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小さな世界を楽しく変える「うろうろアリ」

池田亮平
(ライフデザイナー/株式会社アドレス 事業企画フェロー/小平株式会社 CHRO兼 総務執行役員)

“地方から「これからの新しい豊かさ」を描く”

「うろうろアリインキュベーター」唐川靖弘が自分ならではの働き方や生き方を通じて世の中に新しい価値をもたらす「うろうろアリ」を紹介します。

06/06/2022

Playful Ant 08 – 池田亮平(ライフデザイナー/株式会社アドレス 事業企画フェロー/小平株式会社 CHRO兼 総務執行役員)

コロナ禍の影響で近年、「ワーケーション」や「地方と都会の二拠点生活」を行う周りの友人や知り合いが増えた、という実感を持っている読者の方も少なくないのではないだろうか?いやいや、周りの人だけではなく、自分もアクティブにそういう活動を行なっているよ、という方もいらっしゃるだろう。

今回紹介する池田亮平さんは、「毎月定額で全国に住み放題」を謳うサブスクリプション型ビジネスを行うスタートアップ企業ADDressにて「多拠点生活」を推し進める側にいた1人。そんな池田さんが、奥さんと小さなお子さん2人と共に東京を離れ、地方に移住したのは昨年2021年の暮れのこと。

池田さんがどんな想いで移住を決め、これから地方で何を行いたいと思っているのか聞いてみた。




自分がお金に苦労した経験から、他人の豊かな生活をサポート


池田さん:もともと僕は、大学を卒業後、コンサルティング会社勤務を経て生命保険会社でライフプランナーという仕事に携わっていました。簡単に言えば、生命保険という商品を軸に、お客様一人ひとりが、人生にどう豊かに向き合っていけるか、共に考える仕事でした。

そのきっかけになったのは、僕自身の体験にあります。というのも僕が学生の時に父が経営していた会社が倒産して奨学金を借りることになったところからはじまり、社会人になってからもお金の知識が無くて借金を重ねてしまったり、大きなけがをして収入が途絶えてしまったりしたことで、お金にとても苦労することになったのです。お金の持つパワーはとてつもなく強い。僕自身が当事者として体験したことですし、ライフプランナーとして様々なお客様と接する中でも目の当たりにしてきたことです。お金に苦労する状況が続くと、人間はどうしても、自分が置かれている状況を正しく把握したり、問題を適切に解決したり出来なくなる。そのために必要な視野が極端に狭くなるんです。僕自身が当事者として人間の弱さへの理解を深めたからこそ、お客様一人ひとりが仕事の対価として得るお金を有効に活用し、それぞれが思い描く豊かな暮らしをサポートすることにやり甲斐を感じていました。

ただ、世の中の変化とともに働き方・生き方が個性化・多様化する中で、心豊かな人生をサポートするには、経済的な面だけではなく、日々の暮らしにも光をあてていく必要があると思うようになりました。そんな思いから、「多拠点生活」を提案するスタートアップ企業ADDressに3年前に参画。法人営業の担当として、企業が社員の豊かな生活をサポートする方法の一つとして多拠点生活を提供できるよう、法人向けプランを提案・推進していました。そのためには、僕自身が多拠点生活の当事者としてその素晴らしさを理解する必要があると思い、ADDressと契約している全国各地の家に家族で滞在し、さまざまな地方とつながる生活を送っていました。中でも一番の行きつけだった南房総の家は僕たち家族にとって「第3の実家」と呼べるくらい大切な場所で、息子はおひげがトレードマークだった家守のおじいちゃんのことを本当のおじいちゃんだと思っていたくらいでした(笑)

そんな風に地方での生活を体験し、その豊かさに触れ、憧れる部分はあったものの、妻が東京に本社を持つ組織で働いていたこともあり、東京から離れることは無理だと諦めていました。



環境の変化に合わせ、自分の生き方・働き方を変化させる

池田さん:その考えが変わったのは、やはり自分たち自身のライフステージの変化が大きく影響したと思います。具体的にいうと、おととし2人目の子供が産まれた際、妻が出産と育児のため1年半の休暇を取ったんです。僕も妻と共に育児をしながら家族との時間を中心にした生活を送っているうちに、仕事の時間を中心に回っていた僕達自身の価値観が大きく変化していきました。加えて、コロナによるステイホームやリモートワークが劇的に進んだことも後押しになったと思います。このように、私生活や仕事の上での予期せぬ変化を通じて、「東京を離れることはできないというのは自分達の思い込みでしかない。むしろ、この環境の変化を、自分達自身の生き方そのものを変えるきっかけにしよう」と考えるようになり、東京を離れることを決心したんです。

東京を離れ池田さん一家が移住先に選んだのは、九州本土最果ての地でもある鹿児島県。池田さん自身、人生を通じて鹿児島には2回しか訪れたことがなかったそうだ。直線距離で1,000 キロ近く、東京から遠く離れた移住先。熱海や軽井沢など、もう少し近場で人気の高い「お手軽な」地方もあったはず。なぜそのような地をうろうろすることになったのだろう?

池田さん:SELF(SATSUMA EMERGING LEADERSHIP FORUM)という鹿児島県のNPO法人が年に1回主催している合宿があるのですが、たまたま2020年の合宿でスピーカーとして登壇する機会を頂きました。主催者の皆さんと触れ合う時間は短かったのですが、その時に感じたのが、鹿児島って面白い人が多い!ということ。とにかく、地元への愛が強く、熱い人が多い。自分の中に強烈なインパクトが残っていて、地方への移住を考え始めた際に、その記憶がまざまざと蘇ってきました。

また、素晴らしい環境で子育てができることも大きな理由でした。僕が引っ越した霧島市は、海と山のどちらも生活圏内にあって、自然との距離がとても近い。また、園児の食育に力を入れていて、SDGsアワードも受賞している「ひより保育園」に子供を通わせたいと強く思ったことも、そのきっかけとなりました。

学生時代も含め、長い間東京で生活をしていた池田さん。いわば外の世界から、実際に地方のコミュニティの中に入ってみて、どのような景色が見えているのだろう?

池田さん:「人と人との繋がりがとても強い」と感じています。東京は、日本のあらゆる場所から色々な人が集まり繋がっている場所です。資本主義の枠組みの中で、お金を生み出すための利害関係や何かしらの具体的な目的の下に人々が繋がっている、、、そんな感じがしています。それに対して鹿児島では、鹿児島というプラットフォームを共通の土台とし、その土台をどうより良くしていくか、その土台でどう助け合って生きていくか、という目的で繋がっている気がする。言い換えると、資本主義とは異なり、交換経済的、非金銭的な資本を人々が大事にしているように思えるのです。




よそ者として辺境から新しい豊かさを実装していく

地方創生や地域活性化において、「よそ者、わか者、ばか者こそがイノベーションを起こす」というのはよく聞かれる言葉だが、池田さんは東京からのよそ者として、これからどのような新たな価値をもたらそうと思っているのだろうか?

池田さん:こちらに移住してできた僕と同年代の1人で、鹿児島で創業110年の歴史を持つ企業の4代目社長を務める友人がいます。彼は、会社を継ぐまでにも、留学やコンサルティングファームでの経験を活かし、農業系のスタートアップ数社を立ち上げるなどチャレンジをしてきた人です。彼の会社は鍛冶屋として創業したところから、今ではエネルギー、貿易、ITソフトウェア開発など、時代の変化を積極的に取り込みながら多角化した地域商社となっています。彼が「新しい老舗」という企業のアイデンティティーを確立させるべく、目の前の収益だけを見るのではなく、「これまでの100年を引き継ぎながら、次の持続的な100年をどのように創るのか」という時間の尺度で考えようとする志に共感しました。今回ご縁あって、僕もその会社の組織人事・総務部門の担当役員としてこの3月から参画しています。どのような新しい組織像を自社内に定着させることができるか?そして、新規事業を通じてどのような新しい豊かさを地方というプラットフォームに実現することができるか?またプライベートでは、小学校入学前の2人の子育てをどう進めていくか?それら公私のテーマを掛け合わせながら、僕の人生を通じたテーマにもなっている「非金銭資本を大切にするライフデザイン」という大きな命題に取り組んでいきたいと思っています。

池田さん:僕自身が若い頃にお金で苦労した体験に基づく持論となりますが、「豊かさとは振れ幅」だと思っています。それも特に下半分と言えば良いのでしょうか、思わぬ苦労や失敗、挫折をどれくらいして、そこからどのような学びを得たかが大切だと思っています。そこからは、成功への最短距離を進もうとする姿勢からは決して得られない「経験という資本」が得られると思います。僕自身も、その資本を厚くして豊かな人生を送るために、これからも「いかに逆風を避けるか」ではなく、「いかに逆風を活かせるようになるのか」という思考をもって、人生をうろうろしていきたいですね。




インタビュー後の独り言

鹿児島移住という人生の大転換を果たした池田さんのお話を伺っていて、大海原を気持ちよく進むヨットのイメージが湧いてきた。

ヨットは逆風を受けても前に進むことができるという。もちろん真正面から受ければ前進はできない。少しだけ斜めの角度で帆に風を受けることで推進力を得て、タッキングと呼ばれる方向転換をこまめに繰り返すことで、着実に目的地に向かって前進することができるのだそうだ。

時に僕たちの人生は大海原の旅に例えられる。順風満帆な時もあれば、穏やかな凪もある、大嵐に巻き込まれ、逆風にぶち当たることもある。追い風も、目的地が変われば逆風となる。自らの過去の経験や実績が固定観念となって、前進を阻む場合もあるだろう。

逆風でもヨットは前に進む。僕らの人生も同じだ。どんな風でも、受け止め方で自分にとって前進する力に変えることが出来る。風に流されるのではなく、風をどう力に変えるか。それを身につけるには、大海原を自由にうろうろし、様々な風に吹かれ、走り回ることだと思う。
Stay Playful. 



『The Playful Ants -「うろうろアリ」が世界を変える』

蟻の世界を覗いてみよう。まじめに隊列を組んで一心不乱に餌を運ぶ「働き蟻」の他に、一見遊んでいるように「うろうろ」している蟻がいることに気づくはずだ。この「うろうろ蟻」、本能の赴くまま、ただ楽しげに歩き回っているだけではない。思いがけない餌場にたどり着き、巣に新しい食い扶持をもたらす。自分たちに襲いかかる脅威をいち早く察知する。

人間社会も同様だ。変化のスピードや複雑性が増す現代。何かを人に命令されて一心に動く「働きアリ」ではなく、自分ならではの目的意識や意義に導かれながら、自分なりの生き方や働き方を模索する「うろうろアリ」こそが、新しい価値を社会にもたらすのではないか。

一人ひとりの人間はアリのようにちっぽけな存在だ。けれど、そのアリが志を持ち、楽しみながら歩いていけば、それは新しい価値を見出し創り出すことにつながっていく。世界を変えることにもつながるだろう。僕は、アメリカのコーネル大学経営大学院の職員として、また、東京に拠点をもつ小さなコンサルティング&コーチングファームの代表として、数多くのグローバル企業や日本企業と実践的なイノベーションプロジェクトをリードしてきた。その経験から、確かにそう感じている。

「うろうろアリ」は、当て所なくただ彷徨うアリではない。人生を心から楽しむ遊び心を持ったアリだ。だから、僕はこれを「Playful Ants」と訳した。この世界に、「働きアリ」ではなく、もっと「うろうろアリ」を増やしたい。この思いを胸に、この連載では、僕が魅力を感じる様々なタイプの「うろうろアリ」たちの働き方や生き方を紹介していきたい。

さあ、Let’s be the Playful Ants!


唐川靖弘 (うろうろアリ インキュベーター)
「うろうろアリを会社と社会で育成する」ことを目的に組織イノベーションのコンサルティング・コーチングを行うEdgeBridge社の代表として10か国以上で多国籍企業との実践プロジェクトをデザイン・リード。その他、企業の戦略顧問や大学院の客員講師を務める。