地球が育んだ大地の恵みとヒスイ文化
糸魚川を知ろうとすると、はるか太古にまで想像を巡らせることになる。数万年前に日本列島はアジア大陸から離れ、そのときにできたフォッサマグナ(大地の溝)で火山と海底の隆起が起こり新たな地層ができた。地層に沿って塩の道が伸び、海深く1,000mから標高3,000mにおよぶ地層は糸魚川の豊かな自然景観をつくり、この地にさまざまな恩恵をもたらしている。清らかな水、その水で育つ農産物、森林資源、湧き出る温泉、さらに糸魚川がヒスイの産地であることも。
大陸の地下深くで生成されたヒスイは、プレートや火山の活動で地表に出て、青海川や姫川の上流から海へ流れ着く。古代縄文人はそのヒスイを拾い、珍重していた。古くは7000年前に石を加工する石斧などの道具を、後に装飾品として大珠や玉をつくり、驚くべきことに東日本を中心に全国へ流通していたというのだ。その交易拠点として栄えたのが「長者ヶ原遺跡公園」一帯だという。
「考古学的にみて、数千年の長期にわたり信仰の対象やステータスになっていたヒスイのような石は他にないんです」とは、小池悠介さん。糸魚川市の学芸員として、市内で発掘された貴重な資料が並ぶ「長者ヶ原考古館」などで、古の糸魚川人がつないできた文化を伝えている。糸魚川には青海川、姫川、早川、能生川など河川に沿って7つの谷があり、それぞれに異なる文化を育んできた。「この地形的特性は人が定住するようになったころからほぼ変わらず、当時の生活の拠点がそのまま現在の街に発展しています。だから市街地には密な遺跡の分布が見られるんですよ」。ヒスイ海岸、谷筋の町と川、そして遺跡と。世界が認める糸魚川ジオパークでは、壮大な時の物語が、今なお綴られていた。


