【Togetherness】
主義や価値観の違いなんてあたりまえ。
だからこそ、そんな違いを尊重しあうことができれば、
きっと、ひとつになれるはず。 みんな、いっしょに、前を向いていこう。
【Originality】
だれもがありのままに、自分らしく生きることができれば、
もっと、世界はおもしろい。
さぁ、自分らしさを研ぎ澄ませよう。
【Doing Good】
わたしたち、ひとりひとりにできることは小さい。
だけど、みんなができることを積み重ねれば、
大きな課題だって、かならず解決できる。
地球のため、仲間のため、そして、なにより自分のために。
沖縄県・西表島で活動する染織家の石垣昭子さん。1980年に故郷の竹富島から西表島へ移り住み、夫・石垣金星さん(2022年逝去)と共に紅露(クール)工房を設立。糸素材や染料植物の栽培、染色、織りまで、手仕事で手間ひまをかけ布をカタチにする。現在85歳をむかえ、これまでの仕事の集大成を図るとともに、若い世代に何を継承していけるかを強く意識しているという石垣さんに、その貴重な経験と価値観を聞く。
石垣昭子さんは、東京の大学で服飾を学んだのち、京都の染織家・志村ふくみさんに師事。その後、竹富島に戻り織り手として活動し、西表島へ移住。しかし西表と竹富では風土が異なり、伝統的な織物も姿を消していた。
「西表に来たときは多少の竹富式の技術があっただけで、布を織るのに必要な材料や環境は全く揃っていませんでした。じゃ何から始めようかと言ったときに、まずは自分の決心。何もないことを前提に何をやるかとスタートしました」
何もないところから「自分たちの手でつくる」という姿勢が原点となり、実験と発見を繰り返し、物事のプロセスを理解することに喜びを感じるようになっていった。
「やっぱりこの年齢になって、『見えない世界』の本質や意味が実感として分かるようになってきました。表面的な見え方だけでなく、視認できない領域の魅力を追求し、感じ取ることを大切にしています。例えば布切れ一つとっても、完成までに時期、天候、土地、植物など様々な要素が関わって出来ています。だから糸を機にかけるまでの工程が大切で、物事の裏を知ることこそが本当の『仕事』だと考えます」
取材当日には、染色体験のワークショップが開かれた。参加者からは「布や糸などの原料はお金を出せば手に入るのに、なぜ自らつくるのか」と質問が寄せられた。
「確かに購入すれば何でも手に入るかもしれませんが、五感で覚えることで納得するものです。大切なことはネット上に書いてなくて、体で体験する。食す米一つにしても、田畑を整え、種をまき、草を抜いて。時間をかけて、自分で全てを体験するから発見がある。つくるプロセスこそが面白いじゃないですか」
40年以上にわたり、染織の仕事ができる環境をゼロから築き上げ、自給的に手仕事に取り組んできた。このことは、結果的に自然環境を守ることにもつながってきた。
「お金を払って購入する服と、誰が何のために織った服かわかっているのとでは、思い入れが全く違います。逆も同様で、誰のために織るのかが明確であれば気持ちの入り方も違います。知っている人がつくった服なら無下に捨てられないでしょ? 無責任なものが溢れているからゴミになる。島では『バーミィトーリヨー』(私の分を分けてください)と言って自然の恵みをいただく習慣があり、つくり手も必要な分だけをつくることが重要です」
土地の90%を森林が占める西表島では、自然との調和を重視した暮らしと仕事が存在する。島の人々は、自然を神様として敬い、太陽や風の具合を観察して一日が始まる。自然、伝統、行事など多様な要素が息づく中で、今後次の世代へと継承していきたい価値観についても話してくれた。
「師匠の志村ふくみさんの内弟子時代を終えて竹富に戻る際『あなたには技術的なことは教えられなかったけど、種を播いたつもりだよ』と言われたことを覚えています。当時は意味がわからなかったのですが、私も先生と同じ年代になって、あれは自立や精神性、取り組む姿勢のことを指していたと感じています。だから私も同じように子供たちへ、その見えない種を播き、一人ひとりの内に芽吹き、成長し、開花してくれることを願っています」
石垣さんは、西表島の豊かな自然環境で暮らし、染織の仕事を通じて独自の技術と哲学を築いてきた。その軌跡や「自分の手でつくる」熱意は、まるで「見えない種」のように、西表の人々だけではなく拡がりをみせる。その種を開花させるまで、今日も自分らしく、もう一歩、外に。
石垣昭子 Akiko Ishigaki
染織家。1938年 沖縄県竹富島生まれ。女子美術短期大学服飾科卒業後、志村ふくみ氏に師事。1980年に西表島に「紅露工房」を石垣金星とともに開設。