長浜市は、滋賀県の湖北エリアに位置する。天下統一前の豊臣秀吉が初めて築いた城の城下町であり、北国街道の宿場町でもあって、古から人々の暮らしと行き交いがあった。そして、琵琶湖をはじめ余呉湖、姉川、高時川など、水に恵まれた場所でもある。




人が集い、水の湧くところには、酒所あり。長浜市木之本にある「冨田酒造」は天文3年(1534年)の創業。2002年、冨田泰伸さんがこの歴史ある蔵元の15代目当主となったときにまず決めたのは、地酒の“地”の部分にあらためてフォーカスすることだった。
「フランスのワインやスコットランドのウィスキーなど、それまで視察したどの現地でも、こういう土地だからこういう味の酒になる、この味だからこの郷土料理と合う、といったテロワールの話ばかりでした」
方々で知見したその“土地の味”はしかし、帰国して翻ったとき、日本酒からは消失していた。
「当時の日本酒は下火になって久しく、だからこそ日本酒を残していくためにも、いま見直さければ」、冨田さんは奮い立った。



日本酒の原料は、米、そして水。冨田さんがまず手をつけたのは米だった。県内の米農家と契約し、県外の有名品種でなく、滋賀県の品種を栽培してもらうことにこだわった。
そんな冨田さんの考えに共鳴し、2010年から冨田酒造の酒米を手がけている農家のひとりが、「お米の家倉」の家倉敬和さんだ。県の在来種である滋賀旭をわずか30gの種籾から復活させ、無農薬・無肥料で栽培している。



これで、地元の酒米は確保できた。次は水だ。人が育てる米に比べ、水はより自然に近い。
「どこかに降った雨水が地中を通って、うちの井戸まで流れ着く。大地を吸ったその水を、仕込み水にしているわけです」(冨田さん)
水は、いわば大地そのもの。そもそも米の栽培にしたって水を大量に使うわけで、であるならば、とにかく水が、その土地を表現するいちばんの基盤となるといってもいい。水こそが、テロワールなのではないか。


冨田さんはさっそく、長崎大学の教授と学生に地下水調査を依頼。「冨田酒造」の界隈の湧き水を数十箇所調べてもらうと、おおよその水脈の位置と、標高800メートルほどの山に35~40年前に降った雨水が水源だということがわかった。
そのデータをもとに、滋賀の流域政策にも詳しいハイドドロジーの専門家、滋賀県立大学の瀧健太郎教授によって、水源のおおよその場所が突き止められたのは、ごく最近のこと。



冨田さんと瀧さんはいま、点群データに水の出入りや植生データなどを加えた「流域の立体データマップ」をつくろうとしている。誰の目にもわかるようなかたちにし、それを見ながら、守るべき森についてみんなで酒を飲んで語り合う「酒造の森プロジェクト」だ。
「水の流れは、水、生き物、(窒素やリンなどの)物質、物流など、さまざまな“道”でもあります。琵琶湖はかつて、日本海と大阪の物流の水路でもありました。もしかしたら『七本鎗』も運搬されていたかもしれませんよね。水のつながりの文化を、日本酒に絡めてみんなで守っていくような運動を目論んでます」(瀧さん)





水源の森を散策し、森の間伐や田植えなど再生活動を体験し、この土地の文化と歴史を学んでもらう。最後は温泉に浸かって「冨田酒造」の「七本鎗」を飲んでもらう。そんなエコツアーもイメージ中だ。「地域のポテンシャルを活かした、本当の里山ツーリズムをつくっていけたらいいなと思っています。ヨーロッパにはThe Alpine Conventionといって、森を守ろうとする自治体が国境を超えてつながって活動する団体があります。私たちも、都道府県をまたいだ酒造メーカーが協力し合って、『酒造の森コンベンション』をつくれたらおもしろいと思いませんか」(瀧さん)



「ローカルな米を使うのは昨今の日本酒業界でだいぶ浸透してきたので、次は、水。酒蔵が水を語るというのが普通になってくると、ますますいいうねりが起こってくるのではないでしょうか。うちの酒を未来に残したいという思いももちろんありますけど、それ以前に、水はみんなの資源。それをみんなで考えるとき、わかりやすさという意味で酒というものがプロダクトとしてあればいいかなと思っています」(冨田さん)
地域のポテンシャルを活かして、その土地だからこそできることを考えていけば、地域の未来はきっと拓けていく。長浜には、そのための一歩をすでに踏み出している人たちがいる。




滋賀みらい構想プロジェクト
https://note.com/shiga_mirai/