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Star Atlas –街の星図を探して–

小林研哉(一 hashime)

静岡編 vol.12

その土地に点在する魅力的なヒト、モノ、コトは、“星”に例えることができる。光の強さ、色、輝き方はさまざまな星たち。それらのストーリーを一つずつ紐解いていくことで、その土地だけにある「Star Atlas(星図)」を浮かび上がらせていく静岡編の第十二回。

06/22/2023

自ら材料を育て、組み上げる箒の伝統と新しさ


日本では平安時代から掃除に使われるようになったと言われ、暮らしに馴染みの深い道具である箒(ほうき)。

静岡県西部に位置する袋井市で、手作業と無農薬栽培にこだわった材料で箒をつくっているのが、小林研哉さんだ。小林さんが箒づくりに興味を持ったきっかけは、福島県の西会津で箒やかごをつくる職人だった祖父の影響だった。

「実家では昔からおじいちゃんの箒を使っていました。子供の頃から毎年お盆には家族で西会津に戻っていて、おじいちゃんの作業場にかごが山盛りになっているのを見ていましたね」

右側が小林さんの祖父、一(はしめ)さんがつくっていた箒。

ものづくりが好きで、友達の家のウッドデッキをつくるなど大工仕事もやっていた小林さんは25歳の頃から、祖父にかごづくりを教わりに行くようになる。「教わってみて、こういうものづくりにすごく興味が出始めました」

入退院をくり返すようになっていた祖父からは「箒の材料が余っているから、箒をつくれ」と言われていたが、その頃の小林さんはかごにしか興味がなかったという。

数年後に祖父が亡くなり、箒をつくれと言っていたなと思い出した小林さんはまず、祖父と一緒に箒をつくっていた近所のおばあさんにつくり方を教わった。それから箒職人になろうと志して修行先を探し始め、約10年間勤めていた地盤調査の会社を辞めて、神奈川の箒屋の門を叩いた。

そこで出会った師匠の山田次郎さんに、箒の伝統的なつくり方や基本的なことを教わる。自ら手を動かす中で、箒づくり全体のことがわかり始めたのは3、4年経ってからだった。

「工程のうち、伏せ込み(箒の肩となる部分を、木槌で叩きながら糸とひもでまとめていく)と、終盤に行う大とじ(太めのひもで穂の厚みと幅をまとめる)はそれまではすごく嫌いだったんですけど、その頃からは好きになりました」

箒の肩となる部分をまとめていく、伏せ込みの工程。美しい網目が形づくられていく。
最後に行う重要な工程、大とじ。ボリュームがあって広がっていた穂の厚みと幅を、太めの糸でまとめていく。

そして、2022年5月に独立。生まれ育った袋井市に工房を構え、祖父の名前である「一 hashime」を屋号とした。

工房内の小上がりのたたみ2畳のスペースで、木槌や大きな針も使いながら一本一本、丹念に箒をつくり上げていく。取材の日に作業の様子を見せてくれたのは、長柄箒七玉という両手で持って床を掃くための伝統的な形の箒だ。

完成した長柄箒七玉。穂先が柔らかい。手入れをすれば長く使えるのも特徴。

材料に使うのは、イネ科のホウキモロコシ。その種をまくところから、小林さんの箒づくりは始まる。

「食用ではないので、箒をつくるためだけに使われている品種です。国産で箒をつくっている人たちは基本的に、自分で栽培もしながらやっています」

箒の材料として使われているホウキモロコシ。

栽培の時期は稲とほぼ同じだ。

「5月頃から種をまいて、梅雨明けして7月末頃から1カ月半ぐらいかけて収穫していきます。2、3カ月ほどで約2、3メートルに伸びて、その先端から穂が出てくるので、収穫は1本1本、上の方からたぐり寄せて獲っていきます。その日のうちに脱穀して、3日ほど天日干しをします」

小林さんは工房のすぐ近くを含めて畑を3カ所借りて、ホウキモロコシを栽培している。
「そんなに難しい栽培方法ではないんですけど、無農薬で育てているので、栽培期間中は毎日どこかの畑の除草作業をしながら、ホウキモロコシの成長を見て確認して、という感じですね」と、小林さん。

小林さんは畑の作業も1人でやっていて、収穫が始まると箒はつくらず、収穫作業に集中する。この日使ったホウキモロコシは、去年収穫したものだ。

箒の柄に使われている虎斑竹という黒竹。

柄の部分の素材は竹。

「これは黒竹、虎斑(とらふ)竹という竹ですね。自分は黒い糸を使う時はこの黒竹を、白い糸の時は白い竹を使っています。最近、釣竿にも使われる肉厚で丈夫な布袋竹を入手できるようになったので、今後は使っていこうと思っています」

竹割れ防止のために、小林さんは柄に籐を巻いている。籐については、小林さんは金継ぎならぬ、“籐継ぎ”を編み出している。

「浜松にある陶器を扱うお店、ニワノアイダの方から、本当に自由にやってくれていいと言われたので、皿に穴を開けて籐で編んだのが始まりでした」

ヒビの入っていた皿に穴を開けて籐で編んだ、籐継ぎ。お皿はこの連載の第2回に登場してくれていた、紅林親さんのもの。

伝統的な箒をベースに、アレンジしながら形を変えることもある小林さんにとって、その着想やインスピレーションはどこから来ているのだろうか。

「自分でもすごく考えますが、お客さんにこんなのが欲しいとか、サイズ的にこれぐらいでとか要望をもらって、こんなのどうですかとつくって持っていく方が多いですね」

自然の素材が相手で、締め具合なども数値の目安があるわけではないので、作業の上での加減や調整は自身の感覚が頼りになる。

「その年の穂の状態によっても変わってきます。細い穂ばかりが獲れた年は本数を多めにして編んだり、そういう調整をしながらつくっています」

工房のすぐ横で美容師の奥様が営む美容室。カットの後に切った髪の毛を払う際も、箒の細かい穂がきれいに絡め取ってくれるそうだ。展示されている小さな箒は、小林さんが考案してつくった形。ここでも箒の販売や注文を受け付けている。

箒づくりは「楽しい」と語る職人の小林さんが感じる、箒のよさとは。

「音も出ないし、電気もいらないし、どこでも使えるので、使う時間を気にしなくていいということですね。置いておけば、いろんなところで使えるなっていう。掃除機の補助として箒を使ってもらうのもいいと思ってます。伝統的なものなので、フォルムも含めて何か美しさを感じています」

飾ってあるだけでも絵になる「一 hashime」の箒だが、そのよさがわかるのは、やはり使ってこそだ。普段、主に掃除機を使っている人や、日本の伝統的な箒を使ったことがない人にとっては、“箒の再発見”と感じるような出会いになるかもしれない。


小林研哉
静岡県袋井市出身。25歳の時に、蔓(つる)細工職人の祖父にかごのつくり方を教わり始めたのが手仕事の職人を志した原点。2015年から神奈川の箒職人、山田次郎氏を師匠とし、本格的に箒づくりを始める。2022年に「一 hashime」を立ち上げ、独立。

text | Takeshi Okuno photography | Hitoshi Ohno