港町に育まれた詩情
「みすゞさんのお墓に行くの? 向こうに車が見えるでしょ。そこを左に曲がるのよ」
仙崎の港町を歩いていると、不意に老婆から声をかけられた。百年近くも昔に亡くなった詩人の名前を親しげに呼んでいる。隣家では、彼女の詩が軒先に掲出されていた。
童謡詩人の矢崎節夫さんもまた、金子みすゞを「みすゞさん」と呼ぶひとりである。

「みすゞさんは消しちゃいけない詩人でした。あの言葉の力の強さ。誰だって心に彼女がいるはずですから、あなたのなかのみすゞさんと出会ってくれたらいいんですよ」
今や教科書などでなじみ深い詩人の名前は、信じられないことに1980年代まで歴史に埋もれていたという。学生時代に「大漁」の詩と出合い、衝撃を受けた矢崎さんが遺稿集を探すこと16年。512編が直筆で書かれた3冊の遺稿集をようやく見つけ出したときには、没後半世紀が経っていた。
「みすゞさんは他者の喜びや悲しみにたたずむことのできる人でした。『大漁』を知ったときはショックでしたよ、本当に。命は命によって支えられていることを、童謡によって気づかされたんですから。仙崎は昔から捕鯨が盛んな土地。近くの青海島には鯨墓だってあります。人間と鯨を同じ命と捉えていたんでしょう。みすゞさんの命に対するやさしいまなざしは、海に囲まれた仙崎の風土によって育まれたように思います」

仙崎の実家跡は「金子みすゞ記念館」として復元され、開館以来、矢崎さんが館長を務めている。館内で詩人と出会い直し、作品に書かれた寺社を巡る。最後に、港町を一望できる王子山に上がってみると、夕暮れの光線に照らされる、彼女が愛した仙崎が見えた。みすゞの詩「王子山」の言葉を借りるなら、「龍宮みたいに浮んで」いた。

金子みすゞ
本名は金子テル。1903年生まれ。山口県大津郡仙崎村(現長門市)出身。童謡詩人。「金子みすゞ」のペンネームで雑誌に投稿するようになり、「若き童謡詩人の中の巨星」とまで称賛されながら、1930年に26歳の若さで世を去った。後年、童謡詩人の矢崎節夫の尽力により『金子みすゞ全集』(JULA出版局)が出版され、2003年には故郷の仙崎に「金子みすゞ記念館」がオープン。代表作に「私と小鳥と鈴と」「こだまでしょうか」など。