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小さな世界を楽しく変える「うろうろアリ」

ルーカス B.B. (クリエティブディレクター)

‘新たな旅を通じて日本を再発見する’

「うろうろアリインキュベーター」唐川靖弘が自分ならではの働き方や生き方を通じて世の中に新しい価値をもたらす「うろうろアリ」を紹介します。

11/16/2020

Playful Ant 01 – ルーカス B.B.(クリエイティブディレクター)

樹木をテーマに東京を歩く旅「TOKYO TREE TREK(TTT)」。九州の国立公園を巡りながらその土地ならではの食材でご当地サンドイッチを作る旅「Tour de Sandwich」。ちょっと変わった「旅」をテーマにした雑誌『PAPERSKY』を世に送り出すルーカスのオフィス兼住居は、渋谷駅近くの住宅街の中にひっそりと佇んでいる。元はシガーバーとして使用されていたという、まるで秘密基地のような古い日本家屋は、静かで美しい空気と、素朴だが遊び心を感じるアイテムで満たされている。ルーカスが旅先から持ち帰った品々や、自分自身でプロデュースした旅行用のアイテムだ。

日本に滞在して27年目。クリエイティブディレクターとして、常に時代の先をいく独自のアイデアを世に送り出してきた。この生きざまは、まさに僕が提唱する「うろうろアリ」の歩みそのものだ。今回、このインタビューシリーズを始めるにあたり、最初のゲストとして話を聞いてみたいと思ったのがルーカスだった。理由は、どことなくミステリアスな存在だったからだ。



祖母から受け継いだクリエイティビティ


幼い頃から文章やレイアウトを考えるのが大好きだったというルーカス。小学校低学年の頃から学校の新聞や雑誌作りを行い、大学時代には、演劇の衣装デザインやスタイリングまで行うようになった。このようにクリエイティブなものへと彼を駆り立てたルーツはいったい何だったのだろうか?しばしの沈黙の後、思いついたようにこう語ってくれた。

ルーカス:そういえば、僕のおばあちゃんが町の印刷所を経営していたんだ。そこでのインクや紙の匂いをいまでもはっきりと覚えているんだよ。

約40年前、ルーカスが3歳の時、まだ若かった両親は離婚した。ルーカスを引き取った母は、自力で強く生き抜くため、ロースクール(アメリカの法科大学院)に通うことに決めた。そういうわけで、幼いルーカスは母方の祖母と多くの時間を過ごすことになった。ルーカスが「マキシ」というニックネームで愛したその祖母は、小さな印刷所を1人で切り盛りしていた。頭が良く、クリエイティブで活動的な女性だった。

ルーカス:8歳くらいまで、僕はマキシと多くの時間を過ごしたんだ。山歩きも、キャンプも、旅も大好きな人だったよ。料理を一緒に作った思い出もたくさんある。

祖母から受け継いだ創造力を生かし、中学生のときには、自身が手がけた新聞がカリフォルニア州のコンテストで賞を獲得した。新聞は、もとはただ真っ白な紙に過ぎない。その上に、自分ならではの思いを綴り彩り表現していく。そうしてできあがった、まるで自分の分身のような作品が認められたことは、ルーカスにとって、この上なく嬉しいことだったという。



人生は予期せぬMomentsの連続で出来ている


進学したカリフォルニア大学サンタクルーズ校では、「アメリカ文化学」を専攻。当時アメリカのアーティスト、トム・ウルフが提唱した、フィクションとノンフィクションを合わせた「ニュージャーナリズム」というスタイルに強く惹かれた。ただ1つの見方に執着するのではなく、歴史や政治、アートなど、一見関連性のない角度からものごとを見つめることの面白さを知り夢中になった。そして、より成熟した海外の文化に興味を抱き始めた。

そんなルーカスが週末によく足を運んだのが、サンフランシスコのジャパンタウンにある紀伊国屋書店だった。日本語は読めなくても、そこで目にする日本の雑誌は、写真やデザイン、レイアウト、その全てでルーカスを魅了した。そして1993年の卒業式の翌日、卒業旅行で念願の日本へと旅立った。

ルーカス:あの卒業旅行は自分の人生を変えた出来事だね。もともとは友人と2人でいく予定だったんだけど、その友人が病気になって行けなくなったんだ。行かないという選択肢もあったんだけど、来てみたら、たった2週間だけのはずだったのに、このまま日本に住みたいと思った。そしてあっという間に25年以上。 “何気ないMoments(瞬間)は毎日を変えうる、そして、人生を変えうる”ということを学んだね。

日本に住み始めて最初の数年は、フリーランスのライターとして、ジャパンタイムズやWIRED、TIMEなどの英語メディアに記事を書いていた。いわゆる日本を代表するような企業や著名人にインタビューする機会にも恵まれた。しかし、それよりむしろ、毎日の食や生活文化、市井の人々など、日本人自身が気づいていない「ごくありふれた日常」の中にこそ魅力と楽しさが詰まっていることに気づいたという。

ルーカス:一見わかりにくいけど、 “何が面白いか”を掘り起こすことができるのが、僕の強みだと思っているんだ。言い換えれば、“どんなものに対しても、つまらないと思わない”スキルかな。

どこでそのようなスキルが身に付いたんだと思う?と聞いた僕に、ルーカスは説明してくれた。ティーンエージャーになったルーカスには、10歳離れた異父弟がいた。弟がベースボールやサッカーのチームに入るたびに、ルーカスが父親代わりで付き添うことになり、いつの間にか、そのチームのコーチ的な役割を果たすことになった。 “どんな人にも良いところはある“と信じ、一人一人の可能性を見つけ、引き出していく。そんな意識が養われたのではないか、と。



一見ムダな旅を通じて、今この瞬間を精一杯楽しむ


日本文化の素晴らしさに、日本人にこそ気づいてもらいたい。その思いが募るうちに、真っさらな紙に表現することが大好きだった昔の自分を思い出した。そして1996年、自身の会社を設立。ルーカスならではの視点で日本のポップな文化をとらえた雑誌「TOKION」はたちまち読者の共感を呼んだ。

ルーカスが常に意識していることが2つある。1つは“今までにない世界を生み出す”こと。「すでに世の中にあるものを自分が作る必要はない」との考えでやってきた。だから、『TOKION』が成功してからも、部数を伸ばし続けるより、新しい挑戦にこだわった。もう1つが、“人の見方を変える”こと。そのシンボルが「旅」。ただし、ここでの旅とは「遠くに行くこと」ではない。「自分に今まで見えなかった世界が見えるようになること。何気ない日常の中でも自分なりの楽しみを見つける方法。それが僕にとっての旅」とルーカスはいう。そんな理由から、2002年、日本を始めとする世界各地の美しい自然や文化を紹介する「旅」をテーマにした雑誌『PAPERSKY』をはじめた。

PAPERSKYの読者ならおそらくご存知のように、ルーカスが考え、世の中に送るアイデアは、瞬間風速を最大化して話題をかっさらう手法とは明確に一線を画している。誤解を恐れずに乱暴にいうと、「確かに面白いけど、面倒かつ無駄に見えるアイデア」が多いようにも思える。(最近の僕のお気に入り「芋地蔵に芋を返しに行く旅」は、その最たる例だ!)一方で、雑誌を通じて送り出す全てのアイデアを、何よりルーカス自身が楽しんでいるのがよくわかる。その原点はいったいどこにあるのか?

ルーカス:3歳の頃、ある難病にかかったんだ。18歳になる頃まで常に生きるか死ぬかの状態だった。 だから、“自分はいつも境界線にいるんだ”という意識で生きてきた。いや、生かされている。死んだら落ち込めない。生きること自体が楽しいこと。だからどんなに無駄なことのように見えても、自分が生きているこの瞬間を精一杯楽しむ。ただそれだけなんだよ。



「自分の心が動くかどうか」という好奇心で自分の道を歩んでいく


日本での生活にすっかり定着したある日、高齢になったマキシおばあちゃんを訪問するためにアメリカに一時帰国したルーカス。彼女はとても元気で、一緒にアイスクリームを食べたという。翌日、彼女は眠るように旅立って行った。90歳だった。自分のことを待っていてくれた最愛のおばあちゃんを思い出しながら、ルーカスがもう1つ教えてくれた。

ルーカス:「マキシから教わったこと、受け継いだことは本当にたくさんあると思うけど、一言でいえばcuriosity (好奇心)だね。」



インタビュー後の独り言

Curiosity(好奇心)とは、言葉にすればごくありふれた表現かもしれない。けれど、「うろうろアリ」にとって最も重要な資質の一つだ。「自分の心が動くかどうか」を大事にしながら、自分の足で新たなエリアに足を踏み入れチャレンジする。これは誰にも真似出来ない、自分だけの冒険だ。回り道もたくさんする。効率や生産性とは程遠い。けれど、自分自身が楽しみながら、一歩一歩進んでいく、その瞬間を積み重ねることで初めて、誰も見たことがない新しい「旅」が一つ一つ形になっていくのだろう。これがルーカス流の「うろうろアリ」の生き方なのだと思う。

他人から見た「面白い・面白くない」「儲かる・儲からない」「意味がある・意味がない」といった価値基準など、一切構うことはない。「自分自身が楽しい」と 感じられるかどうか、自分ならではのアンテナを大事にしながら、自分なりの小さな一歩を踏み出してみる。それを少しずつ繰り返すことで、他の人が気づかなかった、自分ならではの価値を生み出す領域にたどりつけるはずだ。誰にでも、必ず。そんな風に「うろうろアリ」が増えていけば、この社会はもっと面白く、持続可能なものになっていくに違いないと僕は信じている。



『The Playful Ants -「うろうろアリ」が世界を変える』

蟻の世界を覗いてみよう。まじめに隊列を組んで一心不乱に餌を運ぶ「働き蟻」の他に、一見遊んでいるように「うろうろ」している蟻がいることに気づくはずだ。この「うろうろ蟻」、本能の赴くまま、ただ楽しげに歩き回っているだけではない。思いがけない餌場にたどり着き、巣に新しい食い扶持をもたらす。自分たちに襲いかかる脅威をいち早く察知する。

人間社会も同様だ。変化のスピードや複雑性が増す現代。何かを人に命令されて一心に動く「働きアリ」ではなく、自分ならではの目的意識や意義に導かれながら、自分なりの生き方や働き方を模索する「うろうろアリ」こそが、新しい価値を社会にもたらすのではないか。

一人ひとりの人間はアリのようにちっぽけな存在だ。けれど、そのアリが志を持ち、楽しみながら歩いていけば、それは新しい価値を見出し創り出すことにつながっていく。世界を変えることにもつながるだろう。僕は、アメリカのコーネル大学経営大学院の職員として、また、東京に拠点をもつ小さなコンサルティング&コーチングファームの代表として、数多くのグローバル企業や日本企業と実践的なイノベーションプロジェクトをリードしてきた。その経験から、確かにそう感じている。

「うろうろアリ」は、当て所なくただ彷徨うアリではない。人生を心から楽しむ遊び心を持ったアリだ。だから、僕はこれを「Playful Ants」と訳した。この世界に、「働きアリ」ではなく、もっと「うろうろアリ」を増やしたい。この思いを胸に、この連載では、僕が魅力を感じる様々なタイプの「うろうろアリ」たちの働き方や生き方を紹介していきたい。

さあ、Let’s be the Playful Ants!


唐川靖弘 (うろうろアリ インキュベーター)
「うろうろアリを会社と社会で育成する」ことを目的に組織イノベーションのコンサルティング・コーチングを行うEdgeBridge社の代表として10か国以上で多国籍企業との実践プロジェクトをデザイン・リード。その他、企業の戦略顧問や大学院の客員講師を務める。