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Outdoors & Design 03

石川直樹

目的を超えた何かを発見する旅

アウトドア愛好家でありデザイナーでもあるジェームス・ギブソンは、彼の2つの情熱である「アウトドアとデザイン」を融合させ、日本のさまざまなプロジェクト、アート、クリエイティブな活動やブランドに光を当てている。

12/07/2021


「想像をはるかに超えたものに出会うことこそ旅の醍醐味」



著名な冒険家、登山家、写真家である石川直樹が山に登れと言ったら、僕は山に登る。唯一の心配事は、一体どの山に登ればいいのかということ。だって、彼がつい最近登った山はK2なのだ!

これは石川直樹の独特の世界観に踏み込む、僕自身の旅の記録だ。


山伏山からの眺望(Photography: James Gibson)

僕が登ることになる山は、石川県の能登半島の山伏山という小さな山であることが判明した。直樹によれば、能登半島先端の珠洲市にある山らしい。山頂には、航海の安全と日本海での豊漁を祈願するために小さな神社が設けられている。ここが僕の行き先で、直樹の足跡を追うようにこの山に登ることにとてもワクワクした。

登山の前に、直樹オススメのスポットをいくつかリストアップしてもらった。縄文遺跡や、銭湯、そしてもちろん、直樹の個展が開催されている「奥能登国際芸術祭2020+」などなど。この時はわからなかったのだが、彼の写真は僕がこれまで見過ごしていた日本の魅力的なエリアを発見できる地図のような存在になったのだった。

奥能登のキリコ祭りの慣習「よばれ」の光景(Photography: Naoki Ishikawa)


1年半

念のため、石川直樹のことを知らない方のために、彼の現在の人格の一部を形成し、また、写真スタイルにも影響を与えた少年時代のストーリーをいくつか簡単に紹介しよう。

17歳の時、高校生だった直樹は自分探しのためにインドに一人旅をした。この年齢の若者のほとんどは生きることの意義など考えていないものだが、直樹はこの旅を通じて、旅をすることの意味、そして、クリエイティビティにつながるヒントを得た。22歳の時にはすでに手練れのトラベラーであった彼は、国際プロジェクトに参加して北極から南極まで人力で突破。この時の体験は、彼の著作「この地球を受け継ぐ者へ – 人力地球横断プロジェクト「P2P」の全記録」にまとめられている。さらに終着点であった南極では、ヴィンソン・マシフに登頂。その後は、アコンカグア(アルゼンチン)、コジオスコ(オーストラリア)、エベレストに登頂している。

驚くべき経歴だが、僕が語りたいのは、彼が日本に帰国後、アドベンチャー系の旅から一時離れて、北海道の知床岬に向かった旅についてのことだ。

奥能登国際芸術祭2020+「さいはてのキャバレー」(Photography: James Gibson)


サッポロビール

直樹にインスパイアされた僕は、ライカ II 35mmのフィルムカメラ(かつては僕の父親の持ち物だった)を引っ張り出し、Kodak Portra 400のフィルムを携えて旅に出かけた。僕が出発した時間には、すでに日も暮れており、見るも鮮やかな満月の灯りが彼方の地平線から海までを照らしていた。3時間に及ぶ旅の途中で何かを食べようと思っていたが、この田舎町ではすでにお店は閉まってしまっている。ようやく中華料理をテイクアウトできるバーを見つけたのだが、そこは皮肉にもその夜、僕が宿泊したホテルから5分の場所にあった。

窓から入江が見渡せる、バブル時代の残骸にように見えるこのホテル兼コンフェランスセンターは、かつてはそれなりにいい時代があったのだろう。僕が到着した際、アイスクリームとビールの自動販売機だけが静かなホワイエに並んでいた。レセプショニストの姿は見当たらない。しばらくレセプションで佇みながら、何か冷たいものでもと思い、中華料理と好相性のビールを買うことにした。販売機をよくよく見ると、僕が選んだサッポロビールは売り切れらしい。その瞬間、レセプショニストが到着し、浴場がすでに終了していることを知らされた。翌朝午前6時にはオープンするらしい。なんて早いんだ。


「ここは“さいはて”ではなく、“入り口”だと思う」

奥能登国際芸術祭2020+「さいはてのキャバレー」(Photography: Naoki Ishikawa)


門戸を開く

疑うことを知らない、好奇心旺盛な23歳の若者にとって、北海道の旅は、日本にはまだ知られていない場所がたくさんあるという発見の旅となった。僕は好奇心に駆られて、訪れる価値がある場所が示された一風変わったイラスト入りの地図を丹念に眺めた。僕は直樹が惹かれた場所について知りたくなってきた。

直樹は、知床はアラスカみたいな場所だと聞いていたそうだが、実際そうだった。通常の視点からは地の果てのように思われる場所の数々で、思いもよらぬ発見があったという。地図を上下逆さまにするように、海との関係性をまったく違った目で見てみると、知床は人や物の行き来が活発の行われているハブのような存在に映り、あらゆる場所と繋がっているゲートウェイのように思えた。この視点で捉えた時から、彼は知床の魅力と独自のカルチャーに惹かれるようになった。

禄剛埼灯台(Photography: James Gibson)


山に登る

僕の部屋で、誰かが嵐が近づいていることを話していた。これは夢ではなく、なぜか午前5時45分に自動的にスイッチがオンになっていたテレビからの音声だった。

もう一回眠る気にはなれないし、ともかくコーヒーが飲みたくなった。でも、今できることはお風呂に入ることだけなので、開いたばかりの浴場に向かった。浴場には僕一人だけ。禁煙、ソーシャルディスタンスの確保などを謳った注意事項や地元のブランド牛のチラシなどが貼られ、洗面台の下には、ピンクのドライヤー、更衣室の角にはお決まりの体重計が置かれている。

去年は銭湯が恋しかった。かつては週に何回か通うほどだったので、僕はこの静かな時間を満喫していた。ほどなくして、他の客が浴場に入ってきた。おそらく彼もコーヒーを欲しているのだろうか。誤って水風呂に入ってしまい、「冷たい!」と言って湯船から飛び出した。僕は彼が温かい湯船に浸かって幸せそうな表情を浮かべているのを見届けると、コーヒーを求めて食堂に向かった。意気揚々と食堂に着いたのだが、「えっ、コーヒーないんですか?」

しかし、僕は宿に籠っているべきではなかったはずだ。そう、僕には登るべき山があるし、登山はすでに始まっていたのだ。

禄剛埼灯台(Photography: Naoki Ishikawa)


ありふれた日常の美しさを垣間見る

十数年間、直樹は同じ場所を何度も訪れては、自分が惹かれた場所で暮らす人々と交流を続けてきた。このように関係性が密接になるにつれて、彼は通常の写真の次元を超えた写真を撮影するようになった。自分で巧みに編集した見栄えのいい作品ではなく、日常をありのままに美しく活写した写真だ。

直樹は、地元の人と仲良くなることで、ちょっと日常から逸脱したような、知る人ぞ知る祭事の写真を撮るチャンスにも恵まれた。そこには、あらゆる縛りから自発的に、あるいは無意識のうちに解放された人々の姿がある。

「日本のお祭りでは、自分を忘れて、無意識を表出させた人たちの姿を垣間見ることができるのです」

日々の生活で、日常を丁寧に受け止めることは実に美しいことだ。おそらく、彼がレンズを通して伝えたいのはそのことではないだろうか。

犬(Photography: James Gibson)


焼き芋

僕は再び車中の人となった、その日に最初に立ち寄った場所は、10分ほど海岸沿いを走った場所にある真脇遺跡縄文館だった。ここは、1989年に国指定史跡となっている。栗の木とススキで作った縄文小屋に入ると、中央のスペースで男性が焚き火でサツマイモを焼いていた。

彼と会話しながら、今から約6000年前の縄文時代にここに人が住んでいたことがわかった。直樹はこの場所は、一見するとわからないが、とても感じ入ることが多いスペシャルな場所だと言っていた。慌ただしく観光していると見過ごしてしまうスポットだ。切り株に座って、狩猟や食材の収集、そして、昔使われていたさまざまな道具の話などを聞いた。僕はこの場所の重要性と、なぜ石川さんがこの場所に関心を抱いたのかがわかってきた。

そこに大勢の中学生の集団が「こんにちは!」の大合唱ととともに入ってきたので、我々の会話は中断された。僕は笑いながら、焼き芋を手に、古の人々の過酷だが、シンプルなライフスタイルに思いを馳せながら、表に出た。

地元の高校生(Photography: Naoki Ishikawa)


隠れた才能

直樹は、土地自体の魅力にも関心を持っているものの、それはさほど重要なことではなく、その場所で創生され、継続しているコミュニティーにより惹かれているのだという。

話を進めるにつれて、直樹の本当の才能、いや別の言葉で表すならば、隠れた才能は関係性を構築することではないかと思った。彼の被写体のみならず、クリエイティブ・プロセスとライフスタイルに関わるすべての人、対象物に、彼のこの才能が発揮されているような気がする。例えば、彼の書籍の製作に関わっている出版社、編集者、デザイナー、フィルムを現像する技術者とプリンターの卓越したテクニック、彼の3台のPlaubel Makina の修理を引き受けることができる日本で唯一の技術者などとの関係を見ればそれは明らかだ。先ずは人との出会いから始まり、その後、相手への好奇心から会話が進み、コラボレーションが始まり、その結果として素晴らしい写真や書籍が仕上がるとも言えるだろう。

見附島(Photography: James Gibson)


カレースパゲッティ

焼き芋はあったかくて美味しかったけど、前の日は寝るのが遅くて、早起きしたせいか、ちょっと身体がへこみ気味でもっと栄養のあるものが食べたかった。直樹の展示を覗く前に、食べる場所を探したが、どこも閉店しているか、なかなか食事にありつけなかった。どこか暖かい場所に落ち着きたくて、僕は近くのこれといって何の特徴もない食堂に入った。それほど期待もせず、あんまりイケてないように思えるメニュー、カレースパゲティをオーダーした。気まぐれでオーダーしたこの一品は思ったよりも美味しかった。これで心も体も落ち着いた。これでようやく、直樹からたくさん話を聞いていた写真を見ることができると思うとなんだかワクワクしてきた。

ウォーターフロントにある古い倉庫の上でボランティアのスタッフが寒そうに座っている写真が、展覧会で僕が気に入った写真だ。学校の前で高校生のグループが、男女別に分かれてぎこちなく立っている写真も印象に残った。地元の子どもをフィーチャーした写真がたくさんあったが、あらゆる年齢層の人たちのいろいろな場面を捉えた写真が満載だ。海景の写真や僕がさっき訪ねたばかりの真脇遺跡の写真も印象に残った。

展示されている写真を見ながら、僕は直樹との会話で話題に上ったたくさんの場所を確認できたし、まったく知らない場所の写真もあった。作品を見ながら、僕は頭の中でいろいろ場所をマッピングした。チェックした場所は、僕の目的地である山伏山へのイントロ的なスポットだった。

見附島(Photography: Naoki Ishikawa)


つながりのある島

フィルムに収めたものを捉えるため、直樹はこの6、7年にわたって、能登半島を断続的に訪れている。毎月訪れていた時期もあるほどだ。直樹は、ほぼ地元の人になってしまったかのようだ。

この一連の写真コレクションで、人のみならず、場所との関係性が変わっていったことがわかった。人が島々から海を渡って、行き交う様子が垣間見られるような作品が増えているのだ。これらの作品を見ていると、直樹が日本列島は世界で孤立した島ではなく、地平線の果てに連なる島々のひとつであると発想していることも理解できる。彼はこのような視点で、かつての、そして現在の世界、そして未来について再考しているのだろう。

弁天島(Photography: James Gibson)


自転車のように車で走る

彼の写真をいろいろ見たので、今では彼の言葉の真意が見えてきた。彼の関心は、僕が思っていたような、さまざまな場所の漠然とした融合ではなく、馴染み深い歴史的建造物のようなランドマーク的建物が立ち並ぶ隙間に存在するスポットにあるのだ。

僕は頭の中でマッピングしながら、脇道を走り始めた。最近、能登半島のこの辺りは整備が進み、目的地により早く到着できるバイパス道路もできたが、帰路の風景は同じで、何も見るべきものはない。「旅は終着点である」とたくさんの人が言っているが、僕は自転車のようにゆっくりと車を運転して、そこかしこに見られる隙間のような景色を眺めながら、再度このセリフをつぶやいた。

「日常的に隙間のような風景を見ることができる」ことを直樹は一連の写真の中で表現している。僕は道中撮影を続けていくうちに、自分の視点が変わっていくようになったと思った。あの展示は、ポジティブな意味で新たな発見があったし、これから始まる旅への期待感を高めるものだった。

自転車に乗る中学生(Photography: Naoki Ishikawa)


デジタルカメラは、フィットしない

「どうして、フィルムで写真を撮るんですか?」と僕は直樹に訊いてみた。正確に言うとそうではなくて、他の分野でもアナログ派ですかと尋ねてみた。僕たちはカメラと現像プロセスについて話していたのだ。一本のフィルムでたった10枚の写真しか撮れないということは、写真を撮る前に頭の中で編集作業が必要となる。一方、デジタルカメラでは、好きなだけ写真を撮れるし、上手く撮れなかったものは削除すればいいという心持ちになる。「僕はデジカメのように際限なく写真を撮ることはあまりいいことだと思っていません。デジカメは僕のクリエイションにはそぐわないし、肉体的にもフィットしないのです」。露出を調整して、シャッターを切ることは一回のみの瞬間的行為であり、秒単位で切り取った旅の一部だ。

直樹は書籍や展示で彼の作品を実際に見てもらうことで、人と交流したいのだと語る。だから、彼がアナログ機材を使っているのも合点が行く。「30年、50年先にも古びることがない写真集を作りたいのです」

山伏山(Photography: James Gibson)


自分の写真を撮ってみる

陽も暮れたころ、僕は能登半島の先っぽにある海沿いの小さな町、狼煙に着いた。もう少し早い時間なら、山伏山がすぐそこに見えたんだけどな、と宿のオーナーが彼の肩越しを指差して言う。ラッキーなことに、その日に僕は「山伏」という名の部屋に泊まった。宿の後方に位置するこの小さな畳の間にどうして泊まることになったのかと考えた。室内に風呂はあるのに、水の蛇口はなんと2つ。どうして、オーシャンビューの部屋に泊まれなかったんだろう?明日登る山と同名の部屋に泊まるように運命付けられていたのか?僕はなんだか物事が上手く進んでいるような感触を覚えた。

翌朝、ほとんどピンを立てていないGoogle Mapを使って、登山のスタート地点をチェックした。地図上の経路に身を委ねて、頂上に続いていくはずの木々が生い茂る森を抜けていった。歩いていると、ほどなくして神社の鳥居があり、どうやら僕の選んだルートは正しかったことがわかった。お辞儀をして、鳥居をくぐると、とても傾斜が険しいスイッチバックを登り、ようやくなだらかな尾根にたどり着くと、木々の隙間から海が見えてきた。地衣類に覆われた古い神社が目に入ると、僕はまるで昨日見た写真の中にいるような感覚になった。ついにここまで来た。次は何をしたらいいのか。

直樹の旅の行程を辿りながら、僕は自分の旅の瞬間を切り取るべく写真を撮った。フィルムの枚数が尽きたので、僕は神社の石段に座って、神様にお祈りをしながら、フィルムを替えた。フィルムをカメラにセットする音と虫の声、岩肌に向かって吹く風の音以外はとても静かだった。僕は30分くらい、じっと静かに座って周りの景色を眺めて、あたりの音に耳をすませていた。

山伏山(Photography: Naoki Ishikawa)


目的は…

人はたびたび目的について話す。この山に登ることで僕の目的は果たせたのだろうか?そんなことはない。でも直樹と話した時に、彼がさらっとまとめてくれた「彼流の目的観」が僕は好きだった。

直樹によれば、目的を持つことは大事だが、時にはそこから逸れることもいいことだという。曰く「もちろん、旅に出る前に目的を持つことは基本だけど、そこから逸脱したものに出会う方がもっと面白い」

目的にあまりこだわり過ぎるのは良くないと言うことだ。気に入った。

宝湯(Photography: James Gibson)


2階には何があるんだろう?

目的地に着いた直後に家路を急ぐことはせず、ここまで来る途中に訪れた場所をもう一度訪れて写真を撮ることにした。今日は新しい一日だし、今日の僕はかつての僕とも違う。だからフィルムで写真を撮るのだ。

前半でも書いたが、直樹が「宝湯」という銭湯を訪れることを勧めてくれた。前回、雨の中に訪れた時は閉店していたが、今回は好天に恵まれ、その銭湯は開いていた。道路の真ん中で、写真を撮ったが一見普通の銭湯のように見える。2枚写真を撮ったのは、1枚目を撮った時はレンズキャップをつけたままだったからだ。入ろうか否か迷ったが、直樹の「あそこに行けば、あたたかく迎えてくれるはず」という言葉を思い出して、入店した。

僕は驚いた。

宝湯内での展示風景(Photography: James Gibson)

浴場そのものは、いい感じで寂れ感があり、僕以外の利用者は全員老人だ。お決まりの富士山のタイル絵の代わりに、クロマツの木を思わせる形の見附島(能登のシンボル的な島だ)が描かれ、そして、僕の脇にはここ珠洲市の海岸沿いの光景をモチーフにしたデコレーションがある。でも、驚くのはまだ早かった。

帰り際に受付を見ると、大ぶりの山の写真が目についた。エベレストの写真だろうか。なんとなく直樹の作品のような気がする。昨日の展示で見た写真で、銭湯のオーナーの顔を知っていたので、話しかけてみた。やはりこの写真は直樹の作品だった。

靴を履いていると、赤いカーペットが敷かれた階上に上がる階段を見つけた。「2階に何かあるの?」と思わず口に出た。それを聞いたオーナーの橋元さんが番台から飛び出して階上の大きな部屋に案内してくれた。僕はまたしても直樹のアートの世界に入り込むことになった。

宝湯(Photography: Naoki Ishikawa)


写真集

能登半島に訪れたことがなくても、直樹の個展を見たことがなくても、心配することはない。近々、「奥能登半島」と題された直樹の写真集が出版される。これは、国東半島、知床半島に続く直樹の半島シリーズの第3弾だ。

「奥能登半島」石川直樹著(青土社)2021年12月発売予定

宝湯(Photography: Naoki Ishikawa)

またもう少ししたら、「Streets Are Mine」と題された写真集も発売される。この著作では、渋谷をテーマにしている。海外への渡航が制限されていたので、直樹は渋谷に目を向け、この街に生息するネズミにフォーカスしながら変わりゆく渋谷の風景を撮影し続けた。

緊急事態宣言下、人々が家にこもっているとき、多数のネズミが通りに出てきた。直樹は渋谷のストリートに大量に出現したネズミを「写ルンです」で撮影した。彼は自分の出身地である東京を「優柔不断な街」と評している。東京では、かつての面影を思い出せないほどのスピードで景観が変わり、特にこの2年間はコロナとオリンピックに気を取られているうちにあっという間に景観が変わってしまった。「愛する場所が見つかる前に、すごいスピードで変化する街」という観点から東京を捉える本を直樹は作りたかったという。

「Streets Are Mine」石川直樹著, 大和書房, 2022年1月発売予定
展覧会「石川直樹 ― STREETS ARE MINE」が2021年12月10日(金)からGALLERY A4(ギャラリー エー クワッド)で開催予定

生徒(Photography: Naoki Ishikawa)
カエル(Photography by James Gibson)


想定外の何かを発見する

ともかく、橋元さんの解説付きで直樹の作品を鑑賞することになった。直樹は正しかった、僕はここで歓迎されているように感じる。

今回の旅は成功だったのか?もちろんだ。ちょっとめげたことはあったが、美味しいコーヒーにありつくことができたし、これまで食べたうどんで一番美味しいうどんも食べることができた。それに銭湯で思いがけず直樹の作品展を楽しむこともできた。直樹の言葉と写真に導かれて、毎日、いろいろと興味深い体験をしながら、新しい観点で場所やそこで暮らす人々を見られるようになったのは収穫だ。

直樹は旅の成功をどのように定義づけるのだろうか?

「それは思いもよらぬことに遭遇できたこと。目的を果たせたことが成功ではなくて、想定外の何かを発見できたことが成功なんだと思います」と直樹は語る。

家まで車を運転しながら、直樹のこの言葉について考えていた。今回は想定外の何かを発見することができた。僕が唯一気になっていたのは、ちゃんと写真が撮れていたのかということ。結果はご覧の通りだ。



ジェイムズ・ギブソン James Gibson
人間の行動がこれまで以上に相互に関連している現代において、ジェームズは旅、写真、映像、クリエイティブ・ライティングを通して、自然再生デザインの観点から、「’design your life’ (人生をデザインする)」「’do-nothing design’ (何もしないデザイン)」「’well-being’ (幸福)」というテーマを探求している。その際、常に問いかけているのだ。ミクロからマクロに至るまで、健康とはどのようなものか知っているか?と。


Photographs courtesy of Naoki Ishikawa – © Copyright Naoki Ishikawa 2021 or James Gibson – © Copyright James Gibson.

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