Connect
with Us
Thank you!

PAPERSKYの最新のストーリーやプロダクト、イベントの情報をダイジェストでお届けします。
ニュースレターの登録はこちらから!

小さな世界を楽しく変える「うろうろアリ」

青井篤子
(株式会社青い空に 代表取締役・シンガーソングライター)

"生命の循環を形にし、発信し続ける"

「うろうろアリインキュベーター」唐川靖弘が自分ならではの働き方や生き方を通じて世の中に新しい価値をもたらす「うろうろアリ」を紹介します。

11/28/2022

Playful Ant 09 – 青井篤子(株式会社青い空に 代表取締役・シンガーソングライター)

2017年11月、僕は熊本県球磨郡の多良木町にいた。清流球磨川が流れ、世界が認める球磨焼酎の産地でもあるこの美しい町をどのように持続的な存在にしていくのか?そのための手がかりを、ビジネスから暮らしまで幅広い観点から考えようと企画された多良木町主催のワークショップ「TBDC (たらぎビジネスデザインキャンプ)」。多良木町内外の人々と膝詰めで語り合う3日間に、ファシリテーターとして招待されていたのだ。

会場は、街全体を見渡せる素晴らしい高台に、この日のために特別に設えられたキャンプ場。早朝には雲海が出現する日もあった、まさに絶景の場所だ。参加者には毎朝、心身をリフレッシュしてもらうべく、雲海をバックにしたヨガを楽しむ時間が設定されていた。その雲海ヨガのインストラクターとして招待され、幼い息子さんと共にこのTBDCに参加していた1人が、今回紹介する青井篤子さんだ。

ヨガをリードする声が、とても美しく落ち着いていたのが印象的だった。ワークショップの合間に話をした際、普段はATSUKO AOIという名で「シンガーソングライター」として活動していると聞き、その二足の草鞋ぶりに驚きながら不思議と納得したのを覚えている。

程なく2018年、篤子さんは、その多良木での経験にインスピレーションを得て作詞・作曲した歌「たらぎの森」をリリースした。招待されたライブでその歌を聴き、力強く美しいその世界観に引き込まれた。そして2019年、今度は生甘酒と麹料理を提供する「こうじ家たらぎ」を仙川にオープンしたことを知り、美味しい料理の数々に舌鼓を打ち、その実行力に驚いた。

熱い想いを、次から次へとしなやかに実行に移していく篤子さんの驚きの行動力はいったいどこから来るのだろう?



エネルギーをぶつける場所を探し求めた10代


篤子さん:私の母親は最終的に小学校の校長先生まで勤め上げた熱心な教師でした。教師の子供には良くある話かもしれませんが、中学校の時には激しい反抗期がありました。親や学校関係者には、相当手を焼かせてしまったと思います。でもその一方で老人ホームでのボランティア活動も地道に続けるような一面もありました。いつも自分の中に“グツグツしたエネルギーが有り余っている”と感じながら、自分にとっての生きる目的を探していました。

エネルギーの向け場所もなくただ悶々と考え続けていた16歳の時、実家が檀家となっていたお寺に座禅をしに通った時期がありました。座禅堂では、生まれて初めて心静かに自分と向き合う時間を手に入れることができました。そしてその時初めて、“生命の循環”を意識して生きていきたいと思うようになりました。それまで生きる目的を悶々と探していた私でしたが、座禅堂で自分と向き合う時間の中で、自分が誰かに与えてもらった愛や優しさを、誰かの背中を押せるようなエネルギーとして循環していきたい、そう考えるようになったんです。

高校卒業後はビジネス系の専門学校に通いました。ここで歌との出会いがありました。元々は幼い頃、母が多忙だったため、いつもレコードとカラオケのある部屋で1人、歌を歌いながら時間を過ごしていました。思春期になるにつれて人前で大きな口を開けて歌うことが恥ずかしくなり、すっかり歌から遠ざかっていましたが、専門学校生の時に学内の歌唱大会に出なくてはならなくなりました。その時の自分にとって、歌を歌うことは、“一番恥ずかしくて一番難しいこと”。練習も大変で、大会直前は身も心もボロボロの状態だったのですが、一生懸命取り組んだ結果、“歌は自分のエネルギーを伝えるための手段だ”と感じられるようになり、それがきっかけとなって、色々な歌の大会に出るようになりました。

やがて、歌で食べて行くことが私の目標となっていました。そのため、東京に出て活動したいものの、そのためにはまずお金を貯めなければならない。そこで、地元富山の繊維関係の会社に就職しました。事務職での採用でしたが、事務所の中で1日過ごすのがどうにも性に合わず、社長に直談判し、すぐに営業担当に配置換えしてもらいました。

制服を会社に売り込むのが主な仕事だったのですが、繊維製品であればどんな商品でも提案することが出来たので、目に入ったどんな会社にも飛び込み営業していました。世の中には本当に色々な仕事があるなぁと、多種多様な業態に興味を持っていた私にとって、“御社は何をしている会社なのですか?”とか“どういう理念をお持ちなのですか?”というようなことを尋ねて回れる営業職というものは、本当に面白い仕事だと感じるようになりました。 “いつ、どの会社を訪問しても良いというパスポートを手に入れた”ように思いましたし、“失敗してもトライしまくっているうちにいつかは成功する”という自信も得ることができました。

「いろいろな会話を通じて隠れたお客様のニーズを理解し、お互いにプラスになる部分を見つけ、提案をして注文をとる」という、いわば何もないところに新しい価値を創るという仕事が本当に楽しくて、すぐに営業成績もダントツに良くなりました。結果、あっという間に最年少の管理職に抜擢されました。仕事も順調で、とても楽しいものの、私の中でフツフツと湧き上がるエネルギーは増すばかりで、いよいよ歌をやるタイミングが来たと東京行きを決意しました。




ビジネスの経験が拓いた、歌い続けるための新しい道

篤子さん:アーティストとして所属した事務所に住み込みながら開始した東京での生活でしたが、待っていたのはやはり甘くない世界でした。鳴かず飛ばずのままにその事務所を辞めた後は、ライブバーでウエイトレスとして働きながら、時々パーティーなどの場でリクエストされた曲を歌うことを続けていました。

ある日、ライブバーの常連客だった、とある会社の社長から思わぬ提案を受けました。その方の提案は、「やりたい歌の仕事に集中して思いっきり挑戦したほうがよいのではないか? 足りない収入面に関しては、歌の仕事の合間にビル設備機器を扱う私の会社を手伝えばいい」というものでした。スポーツでいうところの実業団契約のようなものに近い形だったと思います。

その後、社長や友人などとレコード会社を立ち上げ、はじめてのオリジナルシングル曲 “青い空に”をリリースし、シンガーソングライターとしての活動を開始することになりました。

会計事務所出身の社長からは色々なことを教わりました。歳も親世代と同じくらいであることから、“東京の父”として今でも慕っています。特に「大きなホールコンサートでも、小さなライブハウスでのライブでも、ひとつひとつを独立した事業として企画し事業計画を立てろ」と言われたことは、今でも強く印象に残っています。

私自身、歌で誰にも負けない結果を残そうと真剣に考えていましたし、歌が人生の全てでした。そして当時は、私が考える循環を生む方法は歌しかないと考えていたので、ライブ活動に関わるすべての人がハッピーになるにはどうすれば良いのか。毎回のライブ活動の結果を見ながら、ただ数字だけに左右されるのではなく、良い黒字なのか、または、意味のあるマイナスなのか。それをどう判断するのか。“ビジネスマインドを持つアーティスト“として、全体感を持って取り組むことの大切さを学びました。

photography : HIDEKAZU MAIYAMA

“東京の父”の指導とサポートの元に進めてきた音楽活動。2005年以来在籍したこの会社から、篤子さんは2019年に独立。「株式会社青い空に」を設立することになった。それには、冒頭で紹介した2017年多良木での体験が大いに関係しているという。



柔軟に自らを変化させながら、多様な作品を創り続ける


篤子さん:2017年の11月に、多良木という美しい町で3日間を過ごす中で、多良木の人や自然の素晴らしさに心を打たれました。

本当の自由とは、探ったり疑ったりではなく信じることで得られる。命というものは、他の命を喰らうことで生かされている。人々が一生懸命繋いできた営みの上に立っている。などの想いが自分の中を激しく駆け巡り、目に入るもの全てが愛おしく感じ、東京に戻ってからも3日間、涙が止まりませんでした。

多良木でのイベント(TBDC)に集まった皆さんに、“ここで僕は宝探しがしたいです。一緒に探してください。”と言った幼い息子の言葉が忘れられなかったこともあって、息子と一緒に歌詞を作り、「たらぎの森」という楽曲を完成させました。



たらぎの森


太陽の恵みと共に生き 森と暮らす人々よ

山の水を飲み 薪をくべ 何と美しい生き方でしょう

巡る命の尊さよ 生かされる私の有り難さ

ここで僕は宝探しを したいのです

手と手重ねて 一緒に探してくれませんか

命を喰らい 生きていることを 忘れそうでした

誰をも信じて生きられる 綺麗な目をもつ人々よ

人を疑い 身を守れ お婆と子に教える世になりました

信じて生きられる美しさよ 探り合う心の寂しさよ

ここで僕は宝探しを したいのです

心重ねて 一緒に探してくれませんか

自由を求め 不自由を手にし 生きてきました

古代1万年の営みを 語る大地と仏様

人が地球に 線に引き 奪い合うのはいつからですか

人の世の始まりの美しさよ 終わりに向かう世の愚かさよ

ここで僕は宝探しを したいのです

時を重ねて一緒に探してくれませんか

豊を求め 心を殺めて 生きてきました

太陽の恵みと共に生き 森と暮らす人々よ

山の水を飲み 薪をくべ 何と美しい生き方でしょう



加えて、自分が今後何をしていきたいのかを改めて考えるようになりました。確かに東京での生活は便利。けれど、東京は自分も含めた多くの人々にとって、あまりに人工的になり過ぎて、生命の循環を感じにくい場所になっていますよね。食べ物ひとつとってみても、自然と共生している多良木では生命力あふれる食材を頂く機会がたくさんありましたが、東京のスーパーには生命をひしひしと感じるようなものは売られていない。

だからこそ、東京の中で生命の循環を感じることができる場を創りたいと思いました。頭の中にあったのは、麹。私自身、幼少期から腸に深刻な問題を抱えていたのですが、ヨガインストラクターを取得する際に学んだ栄養学から、腸の大切さを改めて認識することになったためです。発酵食健康アドバイザーの資格を取り、そして故郷富山県の希少な麹ともち米を発酵させた自家製の生甘酒や、醤油麹・塩麹を用いた料理と多良木町で作られた球磨焼酎を楽しんでいただけるお店「こうじ家たらぎ」をオープンさせました。

「たらぎの森」同様に、自分にとっては「こうじ家たらぎ」も私の“作品“です。飲食店経営という新しい挑戦のため、お世話になった会社から独立し「株式会社青い空に」を立ち上げました。

多良木に触発された歌をリリースすること、そして、微生物という生命でもある麹と多良木の焼酎を扱うお店を東京で開くということ。篤子さんにとってはどちらも「生命の循環というテーマを形にした作品」だと言う。一見全く関連性のない新しい活動をなぜ次々に仕掛けることができるのか、これで合点がいった気がした。

篤子さん:確かにコロナ禍での経営はハードですが、新しいことに挑戦することなしには、いつまで経っても成長はできません。営業できない期間も長く大変でしたが、逆にそんな環境だからなのか、アルバイトのメンバー十数名がパズルのように力を合わせてシフトを組んでくれ、営業を続けてくることが出来ました。




問題意識は、新しい循環のエネルギーになる


今後どのような活動にエネルギーをぶつけようとしているのか聞いてみると、思いがけない答えが返ってきた。

篤子さん:小学生の息子を持つ親として、実は今、「教育」に興味を持っています。興味というよりは、問題意識とも言えるかもしれません。どこの国でもそうかもしれませんが、今の日本、特に義務教育は画一的なものになっており、子どもたち一人ひとりが多様な個性をイキイキと発揮することが難しくなっているように思います。学校の授業の中で行き場をなくしてしまう子も多いのが現状ですが、その状況に対して、私自身、すっきりとしないモヤモヤを感じることもあります。

photography : TOKURYO OYA

すぐには解決できそうにもないモヤモヤとする問題は、誰もが抱えているものでしょうし、それを意識することは決して悪いことではないと考えます。そしてシンガーソングライターとして私は、たとえそれが負の感情やエネルギーであったとしても、それを昇華して楽曲にします。全ての感情や思考は、やり方次第で良いエネルギーに変えることができるものです。私が今教育に対して感じている問題意識も、何らかの形で発信していきたい。その活動も、私が考える「生命の循環」のひとつかもしれません。




インタビュー後の独り言

今回篤子さんの話を聞いて、プランドハップンスタンス (Planned Happenstance)という言葉を思いだした。スタンフォード大学の故ジョン・D・クランボルツ教授が提唱し、日本語では「計画された偶発性」と訳されるこの言葉の意図は、「偶然の出来事や予期しない出来事の積み重ねこそが、自分ならではの道を創る上で大きな意味を持つ」が、「その偶然の出来事や予期しない出来事は、自分の好奇心や冒険心を大事にしながら踏み出す小さなアクション」が呼び込んでいる、というものだ。

篤子さんの「生命の循環を形にし発信し続ける活動」もそうだ。多良木で様々なことを感じ取った機会は、決して計画され尽くしたものではない。しかし、篤子さんが生命の循環を常に意識し活動し続けてきたからこそ呼び込まれた、当然の出会いだったとも言える。

うろうろアリの道もまさにそう。自分ならではの大きな目的を常に意識しつつ、小さな歩みを続ける。直線的な最短ルートにこだわらず、自分ではコントロールできない環境の変化に自然体で向き合いながら、自分を変化させることを楽しむ。そうすることで偶発的に見えてくる自分ならではの道を歩んでいくのだ。
Stay Playful. 



『The Playful Ants -「うろうろアリ」が世界を変える』

蟻の世界を覗いてみよう。まじめに隊列を組んで一心不乱に餌を運ぶ「働き蟻」の他に、一見遊んでいるように「うろうろ」している蟻がいることに気づくはずだ。この「うろうろ蟻」、本能の赴くまま、ただ楽しげに歩き回っているだけではない。思いがけない餌場にたどり着き、巣に新しい食い扶持をもたらす。自分たちに襲いかかる脅威をいち早く察知する。

人間社会も同様だ。変化のスピードや複雑性が増す現代。何かを人に命令されて一心に動く「働きアリ」ではなく、自分ならではの目的意識や意義に導かれながら、自分なりの生き方や働き方を模索する「うろうろアリ」こそが、新しい価値を社会にもたらすのではないか。

一人ひとりの人間はアリのようにちっぽけな存在だ。けれど、そのアリが志を持ち、楽しみながら歩いていけば、それは新しい価値を見出し創り出すことにつながっていく。世界を変えることにもつながるだろう。僕は、アメリカのコーネル大学経営大学院の職員として、また、東京に拠点をもつ小さなコンサルティング&コーチングファームの代表として、数多くのグローバル企業や日本企業と実践的なイノベーションプロジェクトをリードしてきた。その経験から、確かにそう感じている。

「うろうろアリ」は、当て所なくただ彷徨うアリではない。人生を心から楽しむ遊び心を持ったアリだ。だから、僕はこれを「Playful Ants」と訳した。この世界に、「働きアリ」ではなく、もっと「うろうろアリ」を増やしたい。この思いを胸に、この連載では、僕が魅力を感じる様々なタイプの「うろうろアリ」たちの働き方や生き方を紹介していきたい。

さあ、Let’s be the Playful Ants!


唐川靖弘 (うろうろアリ インキュベーター)
「うろうろアリを会社と社会で育成する」ことを目的に組織イノベーションのコンサルティング・コーチングを行うEdgeBridge社の代表として10か国以上で多国籍企業との実践プロジェクトをデザイン・リード。その他、企業の戦略顧問や大学院の客員講師を務める。