽黒派の最高位、「大先達」を務める島津弘海に師事している。

「15歳のときから山伏の修行をしています」。抽象的な形を描くように手を動かしながら、島津は言った。

「私は山伏の家系に生まれました。これが私の運命です」。彼には、日本以外には見られないこの独特の信念体系の指導者として、修験道を後世に伝える責任がある。

じつのところ、この教えは150年前に一度根絶やしにされかけた。明治維新によって神道が国教化されたため、修験道を含む仏教が禁止されたのである。しかし、ひと握りの山伏が出羽三山に身を隠し、1946年に新憲法が発布され、再び修行が許されるまで修験道の火を消さずに守り抜いた。こうして復活した山伏たちは現在、新たな注目を集めている。研究者、指導的立場にある人々、会社員、管理職、医師さえもが修験道の儀式に価値を見出すようになっている。島津自身は、「季節が変わるごとに山に入り」修行しているという。

「修行で体験することは毎回違います。しかし、なんと言っても難しいのは自分の心と闘うことです」。

山のなかをひたすら歩く「山駈け」、何日かにわたる断食、不眠不休の祈祷などからなる長く厳しい修行の目的は文字どおり、生まれ変わること。生まれ変わって、心も身体も宇宙と一体化することにある。しかし、このような短い説明で、山籠もりで得られる知識の真髄を伝えることはできない。そこで起きることは、理論的な知識ではなく、身体的に生まれ変わった経験がもたらす再生。世の中のいたるところで起きているが、ほとんど気づかれない類の変容なのである。

< PAPERSKY no.34(2010)より >

text & photography | Cameron Allan McKean Coordination | Lucas B.B.