栃木県益子市。民藝運動を牽引した濱田庄司が暮らした自然豊かな土地があり、今なお多くの陶芸家がこの地に暮らしている。作り手がいれば、売り手もいる。後者の筆頭には、伝説の店と名高い「スターネット」が挙がる。
1998年創業のスターネットはその当時珍しかった、ライフスタイルを提案する店として益子の地に生まれた。土地の恵みを活かしたオーガニックな食を提供するカフェ、草木染めやオーガニックコットンなど自然由来の色や素材から成る衣服、この土地でレコーディングされたアンビエントミュージック、土地と結びついた陶器作品や手仕事の数々……。そして、この店を目掛けて訪れる他県の多くの人たちの存在は、益子に暮らす人々を驚かせた。
この衝撃の存在は、単身18歳で上京しレコード屋で務めていた仁平透さんの耳にも入る。現在、「pejite」「仁平古家具店」オーナーである彼は上京し、しばらく経った頃だった。
「益子にはスターネットが新たに誕生しましたが、思えば同じく北関東には一杯のコーヒーを飲むためにわざわざ他の県から人が訪れる喫茶店もありました。そうした場所を思うと、なにかをするとき、どこでするかは大きな問題にならない。その時、そう悟ったんです」
その後、訳あって地元に戻ることを余儀なくされた仁平さんは、スターネットの馬場さんをはじめ地方に生きる先人の生き様に学び、それに続けるようにと意志を新たにする。思うがままにさまざまな職に就くもののなかなか思い通りにはいかない。しかし、変化の兆しは突然訪れる。
1990年初頭、インターネットの普及に伴い生まれたネットオークションで出品された古家具が、開始価格の数十倍の値段で競り落とされたのを、仁平さんは目の当たりにすることとなる。そこに、好きなことで生きていくための希望の光が見えた。
そもそも仁平さんと古家具、ひいては古いものや人が使わなくなってしまったものとの縁は深い。物心ついた仁平少年にとって、古道具は日々の暮らしの一部であり、遊びの対象でさえあった。
「決して裕福とは言えない家に生まれ育ったものですから、おもちゃが欲しいと親に言えずに子供時代を過ごしてきたんです。子供ながらにものを買ってもらう行為が憚られて。多分そのせいだと思うんですけれども、それで、僕はものを拾ってくることを覚えました。粗大ゴミに出されている自転車のハンドルを持って帰ってきては『なんか良くない?!』と誇らしげに遊んでみたり、かっこいい石を拾ってみたり。なんでもない、落ちているものに価値を見出して。そこから、そのまま大人になってしまったようです」
現在の仁平さんの住まいにも古道具が当たり前にある。風化し、打ち捨てられた姿のままではなく、見立てによって価値が変換され新たに命が吹き込まれたものや、手入れされ、日常の営みの中で然るべき役割が与えられたものもある。昨年生まれた、仁平さんにとって目に入れても痛くないほど愛する息子の天音くんのゆりかごも寝床も、すべて古道具である。
「日本の古いもの、古くて静かなものは好きなんですけれども、一言では言い表せない『好き』があるんです。たとえば今、リビングチェアとして使っている昭和初期の椅子の装飾はちゃんと技術とセンスが伴う人じゃないと作れないし、今から作ろうと思ってもきっとなかなかできない。材質もよいし、昔の人が作ったものの作りの良さを感じる。今、同じものを買おうとしたらとんでもない。ゼロから作ったらすごい値段になります。古いものであるからこそ、普通に暮らす私たちでも手に入れられることができるんです」
一方で「ちゃんとした職人」ではない、素人が作ったようなものにも良さがある。仁平さん曰く「貧乏くささの中に美を感じるもの」。だからこそ古いものには言い切りが難しい美しさの要素が無限にあり、その良さの全てが好きなんです、と静かに微笑む。
「お店に来てくださったお客様に『こういうもの(古家具)はいいですけれども、そうなると家中を古家具で揃えなきゃおかしいんでしょう?』と聞かれたことがあるんですよ」
そんな問いかけに対して仁平さんは決まってする話がある。
「僕が東京に暮らしていた20代の頃、リサイクルショップで1000円か2000円くらいの古い丸椅子を買って、当時住んでいたボロアパートに持って帰ったことがあるんです。それを部屋に置いたときに、言葉にはしにくいけれども……なんかいいと思ったんですよね。空気の流れの感じというか、揺らぎというか、ものが纏う気配というか……。アンティークや古いものと聞くと構えてしまうかもしれないけれども、何でもないものをぽんと置くだけで雰囲気がでるんです。そんなふうに気軽に古道具を楽しんでもらいたいですね」
このエピソードって僕が古家具の道に進もうと思えた印象的な出来事だったんだけど、この椅子、もうどこにあるかわからないんだ、と飄々と続ける物言いがまた仁平さんらしい。
汚れをとったり、修復したり、手を入れたりなにかと手がかかりますね、とふと漏らすと、仁平さんははっきりと、しかし優しさを伴ってこう答えた。
「それが愛だと思います。古いものに関しては。そうやって素材の良さを引き出してあげたい、みたいな。それで水が流れるみたいにどんどん人に使ってもらって、飽きたらまた売ってもらって」
それにパートナーの里帆さんが明朗に笑って言葉を重ねる。
「透ちゃんって面白いの。あんまり自分から人に働きかけるわけじゃないけれども、誰かが喜んだり、もてなしたりするのが本当に大好き。ただそれをニコニコ見ているだけでいいんだよね」
約束の時間にフォード・モデルAに乗って現れた仁平さん。1927年に発明、発売された元祖自動車こと初期フォードモデルの直系の血を引くこの車を現役で乗り回す人は日本広しといえど、そう多くはないだろう。
「かっこいいでしょ」と満足そうに、自慢したくてたまらない様子の彼はまるで少年のよう。古道具については白洲次郎をはじめとする諸先輩方、ものの見方についてはスターネットの馬場さんなどの骨太な学びを得た一方、自らを「厨二病」「反骨精神の塊」と揶揄するそのあり方と、幼少期から培われてきた「好き者」精神が絶妙なバランスで結実した人。
「僕は1円もお金にならなくても古いものが好きなんですよ。ただでさえ好きなことなのに、それで飯が食えて、しかも使って喜んでくれる人がいる。それが楽しくてしょうがない。あとは男なんてみんなそうだと思うんですけれども(笑)、人と違うことがしたいんです。ここまでやってこれたのも、それがあるかもしれないですね」
益子で重低音のエンジン音が聞こえたらぜひそこで立ち止まってほしい。今日も満ち満ちた表情で、楽しげにクラシックカーに乗る仁平さんに出会えるはずだ。荷台には、古いものをたくさん詰め込んで。
仁平古家具店 / pejite
ともに仁平さんがオーナーを務める。仁平古家具店はより手に取りやすく、庶民的な暮らしの中で見出されてきた古道具が並ぶ。益子店のほか隣街の真岡にも同じ名前で店舗を構える。
pejiteはもともと米蔵として使われた倉庫を改装し、美術館的な要素を取り入れた空間。仁平古家具店に比べるとよりモダンで洗練されたリペア家具が並び、益子を中心とする作家の作品も並ぶ。