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西洋と東洋の出会い
東京レトロ建築ホッピング

東京では、かつて富裕層が住んでいた古い邸宅を歴史的価値がある文化財として保存し、一般公開しているケースが多い。明治、大正、昭和初期に建てられた私邸には、当時のカルチャー、ライフスタイルが色濃く反映されており、日本古来の伝統文化とモダンな西洋感覚がミックスされた独特の建築様式は、今見ても非常に斬新なスタイルに映る。 明治時代後期から昭和初期にかけて建てられた、必見の建築物5軒をここに紹介する。

04/16/2021

1.旧岩崎邸庭園 (1896年竣工)

不忍池の南西方に位置する旧岩崎邸は、1896年三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の長男、久弥の本邸として建造された。往時は、約20棟の建物があったが、今は3棟のみ現存し、三分の一の敷地となっている。設計は、「日本近代建築の父」と呼ばれた英国人建築家、ジョサイア・コンドル。かつて、コンドルは工部大学校(現在の東京大学工学部)で教鞭を執っており、日本人建築家の育成にも努めていた。

二階建ての洋館は、イギリス17世紀のジャコビアン様式を基調にしながら、海外のさまざまな地域の様式が取り入れられている。併置する和館、撞球室でも見事な装飾が随所に見られる。重厚な石の袖塀には、岩崎家の家紋の重ね三階菱が配されている。


2.旧古河庭園

西ヶ原にある旧古河庭園内の旧古河邸は、古河財閥の古河虎之助男爵の邸宅として建設された(1917年竣工)。洋館の設計はジョサイア・コンドル。外観はスコティッシュ・バロニアル様式をベースにしており、煉瓦造の躯体を真鶴産の新小松石の野面積みで覆っているのが特徴的。一階はすべて洋室、二階はホールと寝室以外はすべて和室になっている。 

洋館南側の洋風庭園には、階段を挟んでバラ園が配され、左右対称にさまざまな種類のバラが植えられている。さらに直進すると、ツツジ園となり、この先に広がる美しい日本庭園とをつなぐブリッジ的な役割を果たしている。 


3.旧朝倉家住宅(1919年竣工)

代官山のヒルサイドテラスに隣接しているこの建物は、東京府会議長と渋谷区会議長を歴任した朝倉虎治郎によって、1919年に建造された。戦後は紆余曲折を経て国有財産となり、渋谷会議所などとして使われた。現在は重要文化財に指定され、渋谷区が管理・公開している。 

木造2階建てのこの邸宅は、外観は和風だが内部に洋間を設ける近代和風住宅の特徴がみられる。玄関右手のモダンな洋間は、来客の受付などに使われた。1階西側には3つの部屋からなる「杉の間」があり、一間は書院造、残りの二間は軽快な雰囲気の数寄屋風で、ユニークなパターンの木目が大変美しい。


4.旧安田楠雄邸庭園(1919年竣工)

1919年、豊島園の創始者である藤田好三郎が千駄木に建造したこの邸宅は、関東大震災後に旧安田財閥の創始者、安田善次郎の女婿、安田善四郎が買い取り、安田家の所有となった。設計は、清水組。東洋と西洋のスタイルがバランスよくミックスされた建築様式が施されている。現在は公益財団法人日本ナショナルトラストが所有。

写真提供元:公益財団法人日本ナショナルトラスト


5.旧前田家本邸(1929年竣工)

駒場公園内にあるこの邸宅は、加賀・前田家の16代当主である前田利為侯爵の本邸として、1929年に造られた。建築様式はイギリスのチューダー様式だが、翌年に竣工された接客用の和館は書院造り。

侯爵がロンドン駐在武官であったことから、調度品もイギリスから取り寄せたものが多く、細部までこだわりが感じられる造りになっている。私邸をイギリス風に、接客用のスペースを和風にあつらえているのは、当時の建築物としてはとてもユニークなスタイルである。

東京は、関東大地震、焼夷弾による甚大な被害に見舞われたが、今でもこのような建築物を鑑賞できるチャンスがあるのはとてもラッキーだ。日本と西洋の建築様式が絶妙にミックスされた貴重な建築物の数々は、混沌のなかで、著しい発展を遂げつつあった当時の東京の息吹を私たちに伝えてくれる。