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【Papersky Archives】

熊野古道

山々のこだまが紀伊半島の中心に響き、熊野に届く。熊野は古代から神々が鎮座する地として崇められてきた。年間降雨量が高く、霧が立ちこめている。日本の巡礼者たちはおよそ3,000年も前から、この鬱蒼とした森の古道を歩き、神社や寺、滝や岩々に手を合わせてきた。

07/06/2022

Story 02 | 熊野で生まれ、山とともに暮らす

現在でも、熊野までのアクセスは悪い。新幹線も空港もなく、熊野本宮大社までは、海岸線の駅からバスを乗り継ぐしかない。ここには何千年も昔から、内気だが強靭な精神力をもつ人々が土を耕して暮らしてきた。だが、ここ百年ほどの間にその暮らしぶりはすっかり変わってしまった。「人々の考えは変わりました」と坂本勲生は言う。83歳の坂本は熊野の語り部である。熊野の地に生を受け、この地で人生を歩んできた。熊野は神秘的な場所だが、生活するには厳しい土地だ。住民は自分たちでなんでもやらなければならない。ここを去る人々を責めることはできない。若者たちは稼ぎのよい仕事を求めて都会に流れ、人口は減少した。だが、坂本はここでの生活を愛し、太古から続く美しい土地に生きる人々の素顔を、訪れる観光客に伝えている。

「初めてこの土地を訪れると、人々は周辺の山々に魅入ってしまいます。とくに雨の日は、刻々と変化する風景の色合いに魅了されるようです」。年間降水量が3,000mmを超える熊野は、日本でもっとも雨の多い地域。取材で訪れた日も、予想を裏切らず雨が降っていた。「私は雨の日がいちばん好きですね」と坂本は言う。上大野という小さな町の大工の家に生まれた坂本にとって、もっとも鮮やかに残っている子ども時代の記憶は、毎日4kmの道のりを歩いて学校に通ったことだという。「途中で釣りをしたり、山道で見つけたもので遊んだりしていました」。その時代の熊野は、活気があり、人々は強い絆でしっかりと結ばれていた。2004年に熊野がユネスコ世界遺産に選ばれたことは、大変意義のあることだと彼は考えている。これをきっかけに、「この土地が日本だけでなく、世界の宝になったからです。以前はどこにでもある田舎のひとつと思われていましたから」

「熊野古道には、昔の村人たちの病院があります。古道のあちこちに何百体というお地蔵さんがひっそりとたたずんでいますが、そのなかには、決まった症状に効く力をもったお地蔵さんがいらっしゃる。歯痛に効くのはこのお地蔵さん、腹痛にはそちら、腰痛にはあちらのお地蔵さんといったぐあいに。腰痛に効くお地蔵さんはお腹のあたりでふたつに分かれていて、その割れ目にお賽銭を入れられる。子安地蔵さんには、妊婦さんが訪れて安産祈願をするのです。つまりお地蔵さんたちが私たちの健康を守ってくださっていたのです」。森のなかのスピリチュアルな病院。熊野巡礼をする人々を守り、村人の生活の一部として何世代にもわたって信仰されてきたお地蔵さんたち。その姿を眺めながらユニークな発想に驚いていると、坂本は静かにこう言った。「熊野を訪れる外国の人たちは、この話にいちばん興味を示します。なぜでしょうねぇ」

< PAPERSKY no.39(2012)より>

Photography & Text | Cameron Allan Mckean Coordination | Lucas B.B.