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小さな世界を楽しく変える「うろうろアリ」

菊池宏子(アーティスト/NPO法人inVisible
クリエイティブ・ディレクター)

"見えないものを見える化し、
社会を動かす小さな変化を生み出す"

「うろうろアリインキュベーター」唐川靖弘が自分ならではの働き方や生き方を通じて世の中に新しい価値をもたらす「うろうろアリ」を紹介します。

09/27/2021

Playful Ant 05 – 菊池宏子(アーティスト/NPO法人inVisible クリエイティブ・ディレクター)

2013年のある日、僕はサンフランシスコ発羽田行きのJAL便に搭乗していた。当時住んでいたアメリカ西海岸から、東京を経由して、インドムンバイでのプロジェクトに向かうためだった。隣の席にやってきた女性の荷物があまりにも大きかったため収納をお手伝いしたところ、「食べます?」とお礼にミカンをいただいた。聞くと「20年以上拠点としていたアメリカから東京に拠点を移している最中のアーティスト」だという。離陸後しばらくの間、話に花が咲いた。それが菊池宏子さんとの出会いだった。

それから数年後、僕も東京に拠点を移し、宏子さんの活動を時々追うようになった。アーティストとしての宏子さんの活動は幅広い。そして何というべきか、一見しては分かりにくい。しかし、圧倒的に面白い。例えば、早朝に六本木ヒルズのど真ん中でプロの音楽家の演奏で行う「ちょっと変わったイベント」や、東日本大震災・福島第一原発事故からの復興を進める福島県のある小中学校に、職人、音楽家、建築家など各界のプロフェッショナルなクリエーターを「転校生」として送り込む「これまた変わった活動」などだ。

宏子さんは、どのようにしてこれまでの人生を歩んできたのか、そして、どのような想いでこれからの道を進もうとしているのか、聞いてみた。



好奇心と共に踏み出していく


宏子さん:もともとが、ちょっと余計なことをしてしまう性格なんですよね(笑)例えばレトルト食品とか、普通に3分間熱すればいいだけなのに、他のもの混ぜたらどんな新しい味になるかなって、ついつい試してしまうタイプ。でも、同時に飽きっぽい性格でもあるから、いつも違うことを試し続けている(笑)子供の頃からそんな感じだったので、日本での学生時代を一言で振り返ると、 “どこにも属せないタイプの子供”でした。

そんな私をみて、両親はこのままではマズいんじゃないか?と思ったのでしょう。18歳の時、私に色々な選択の余地を与えてくれて、マサチューセッツ州のボストンに留学する道を薦められました。私も漠然と日本には行き場がないと思っていたので、現実逃避の気持ちもあったのか、まったく躊躇せずに一歩を踏み出しました。

進学したのはボストン大学の芸術学部。学部生の時は、木彫りから溶接、陶芸、油絵などさまざまな表現技術を学び、ただただ創作に明け暮れていました。そしてタフツ大学大学院に進学し、パフォーマンスアートやフルクサス(Fluxus)についても学びを深めていきました。フルクサス(Fluxus)は、1960年代にアメリカ人アーティストのジョージ・マチューナスが提唱した、美術、音楽、ダンスなど幅広いジャンルを混ぜ合わせた前衛芸術運動で、これには大きな影響を受けました。また、学部生時代の専攻は彫刻科だったのですが、何かを実際に彫るということよりも、ドイツのヨーゼフ・ボイスが提唱した「社会彫刻」という考えにもにのめり込みましたね。“人は誰でも自らのクリエイティビティによって社会に彫刻を残せる、つまり良い価値を残せるのだ”という考えに強く共感しましたし、それは今の自分の根幹でもあります。

そして博士前期課程を修了の後、MIT(マサチューセッツ 工科大学)の現代アート美術館やボストン美術館で働くことになる。

宏子さん:アメリカでのアーティストとしての私は、「アートのもつ力を活用し、市民・住民参加を促して地域開発と融合させながら、さまざまな地域を再生する」という、コミュニティづくりの活動を主に行っていました。また、オノ・ヨーコさんとの出会いも、私にとって大きなものでした。最初はアーティストのインターンシップという形でお仕事させていただいたのですが、ありがたいことに、その後もご一緒する機会が多々ありました。

ボストンに18年、カリフォルニアで3年。18歳から合計20年以上を過ごしたアメリカでの生活から一転、39歳で東京に拠点を移した。そのきっかけは東日本大震災だった。

宏子さん:あの震災は、私自身が「命を考えるきっかけ」になりました。人々が心身ともに深く傷ついているのをみて、アートという切り口から、自分にも何かできることがあるんじゃないかと思いました。当初はボランティアで被災地に通っていましたが、一過性のお手伝いだけで関与できる範囲には限界がある。また、自分の親を自分で介護したいという気持ちも湧いてきました。そういう意味では、震災は「自分のこれからの人生の置き場を考えるきっかけ」でもあったんだろうと思います。

高校卒業直後に日本を離れた私には、日本の常識、特におじさんたちが幅をきかせているビジネス上の常識などありませんでした(笑)その中で自分という存在が受け入れられるのだろうか・・・不安がなかったかといえば嘘になります。しかし、18歳の自分がアメリカにすんなりと一歩を踏み出した時と同じように、39歳の自分もまた、躊躇なく新しいことに踏み込むことができたように思います。元来、今できること、今やるべきことに夢中になりがちで、目の前のことしかあまり考えられないのかもしれません。「自分が何をしたいのか」という軸はあるものの、やってみないとわからないし、自分自身が体験しないとちゃんと前に進めない人間なんでしょうね。

そう、宏子さんの好奇心、冒険心は歳を重ねても変わることはなかった。帰国し数年を経て、宏子さんは仲間と共にNPO法人を立ち上げた。アートを触媒としたプロジェクトを通じ、見えないものを見える化し、社会に新しい価値を生むことを目指す。inVisible(インビジブル)という法人名の由来だ。以来、「一見わかりにくい、変なプロジェクト」をたくさん仕掛けている。僕も個人的にいくつかのプロジェクトに参加したことがあるが、なかでも印象的だったのが「クラシックなラジオ体操」だ。記憶を辿り寄せながら書いてみると、こんな感じだっただろうか。

まだ夜が明けきらない、朝への変わり目の時間。六本木ヒルズの屋外スペースにどこからともなく人々が集い始める。ちょっとおしゃれな格好をした若者カップルや仲間連れ、熟年夫婦など。冬の始まりを感じさせる冷んやりとした風が吹く中、タキシードとドレスの正装をまとった数名の音楽隊(なんと日本フィルハーモニー交響楽団のメンバー!)が登場し、クラシック音楽を奏でる。参加者は温かい飲み物を手に思い思いに音楽を楽しむ。ここまでは素敵な屋外クラシックイベントだ。ちょっと変わった時間帯だということを除いては。

そして、クライマックスはやってくる。音楽隊が奏ではじめたのは、なんと、誰もが知っているあの「ラジオ体操第一」。待ってました!とばかりに歓声や笑い声が上がる。みんな笑顔でラジオ体操の時間だ。トランペットの音色に導かれながら、一人一人が真面目に、でも、ちょっと何か滑稽だなぁと感じながら、遊び心溢れる時間を楽しんでいる。「ラジオ体操第二」もしっかりと後に続いた。これも全員が真面目に笑顔でやりきる。終わった後、誰ともなく一斉に、自分たちが共有した不思議な時間と空間に拍手を送っていた。

宏子さん:クラシック音楽とラジオ体操って、なかなかお目にかかれない組み合わせですよね。こんな突拍子もないアイデアを形にすることで遊び心をくすぐることを心がけています。「クラシックなラジオ体操」は、「都市は遊び場」という考えをベースに、馴染みのあるラジオ体操に「プロの音楽家の演奏というツール」を用いることで、遊び、ユーモア、街の健康を表現することができた例じゃないかなって思います。



細く長く、美しさを受け継いでいく


2015年にinVisibleを立ち上げて7年目。これからはNPO法人の共同創設者としての立場だけではなく、菊池宏子という一個人としての活動も進めていきたいという。

宏子さん:inVisibleでは、アートという手段を使って、得意なこと、言い換えれば仕事になりやすいことに注力してきました。震災を機に日本に活動拠点を移してからちょうど10年。これまでは「社会のため」を中心にした活動でしたが、これからは少し、自分自身でやるべきことやりたいことを意識しながら、「自分自身のため」にも時間を使っていきたいと思っています。

例えばその一つが、高校生を始めとする若い世代にむけた活動です。若い人たちとの交流の機会をもつと、“彼らの世界が、世の中の可能性に対して開かれていない”ことや、“彼らが自分自身の本音を滅多に出さない”ということを強く感じることがあります。そんな彼らに、自分のことをもっと正直に、もっと素直に表現する環境のようなものを創っていきたい。私がこう考える背景には、アメリカで受けた教育が大きく影響していると思います。まずは自分が何者なのかを問い続けること、その習慣、そして人と違うことを肯定してくれる文化。そんな環境の中で生活したからこそ気付いた自己表現や多様性の大切さを、若い世代にも伝えていきたいと思います。

そして、もう一つは、やはりアートを通じて、日本の文化の美しさを地道に伝え続けることです。今の日本は色々な社会課題に直面していますが、それでも日本の文化には、他の国のそれにはない、美しい価値がたくさんあります。社会の発展も大切ですが、発展によって失われてはならないものもあります。この大切さを言い続けることが必要で、私がこれから手掛ける活動も、細くても継続性あるものにしていきたいと思っています。



あらゆる人が自分ならではの答えを表現する世の中を創る


「アーティストとしてのエゴがない」ことが自分の課題だと認識しているという宏子さん。一方で、「決まった答えのある仕事は自分がやることではない」と強く決めているという。

宏子さん:私自身、“アーティスト”という肩書で様々な活動を行っていますので、一言で「あの人は、◯◯を創っている人」という理解をするのは難しいと思います。でも、モノを作ることだけがアートではありませんので、いい意味で期待を裏切りながら、これからも意識的に境界線をぼやかしていこうと思います。

あと、私自身、これまでの人生で一度も仕事を探したこともなければ、直々の上司をもったこともないんですよ(笑)MITやボストン美術館のように組織内での働きであっても、新規のポジションだったことや、アーティストだからできる考え方などが求められていて、常に、自分でゼロから仕事を作っていく経験しかしていません。だからこそ、同僚とたくさん話もしましたし、自分一人ではできないことがたくさんあることにも気付かされました。“自分にしかできない仕事をどう創っていくか?”ということを強く意識してきたら、結果こうなっていた、ということなんですね。自分が何をやりたいか、自分にしかできないことは何か、答えは自分自身がもっています。どんなに小さくても良いからゼロから1を創ること。これからも、それにはこだわっていきたいですね。

そして、そんな私の行動を見てもらうことで、ぜひこれからの世代の人、そして女性には自分の思いを伝えるための表現の幅を感じてもらいたいです。表現をする方法はなんでもいいと思います。決まった答えがないことを認め合い、遊び心を持って自分なりの答えを創る人が増えていく方が、世の中もっと楽しくなると思うんです。そう思いませんか?



インタビュー後の独り言

アメリカから日本に拠点を移した時、宏子さんが強く感じたことがあるという。それは、アメリカでの仕事では「決まったことやリクエストから、いかに枠を超えるアウトプットを出すか」ということが評価されていたのに対して、日本での仕事では「委託されたことを忠実に遂行すること」が評価され、そこに少しでも新しい視点をもたらそうとすると「オーダーにない余計なこと・無駄なこと」と迷惑がられることが多かったということだ。

“失敗をせず堅実にやり遂げることで評価されたい” ・・・人間は集団の中で生きている、生かされている生き物であるがゆえに、多くの人がそう考えがちなのは当然だ。事実、リスクを予測し避けることで、人間は今日まで生き抜いてきた。ただし、そのような考えが強くなりすぎると、新しい何かを創ろうとする空気は簡単に押し潰されてしまう。

今、社会に蔓延る閉塞感はいったい何だろう。コロナ禍のためか。そんな時代だからこそ、誰かに通るべき道を指示されるのでなく、もっと自分に忠実に、道なき道を進みたいものだと思う。宏子さんも言っていた。「決まった答えがないことを認め合い、遊び心を持って自分なりの答えを創る人が増えていく方が、世の中もっと楽しくなる」と。

うろうろアリが旅の道標とする北極星は、「自分がこうありたい」「こんな価値を社会にもたらしたい」という想いだ。その想いに導かれながら、Playfulに、遊び心を持って実験しよう。試行錯誤しよう。その遊び心は、周りの人、一人ひとりに飛び火し、やがて社会を変える原動力となる。
Stay Playful. 



『The Playful Ants -「うろうろアリ」が世界を変える』

蟻の世界を覗いてみよう。まじめに隊列を組んで一心不乱に餌を運ぶ「働き蟻」の他に、一見遊んでいるように「うろうろ」している蟻がいることに気づくはずだ。この「うろうろ蟻」、本能の赴くまま、ただ楽しげに歩き回っているだけではない。思いがけない餌場にたどり着き、巣に新しい食い扶持をもたらす。自分たちに襲いかかる脅威をいち早く察知する。

人間社会も同様だ。変化のスピードや複雑性が増す現代。何かを人に命令されて一心に動く「働きアリ」ではなく、自分ならではの目的意識や意義に導かれながら、自分なりの生き方や働き方を模索する「うろうろアリ」こそが、新しい価値を社会にもたらすのではないか。

一人ひとりの人間はアリのようにちっぽけな存在だ。けれど、そのアリが志を持ち、楽しみながら歩いていけば、それは新しい価値を見出し創り出すことにつながっていく。世界を変えることにもつながるだろう。僕は、アメリカのコーネル大学経営大学院の職員として、また、東京に拠点をもつ小さなコンサルティング&コーチングファームの代表として、数多くのグローバル企業や日本企業と実践的なイノベーションプロジェクトをリードしてきた。その経験から、確かにそう感じている。

「うろうろアリ」は、当て所なくただ彷徨うアリではない。人生を心から楽しむ遊び心を持ったアリだ。だから、僕はこれを「Playful Ants」と訳した。この世界に、「働きアリ」ではなく、もっと「うろうろアリ」を増やしたい。この思いを胸に、この連載では、僕が魅力を感じる様々なタイプの「うろうろアリ」たちの働き方や生き方を紹介していきたい。

さあ、Let’s be the Playful Ants!


唐川靖弘 (うろうろアリ インキュベーター)
「うろうろアリを会社と社会で育成する」ことを目的に組織イノベーションのコンサルティング・コーチングを行うEdgeBridge社の代表として10か国以上で多国籍企業との実践プロジェクトをデザイン・リード。その他、企業の戦略顧問や大学院の客員講師を務める。