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Old Japanese Highway

『木曽路 』

歩いて旅する、日本の古道
岐阜県から長野県へ、木曽路をめぐる旅

石畳の峠を歩き、歴史の面影を残す宿場町で道草を食う……。今回の旅は、江戸時代の往来のにぎわいを今に伝える木曽路が舞台。多くの文人たちを魅了した街道で、どんな風景に出合えるのか。

10/26/2021

弥次喜多気分で木曽路を歩く

ここは長野県南西部木曽地方。西に御嶽信仰で知られる霊峰・御嶽山、東に中央アルプスを仰ぎ、その中央を深い谷を刻む木曽川と木曽路・中山道が貫いている。江戸時代初期、五街道のひとつとして整備された交通路が中山道だ。江戸と京都を結ぶ当時の主要道路のひとつで、全長およそ540km。日本橋から北武蔵、上野国、信濃国、美濃国を通過した後、近江の草津で東海道と合流して京都に至る。このうち、岐阜県中津川市の新茶屋集落(落合宿・馬籠宿間)から塩尻市の桜沢(本山宿・贄川宿間)までの、信濃国木曽を通る区間を木曽路と呼ぶ。険しい峠や深い谷など木曽川沿いにつくられた木曽路は往来がとにかく困難で、街道の利用も東海道に比べると1/4ほどだったとか。それでも11の宿場が設けられ、いずれもにぎわいを見せていた。

木曽路といえば十返舎一九の『続膝栗毛』が有名だ。江戸時代に一大旅行ブームをもたらした『東海道中膝栗毛』の続編が、東海道から木曽路(中山道)に舞台を移した『続膝栗毛』。大津から東へ旅した弥次さん喜多さんに倣い、PAPERSKY一行も一路、秋の木曽路を目指す。ちなみに「膝栗毛」とは膝を栗毛(馬)の代わりに使うこと、すなわち今回のような歩き旅を指している。

千本格子をあしらった趣のある家が連なる妻籠宿で道草を楽しむマイケル

そんな木曽路の旅をともにしたのは、東京を拠点に出版プロデュースを行っているマイケル・キフル。海外からのツーリスト向けに、日本の知られざるトラベル・コンテンツを発信しており、以前から興味があったという木曽路の旅に参加してくれた。

スタートは、中山道の西の起点、京都三条大橋から数えて27番目の宿、落合宿。落合宿から、島崎藤村が揮毫した「是より北 木曽路」の碑のある新茶屋集落を目指す。碑の先がいよいよ木曽路だ。続いて現れた馬籠宿は、石畳の坂道の両側に古い家々が立ち並び、宿場風情が色濃く漂う。馬籠は島崎藤村の故郷としても知られており、ここでの暮らしを「木曽路はすべて山の中である」で始まる『夜明け前』に綴っている。馬籠宿を過ぎると、街道は馬籠峠に向かうゆるやかな坂道に。峠を越すと、広葉樹の林のなかのトレイル歩きが続く。

島崎藤村が揮毫した「是より北  木曽路」の碑が木曽路の玄関口

これまでの旅と同様、木曽路でもまた素敵な出会いがあった。江戸時代、長旅の旅人は宿と宿の間に設けられた立場茶屋でひと休みしたというが、妻籠の立場茶屋で木曽節の名手、鈴木省吾さんと出会う。

「木曽節は、木曽の材木を河川に流して運ぶ“川流し”をテーマに、木曽の人情や暮らし、風景を歌っているのですよ」と鈴木さん。

鈴木さんいわく、「“なんちゃらほーい”という独特の節まわしが外国人にも好評」だそうで、ここを訪れるツーリストを木曽節でもてなすようになった。木曽節の聞ける立場茶屋と鈴木さんの存在はこの界隈の名物になっていて、海外のドキュメンタリー番組にも何度か取り上げられているほどである。

その先の妻籠宿は木曽路から飯田へ抜ける追分になっていて、中世から交通の要衝として栄えたらしい。住民が古い町並みの保存活動に力を尽くした結果、全国で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。外敵の侵入を防ぐため、街道を鉤の手状に折り曲げた「枡形」のつくりや、出梁づくりや千本格子を備えた建物が連なり、常夜灯や水場もそのままに。江戸時代にタイムスリップしてしまったようなたたずまいに、マイケルも無心でシャッターを押す。

いよいよ妻籠宿にさしかかる。風情ある建物がちらほらと
旅のお供にうれしい和菓子。木曽路では栗菓子をお目当てに

妻籠宿では脇本陣奥谷に立ち寄った。脇本陣とは大名が宿泊する本陣の予備として使われた宿舎のことで、妻籠宿の脇本陣は総ヒノキ造りの豪勢なもの。江戸時代、木曽のヒノキ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコ、サワラの5種類の木は「木曽五木」として尾張藩に伐採を固く禁じられていた。明治時代になると、廃藩置県で藩による禁が解かれるのだが、ちょうどそのころにヒノキを使って建て替えられた屋敷だという。ここの語り部は当時の妻籠の暮らしや島崎藤村とのゆかりを教えてくれた。

「林家は造り酒屋を営んでいて、島崎藤村の『初恋』のモデルになった“おゆふさん”の嫁ぎ先にあたり、藤村直筆の詩も飾られています」

飾ってあったのは「うてや鼓」。木曽の春を詠んだ詩だ。その詩を読み、自然に寄り添って生きる当時の妻籠の暮らしを思い描いた。

囲炉裏端での暮らしぶりが垣間見える、妻籠宿の脇本陣奥谷

翌日は妻籠宿から三留野宿、その先の野尻宿を経て須原宿へ。三留野宿・野尻宿間は、中山道ではなく与川道を歩いた。当時、中山道は木曽川の氾濫によりたびたび通行止めになったといい、与川道はその迂回路として使われた峠越えの道である。山里や山腹につけられた街道には、ときたま広葉樹林の美しいトレイルが現れる。

2日目の目的地、須原宿は清水が湧く宿場町として知られており、軒先には木曽五木のひとつ、サワラの丸太をくり抜いた水舟が置かれていた。水道が整備されていない時代は飲料水や炊事、洗濯に使う生活用水として重宝されたもので、現在は野菜や果物を水舟に浮かべて冷やすという。須原宿ではそんな情緒あふれる光景に出合うことができる。

階段状の水田の間に九十九折の道が続く与川道
江戸時代から知られる須原宿の名物、桜の花漬けのお湯割り

須原宿のもうひとつの見どころが、木曽路の古刹、定勝寺だ。嘉慶年間(14世紀後半)に木曽家11代の源親豊が木曽川沿いに創建、幾度か水害で流れたことをきっかけに現在の場所に移建されたのが1598年のこと。当時の姿を留めた入母屋造りの本堂と、17世紀半ごろに建てられた庫裏、檜皮葺きの山門は国の重要文化財に指定されている。そば切りに関する日本最古の書が残されていることから「そば切り発祥の地」ともいわれ、住職の話を聞くうちにお腹も鳴ってくる。

この日は須原宿にある民宿すはらにお世話になった。築150年の古民家は連子格子がなんとも粋で、生糸づくりが盛んだったエリアらしく当時使われていた機織り機もそのままに、馬籠宿や妻籠宿ほど観光的でなく、当時の暮らしの息吹を慎ましやかに、けれどいきいきと伝える須原宿の風情に、マイケルも郷愁をかき立てられたようだ。

木曽の古刹、定勝寺では住職自らが本堂を案内してくれた
どこかひなびた風情が旅情をかき立てる、須原宿の夕暮れどき

最終日、須原宿から福島宿までの街道歩きには浦島太郎伝説の「寝覚の床」、茶屋本陣の「たせや」、文人に愛された老舗蕎麦屋「越前屋」、「木曽の棧」(木曽川沿いの断崖に丸太と板で桟のような道をつくり、そこを往来させていた)など見どころが次々に。

ゴールの福島宿は木曽川に沿って連なる崖家造りの家と、「天下の四大関所のひとつ」と恐れられた福島関所で知られる。なまこ造りの土蔵や高札場跡など、「上の段」と呼ばれる坂道の街をのんびりと散策した。

「江戸時代の旅人の気分で街道を歩いたら思いがけない出会いや発見があって、訪れた町の生活や素顔を垣間見られた」とマイケル。束の間、旅先の生活や文化に触れられること、それが膝栗毛の醍醐味なのだ。

上松宿からは見晴らしのいい木曽川沿いの街道歩きが続く
真っ白な花崗岩が連なる「寝覚の床」には浦島太郎伝説が息づく
元・立場茶屋の「たせや」。150年前の古民家でひと休み
1624年に創業した「越前屋」は、“日本で2番目に古い”蕎麦屋
歴史の面影を残す妻籠宿。住民たちはここに暮らしながら江戸時代の町並みを守っている
HIKE & BIKE JAPAN KISOJI | HIKE
PAPERSKY BOOKSが贈る、全編英語のテキストとともに紹介する、歩く旅や自転車旅が好きな人のためのガイド本。岐阜・中津川にある落合宿から、長野・木曽福島の福島宿まで、55.9kmの道のりを3日かけて歩き、栗きんとんや木曽節、江戸時代から残る宿場町など、人気のトレイル・木曽路についておすすめを紹介。