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Star Atlas –街の星図を探して–

井上靖彦(Simples)

静岡編 vol.7

その土地に点在する魅力的なヒト、モノ、コトは、“星”に例えることができる。光の強さ、色、輝き方はさまざまな星たち。それらのストーリーを一つずつ紐解いていくことで、その土地だけにある「Star Atlas(星図)」を浮かび上がらせていく静岡編の第七回。

10/31/2022

文化や価値観が融合された食の体験


海と山、自然に育まれた静岡の食材の魅力を活かした料理を提供している静岡市葵区のレストラン、Simples。中でも魚については、駿河湾で水揚げされ、サスエ前田魚店の前田尚毅さんによって仕立てられた新鮮な魚の良さを際立たせた、ここでしか食べられない料理を味わうことができる。

オーナーシェフの井上靖彦さんは生まれ育った大分県日田市で自身の店を3年ほど営業した後、奥さんの出身地である静岡に8年前に移住。友達もいない土地で、食材の仕入れ先を探すところからスタートし、Simplesをオープンした。

Simplesにおいて「シンプル」とは、余計なものを削ぎ落としたエッセンスのこと。修行時代や旅、人との出会いを通して井上さんが身をもって体験してきたことが融合され、一皿一皿に表現されている。

料理人としての始まりは、20歳の頃に福岡で就職した「KIHACHI」。アメリカ・カリフォルニアのフュージョン料理が日本に入ってきた時代で、その第一人者、熊谷喜八さんの店で創作無国籍料理を学んだ。

「興味を持って働いているうちに、一つ一つの国の料理が複雑すぎて、やっぱり日本で手に入る料理本ではわからないなと感じたんです。これはもう住んでみないとわからない、海外に行こうと思いました」

写真左の料理はドーマンガニと鹿のコンソメ
クロムツの柑橘ビネガーソース

そして渡ったヨーロッパでは、ベルギーの田舎とフランスのパリで合わせて3年、イタリアでも3年、修行を重ねる中で、食を通してそれぞれの土地の文化を直に感じた。

「フランスの三つ星レストランで働いていた時に、フランス料理は実は宮廷料理だったということに気づいて、じゃあアフリカ料理とかアフリカはどうなんだ、と世界のことにものすごく興味を持つようになったんです。旅行でモロッコやトルコにも行きました。その土地の食と文化って、やっぱりものすごく似ているというか、同じじゃないですか。食事の楽しみ方も場所によってそれぞれで、手で食べるところもあるし、必ずしもフォークとナイフと白い布があることがすべてじゃないっていうのを感じました」

静岡へ引っ越してきた頃に、お客さんとしてやってきた中にサンバ隊の隊長がいた。音楽からも南米を感じることができるのではないかと、井上さんはサンバ隊の打楽器に加わった。高校時代にバンドでドラムの経験があったが、大人数で演奏するサンバの練習では全く勝手が違った。ロックのように強く叩くと、隊長からは徹底して怒られ、うまくいった時には涙が出てくることもあった。

ブラジル音楽の要となる打楽器、パンデイロ。ストリートサンバ「パゴーヂ」で使用される

「僕は全部1人で何でもやらなきゃいけないと思っていたけど、みんなで波長を合わせて演奏すれば、ものすごく大きなものになるっていうことを感じて、それがブラジルの一つの文化なのかなとすごく感じました」

同じ頃、アメリカ・カリフォルニアのバークレーでの2週間の研修でも、まるっきり考え方が変わる経験をした。井上さんはヨーロッパでの修行時代に、田舎でも1軒のレストランがその街を変えるのを見てきて、自分も食で地元に人を呼べるようになりたいと考えていたが、そのやり方や経営のこともまだよくわかっていない時期だった。

「シェ・パニーズ」と、そのイズムを受け継いだ卒業生たちの店での研修では、どの店のやり方もユニークで驚かされた。

「材料は何があったっけ、と朝にみんなでその日のメニューを決めるんですよ。ズッキーニの花があるけど、これをどうしたらいいと思う?って話していたり。そういうラフさというか、楽しさですよね。常に新しいものが生まれるのはこういう環境じゃないかなって、理解するまでに10日ぐらいかかりました」

シグネチャーディッシュ、もち旨鰹。その日の午後に駿河で水揚げされ、サスエ前田魚店の前田尚毅さんが仕立て、その夜にSimples のみでいただける逸品。鮮度抜群で餅のようなやわらかい食感を持つ。

その後、Simplesで今までと違う切り口で料理を出していけるか悩んでいた時期には、何かヒントがあるのではとアマゾンを訪れた。2000年前の暮らしが残る場所で数日間、先住民と生活をともにし、そこでも自分とは全く違う価値観に衝撃を受けた。

井上さんがSimplesでやりたいのは、自身が感じてきた、いろんな国の文化や面白さ、価値観をみんなに伝えることだという。

無肥料・無農薬で育つブラジル・アマゾンのバルゼア野生種カカオを使ったアイスクリーム

2023年春頃に、静岡市内の丸子に移転予定の場所では、これまでの街中の店舗では実現できなかった構想も広がっている。室内の客席の近くには、周辺の自然の木を置いて、緑の中で食事をするような雰囲気になる予定だ。

「料理に自然の素材を使っているので、やっぱり自然の中にレストランがある方がいろんな意味でリンクするというか、お客さんにそこで感じていただけることがあっていいんじゃないかと思って、4年ぐらい前から場所を探していました。目の前に海があれば、なんで料理に魚を多く使っているかの説明もいらないし、例えばお魚が少ない日も、海が荒れているのを見れば理由がわかりますよね」

「もともと田舎生まれで、都会よりも田舎が好き」と話す井上さんは、生まれ故郷の大分にも似た、自然と近いロケーションならではの新たな取り組みも思い浮かべている。

「この辺りで取れる野草や、お茶を使った一品からスタートして、少しずつ魚料理に変わっていくようなコースはどうかなと考えています。月に2、3回は通常営業じゃなくて、例えば山を歩いたり走ってきてレストランに着いたお客さんに、おにぎりや味噌汁をお出しするイベントもやってみたいですね。100人くらい呼んで、外では音楽の演奏があったりとか。

食はみんなの共通のツールというか、どこから来てる人でも、同じおにぎりを食べている時は同じ仲間みたいな、そういうのが食のすごく大きなパワーの一つかなって思ってます」



井上靖彦
20歳の時に料理人としてのキャリアをスタートさせ、ベルギー、フランス、イタリアなどでの修行を経て、出身地の大分県日田市にレストランを開店。2014年に静岡へ拠点を移し、静岡市葵区の浅間通り近くの路地にレストラン「Simples」をオープン。焼津の「サスエ前田魚店」前田尚毅氏が仕立てた魚をメインに、厳選された静岡県産食材を堪能できるコースを提供している。「Simples」は2023年春頃に、同じ静岡市内の駿河区丸子に移転予定。

text | Takeshi Okuno photography | Hitoshi Ohno