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Local Photographers
写真家たちが見つめる地域と暮らし

船橋陽馬

(秋田県 北秋田市)

 

10/03/2022

― 秋田の男鹿のご出身ですが、海沿いから内陸の北秋田へはどういった経緯で移られたのですか?

18歳まで男鹿で過ごして、その後東京に出たのですが、2012年、秋田に戻るかたちで鷹巣町(北秋田市)に移り住み、翌年からは同じ北秋田の阿仁にある根子(ねっこ)という小さな集落で暮らしています。鷹巣から根子に移ったのは、マタギの文化に興味を持ったから。マタギの写真を撮らせてもらうには、よそ者だと受け入れてもらえないだろうと思っていたので、マタギがいる集落に住むことにしたんです。

― マタギというのは、日本の山岳地帯で古くから熊などの狩猟を専業にしてきた人々ですね

そうです。阿仁地域はマタギの里として知られていて、根子もマタギの文化が残っています。マタギなんて、男鹿に住んでいたころは想像することすらできなかったんですが、30歳になって鷹巣に移り住んだことがきっかけで、これまで知らなかった慣習、文化に触れる機会が増えたんです。中でもマタギはとても刺激的でした。海と山とでこんなにも文化が違うものかと。


― マタギの写真を撮るために、自らもマタギに?

阿仁地域には阿仁猟友会という団体があって、マタギの人たちはそこに属しています。僕もそこに入れてもらうことができて、5、6つ上のマタギの先輩から山のことをいろいろと教えてもらい、だんだん山を歩けるようになりました。マタギの大先輩たちは「熊がここを歩くんだ」とか「山菜はここで採れるぞ」と教えてくれるんです。彼らにとっては当たり前の知識なのですが、僕からすると「何でそんなことまでわかるんだ?」と。暮らしていく為に必要な知識を、自然と身に付けていったのだと思うんですけど、そういう一つ一つが生きていく力なんだと感じたし、僕もそんな風に生きていきたいなと思いました。

― マタギの仕事は想像していたものと違いましたか?

結構ギャップはありましたね。マタギの本もいろいろ出ていますが、そこで紹介されている昔ながらのルールや作法といったものは現在では少なくなっています。でも唯一、今でも絶対的なルールとして残っているのが、獲った獲物は完全に平等に配分する『マタギ勘定』というものなのですが、僕はこの『マタギ勘定』の考え方がすごく良いなと思っていて。こういうことを昔からやってきたから、この土地の人々は生き延びれてこれたし、隣人を大切にするのだと思います。それが守られてきたということに、マタギとしてのプライドみたいなものを感じますね。

― 根子集落の第一印象はどのようなものでしたか?

想像と違って、とにかく忙しいところだなというのが第一印象でした。雪のない季節はトンネル掃除や草刈りといった小さな集落行事がたくさんあって、春になれば山菜を採りにいかなきゃならないし、秋になればきのこだったり、熊を追ったりもしなきゃいけないし、とにかくやることがいっぱいあるんです。

― 山菜やきのこを採りにいく人というのはだいたい決まっているのですか?

いえ、そういうわけではないんですが、暮らしのサイクルのようなものがあって、「今行かなきゃ山菜は採れない」といった瞬間があるので、皆が採りに行っていると、自分も行かなきゃという気に自然となっちゃうんです。笑


― 地域の皆さんはどのように受け入れてくれましたか?

やはり最初はよそ者ですし、「ロン毛で髭で、カメラマンって言ってるけど、あいつは何者だ?」っていう雰囲気はあったと思います。でも、僕たち(夫婦)はこの根子集落に住みたいという思いが強かったし、その為にもなんとしても受け入れてもらわなくてはと考えていました。

根子には「根子番楽」という伝統芸能があって、毎週水曜に練習があるのですが、練習の後は必ず飲み会を開かれるんです。そういった場があったおかげで、コミュニティに入っていきやすかった。とにかく地域の行事には積極的に参加して、集落の人たちと積極的にコミュニケーションをとるようにしていく中で、自然と打ち解けていった感じです。2、3年くらいかかったかなと思います。

― 根子に住み始めて3年経って、『根子の本』を作り始めたのはどういった思いからでしたか?

根子の集落においては、自分の職業(フォトグラファー)なんてどうでもいいって思って暮らしていたんですが、自分たちを受け入れてくれた根子の人たちに何か恩返しができないか、自分にできることがあるんじゃないかと思いが出てきて、『本を作りたい』と考えるようになりました。僕は根子のことが大好きで、この暮らしの素晴らしさを少しでも世の中の人に知ってもらいたいと思っていることを、友人のデザイナーの澁谷和之さんに話したところ、共感してくれて、一緒に『根子の本』を作ることになりました。

― 地元の皆さんの反響はどうでしたか?

集落の人たちは最初は半信半疑でしたが、実際に取材を行うようになってからは、皆が何かと協力してくれるようになりました。『特別なことは何もしてなくて良いです』と話していたのですが、取材の日になるといつもよりも多く人が集まっていたり。そうやって協力してくれるのが嬉しくて、集落の人たちと一緒に本を作り上げている感覚がありました。本を作っていた2年半は自分にとって本当に幸せな時間でした。

本が出来上がった時、集落の人たちがまず最初にたくさん買ってくれたんです。今は遠くに暮らしている根子出身の人たちからも『10冊送ってくれ』なんて連絡が来たり。『根子の本』を作って本当に良かったなと思っています。

― 今後やりたいことはありますか?

やりたいことはたくさんあって、まず手始めにというか自分自身興味があり、さらに良いご縁もあったことで、今年の3月に焙煎所「根子マタギコーヒー」をオープンしました。根子というを土地を知ってくれてる人、そして訪れる人もはある程度います。でも、訪れたとしても滞在できる場所がどこにもない。根子の良さはこの景観だけでなく、文化や人も含めた風土にあると思っていて、コーヒーという手段を用いて、この土地に留まり、地域の人と関わる時間を持つことでより深くこの土地を知ってもらえたらなと。

もう一つの理由としては、撮影の仕事は外に出ることが多く、折角好きでこの土地に住んでいるのにこの土地でお金を稼ぐということができないのが、自分としても納得できていなくて。それは自分だけでなく、基本的に集落に住んでいる人達みんなそうなんですが、何かしらこの土地で商いをしたかったんです。10年、20年先、息子達や地域に住む子供達がここには働く場所がないという考え方ではなく、仕事は自分で作っていくものだという考え方を持って貰えたらと。

今でも十分に楽しい日常ではありますが、より充実したこの土地での生き方、暮らし方を模索しながら、日々を過ごしています。



船橋陽馬 Yoma Funabashi
1981年男鹿市(旧若美町)出身。高校卒業後、上京。東京、名古屋、ロンドンの花屋で仕事をし、2009年帰国後、多摩美術大学に入学。在学中よりフォトグラファー・神林環氏に師事。大学卒業後よりフォトグラファーとして雑誌・広告等で活動。 2013年から、マタギ発祥地、そして根子番楽で知られる北秋田市阿仁の根子集落に住み、マタギ文化、山間部の人々の暮らしを記録し続けている。秋田県庁が発行するフリーマガジン「のんびり」、全日空ANA機内誌「翼の王国」、みずほ総合研究所発行「Fole」、青森県庁発行「青森の暮らしぶりを訪ねる旅」などの撮影に携わる。秋田公立美術大学附属高等学院特別講師。 2022年3月、焙煎所「根子マタギコーヒー」をオープン。
https://yomafunabashi.com
根子マタギコーヒー (Instagram)