人呼んで「裏しまなみ海道」
「このあたりの島はたいてい行ったけど、向こうのほうは全然行ったことがないのよ」
しまなみ海道で出会った人はこう言った。
「香川の島に行くことはあっても、あっちはありませんねぇ……」
ゆめしま海道の住民はそう口にした。
しまなみ海道は尾道と今治を結ぶように延びる。その東に浮かぶのがゆめしま海道。とびしま海道は、しまなみ海道の西に浮かぶ島々から構成されている。7つの島が7本の橋で結ばれていて、その距離はおよそ30km。電動モーターサイクルや自転車でも、一日あれば走り抜けられる。名前の由来は、庭園を渡る飛石のようなアイランドホッピングからだという。
観光客の喧騒とは無縁で落ち着いた雰囲気の島々は、「裏しまなみ海道」なんて呼ばれ方もする。でも、裏へ奥へと行かなければ見つけられないものがあるはずだ。庭園を分け入っていく、あの飛石のように。
大崎下島が誇る3つの黄金
とびしま海道には、いくつかの入り方がある。しまなみ海道からなら大三島が便利だ。西瀬戸自動車道を下り、島の西端まで走ると、愛媛の島々や今治を結ぶ宗方港に着く。その航路のひとつになっているのが、海道の東端である岡村島。島へと渡るフェリーに乗り込むと、旅行者がめずらしいのか、乗船場のおばあさんが心配そうに見送ってくれた。
岡村島はとびしま海道で唯一、愛媛県今治市に含まれる。漁業が盛んな今治らしく、島に着くなり風情ある港に迎えられた。
とびしま海道の旅の起点とするなら、岡村港では「関前食堂」に立ち寄りたい。建物は元迎賓館をリノベーション。島の魚を使った定食、島レモンのバターチキンカレーなど、島に惹かれて首都圏から移住した加藤成崇さんが腕を振るう。
岡村島を出ると広島県呉市に入る。無人島の中ノ島、平羅島を飛ぶように駆け抜け、大崎下島に上陸。いまでは裏とされるが、柑橘栽培においてはこの島こそ瀬戸内の先駆けだ。明治の終わりに九州から早生みかんが導入され、島の斜面に段々畑を形成。「耕して天に至る」と形容されるほど広まり、やがて周囲の島々に波及していった。秋の収穫時には、たわわに実った柑橘が島を黄金色に染め上げるという。
さらに大崎下島には、黄金と呼ぶべきものがもうひとつある。江戸時代にタイムトリップしたかのような集落が残る御手洗町並み保存地区だ。17世紀半ばから昭和初期まで約200年間にわたって潮待ち、風待ちの港町として発展。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されたのは、同じ瀬戸内海に面する有名観光地、鞆の浦より20年以上も早かった。
「御手洗はたくさんの偉人たちをも魅了してきました。伊能忠敬、シーボルト、坂本龍馬など。海の音、鳥の声は当時からきっと変わっていません。夜の月明かりや船の気配もきっとそう。江戸期の建物から見る瀬戸内の風景に浸り、島の海の幸や山の幸を心ゆくまで堪能していただきたいです」
そう教えてくれたのは「閑月庵 新豊」を営む井上明さん。御手洗の風景に耳を澄ませてもらいたいと、1日1組限定宿を営んでいる。一時は旅館だったこともあるという築150年の建物をリノベーション。瀬戸内の美しい水平線を望める客室は、アカデミー賞国際長編映画賞受賞が記憶に新しい『ドライブ・マイ・カー』のロケ地にも採用された。国内外からファンが訪れる、大崎下島の新しい黄金だ。
島民の悲願を架けた安芸灘大橋
とびしま海道には本州から陸路で渡ることができる。呉や広島の街からだとしまなみ海道よりも近いため、週末にはキャンプやツーリングに訪れる人々がめずらしくない。その受け皿として、海道の本州寄りにはキャンプ場や海水浴場が充実している。
大崎下島から豊島を経て上陸する上蒲刈島には「県民の浜」がある。一帯は滞在型のマリンリゾート。天然ラドン温泉や天体観測館を併設し、シーカヤックなどマリンアクティビティも体験できる。白砂青松のビーチは開放的で、それまでののどかな田舎情緒とはまた異なる趣だ。
蒲刈大橋を渡って下蒲刈島に入れば、とびしま海道は安芸灘大橋を残すのみである。2000年に開通した橋は、いまもなお全国最長の県道橋。それだけの橋が架けられたという事実から、島々の暮らしにとって本州と結ばれる橋の建設は悲願であったことも想像に難くない。
安芸灘大橋を渡りつつ、とびしま海道の30kmで過ぎ去った風景を想う。そして同時に、御手洗でとどめられていた時間を思い出す。島影が後方へ遠のいてもなお、穏やかな波の音が耳奥で残響していた。
TOBISHIMA GUIDE
関前食堂
愛媛県今治市関前岡村甲852-4
TEL: 090-7211-5571
閑月庵 新豊
広島県呉市豊町御手洗313
TEL: 050-7128-3003
乙女座
広島県呉市豊町御手洗248
TEL: 0823-67-2278
県民の浜
広島県呉市蒲刈町大浦7605
TEL: 0823-66-1177