旅の始まり、多島美の出迎え
「本当にきれい。多島海って言葉は聞いたことがあったけど、この景色を指すんだね」
千光寺の鼓岩に座り、山瀬まゆみさんが感嘆の言葉を漏らした。白いシャツに描かれた抽象的なペインティングは自身の作品。「目に見えないけどそこに確かに存在するもの」をテーマに活動するアーティストだ。
隣の鶴田さくらさんは、電子音楽家やDJとして活躍するミュージシャン。最初に立ち寄った「茶立玄 山手」で広島在来の緑茶を飲み、出身県の見知らぬ一面を知ったばかり。
「広島でお茶がつくられているなんてびっくりしました。時間を肌感覚で捉えられるような建築、風景も印象的。代表の高橋玄機さんも落ち着きがありつつ、夢に向かってひたむき。瀬戸内に暮らしているからそうなのか、旅をとおして知りたいですね」
穏やかな海が描く夢の輪郭
尾道と今治をつなぐしまなみ海道を、アイランド・ホッピングのように「CAKE」の軽量電動モーターサイクルで駆けていく。橋を進みながら、山瀬さんが呟いた。
「島をいくつも渡っていく旅なんて初めて。自分がどこにいるのかわからなくなりそう」
尾道から向島、因島、そして生口島へ。瀬戸田の「SOIL Setoda」をベースに、隣のゆめしま海道にも足を延ばした。島民と出会い、その言葉に耳を傾ける。食事どきにはお好み焼きや新鮮な海鮮でお腹を満たした。
旅の終わりに、SOIL併設の「OVERVIEW COFFEE」でコーヒー片手に旅を振り返る。
「さくらはなにがいちばん忘れられない?」
「音楽をやっている身としては、デイヴ・シンクレアさんに会えたことかな。夫はイギリス人だから、『彼のレコードを僕は何枚も持っているのに!』って私に対するジェラシーがすごい(笑)。どうして島に移住をと思ったけど、海のそばの暮らしを知ったら納得」
「スタジオのシンセサイザーに夢中だったね」
「まゆみはどこ? 『素白』では作家物の器とインドの手紡ぎ布を買っていたよね」
「取材そっちのけでね(笑)。店主の中尾早希さんが自分の言葉で紹介してくれるから、この人が薦めるものなら信じられると思った。あとは『島旅ヨット』のクルージング!」
「私も! あれはスペシャルな体験だよ」
「海にヨットで出るなんて人生初。景色がきれいなのはもちろん、海の上で過ごす時間そのものが特別な感じ。帆をアップサイクルしたビーチバッグがあって、さくらはひと目で買うと決めたでしょ」
「そうそう、キャプテンの齋藤サムさんのハンドメイド。船も自分でつくるし、バイタリティの塊だよ。リラックスした人に見えて、内にはすごい情熱を秘めている感じ」
「たしかに、この旅で出会った人はほとんどがそうかも。サムさんは『生活費が安く、雑音の少ない島の暮らしでは、夢へのハードルを下げられる』と言っていたね」
「プレッシャーに追われるのではなく、自分のペースで夢を実現しようとする人ばかり。瀬戸内海が穏やかに凪いでいるみたいに」
「さくらと後閑麻里奈さんは同世代?」
「うん。何かにチャレンジするとき、私だったらまず考え込んじゃうけど、彼女は反射的に飛び込んでいてすごいと思った」
「アイドル農家の『みなと組』のふたりなんてまだ25歳。力まず、気負わず、夢を追いかけられるのが瀬戸内なのかもしれないね」
尾道に戻るバスの出発が近い。別れの挨拶を交わしていると、隣にいた島民が教えてくれた。陸ではなく海から、船で戻る選択肢があること。旅の終わり、穏やかに凪ぐ海がもたらすものをまたひとつ新たに知った。