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【Papersky Archives】

美濃和紙

静かに差しこむ自然光が一枚の紙をとおして、やわらかな光となって満ちている。世代を超えて受け継がれてきた技で、紙漉き職人はそれぞれの人生をかけ、丹念に一枚の紙をつくり上げていく。ここは岐阜県美濃市。1300年代から続く伝統的な和紙産業の町だ。この町を象徴する素朴で美しい美濃和紙は、日本が世界に誇る手仕事のひとつである。

06/10/2021

Story 03 | 伝統は木から生まれる

伝統はこだまのようなもの。世代が変わるたびに聞こえかたが違ってくる。伝統とは、年長者から若者へと受け継がれる知識のパターンである。こうしたこだまが生き残るには、時代に適応するしかない。適応するか、滅びるか。あらゆる自然体系に共通する原理である。中国の紙漉きの技術が日本に初めて入ってきたのは610年のこと。高句麗の僧、曇徴が伝えたといわれる。それから現在まで受け継がれてきた和紙は、まさに適応に成功したこだまのひとつである。最初に伝わった紙漉きのやりかたでは弱い紙しかつくれず、日本での使用には向いていなかったため、強く、繊維に富んだ楮が紙の原料として使われるようになった。ひとつ適応が起きたのである。そして、若手の美濃和紙職人である保木成敏の工房を見て、和紙が現代社会に適応しはじめていると感じた。

「昔の日本画や書物の修復だけではなく、いまの世の中で広く使われるような、新しいタイプの和紙をつくりたいんです」と保木は言う。まずはパルプ液に植物性の染料を混ぜることから始めた。さほど大きな変化には見えないかもしれないが、美濃和紙の売り物は昔から美しい白色だから、それに色をつけるのは大きな冒険である。彼は難しい透かしの技術も会得し、一枚の紙に色の濃さを変えながら模様をつけられるようになった。その結果、保木工房の和紙は高級な傘やランプシェードなど、さまざまな商品に使われるようになっている。彼の試みは、長らく苦境にあえいでいる美濃和紙の伝統に希望を与えるものだ。「90年代のバブル期には、手漉き和紙の職人になりたがる人間なんかひとりもいませんでした。もっとお金になる仕事がほかにいくらでもありましたから」。皮肉なことに現在、美濃和紙職人たちの最大の関心事は、彼らの伝統産業をどうやって商売として成り立たせていくかである。

保木が私たちを美濃に初めて植えられた楮の木のある谷に案内してくれた。美濃の人々はずっと楮を茨城から仕入れていたが、和紙の原料の調達から商品化まですべて地元でまかなえるように、自給自足の体制を整えることに決めた。しかし自給自足を実現するのは容易ではなく、個人の努力ではどうにもならない。「私も楮を育てようとしましたが、紙漉きが忙しすぎて木の手入れができず、虫に食われてしまいました。自分ひとりで全部やることは不可能です。和紙づくりはみんなでやるものです」。地元の人々が力を合わせ、自分たちの手で紙を漉く。長い時間がかかったが、美濃和紙の伝統はふたたび原点に戻ったようである。

< PAPERSKY no.33(2010)より >

text & photography | Cameron Allan McKean Coordination | Lucas B.B.