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【Papersky Archives】

熊野古道

山々のこだまが紀伊半島の中心に響き、熊野に届く。熊野は古代から神々が鎮座する地として崇められてきた。年間降雨量が高く、霧が立ちこめている。日本の巡礼者たちはおよそ3,000年も前から、この鬱蒼とした森の古道を歩き、神社や寺、滝や岩々に手を合わせてきた。

07/05/2022

Story 01 | 日本の夜明け、そこに滝があった

熊野は日本で最も神聖な場所とされる、紀伊半島の霧煙る山並みに与えられた名前だ。この地は日本人の心の故郷であり、アイデンティティであり、信仰の対象であり、文化である。朝日芳英(熊野三山のひとつ、熊野那智大社の宮司)にとって、熊野は日本のエデンの園である。「熊野といえば人々は熊野三山の神社を思い浮かべますが、神社に意味があるわけではありません。熊野は日本人にとって心の故郷。熊野三山の社殿ができるはるか昔に、日本人の精神と心が生まれた場所なのです」。彼はその言葉を証明するように、朱色の神殿の後ろを指す。遠くに133mの高さから流れ落ちる滝が見える。この滝は「那智の滝」と呼ばれ、日本最古のご神体のひとつ。日本のイブ的存在であるイザナミを祀っている場所だ。イザナミはイザナギと出会って、国を生み、太陽やその他の神々を生んだという。

「私が初めてこの滝を見たのは昭和27年。同僚と旅行でこの地を訪れたときでした」と宮司は回想する。その後、縁あって熊野に50年以上仕え、社を司る宮司の職に就いた彼は、熊野の神々と土地の人々を結ぶ現世の橋渡し役である。ここ紀伊半島には神道、仏教、修験道の聖地がある。異なる信仰が共存し、それぞれの信仰を守ってきた場所だ。「手のひらを見てください」と宮司は言う。「手の横でも、甲でもいいですよ。どこから見ても、あなたの手であることに変わりはないでしょう。信仰の対象が異なっても大切なことは同じです。日本には八百万の神々がいて、私たち日本人はそのすべての神々を崇めています。そうした神々は大いなるものの一部なのです」。そう話す宮司の背後には、日本の宗教観を表す滝が流れつづけている。「2,700年ほど昔、初代天皇である神武天皇が、九州からこの地に船で着いたといわれています。森が広がる風景のなかに、これほど大きな滝を見て、さぞ驚かれたでしょうね」 

神道はこうして土地の精霊信仰と融合し、やがて仏教の霊場も熊野に近い高野山に拠点が置かれるようになる。「伝説によると、神武天皇は八咫烏(熊野三山のシンボルである三本足のカラス)に導かれ、この山々を抜け、最終的に奈良に落ち着いたといわれています。つまりここは“日本の夜明け”の地。新しい時代が始まった土地なのです」。古代から流れつづける自然の主に耳を傾けながら、宮司はこう語る。「私はときどきここに座って、絶え間なく流れ落ちる滝を眺めています。その姿は変化しつづけていて、二度と同じ姿はありません。自然の力は人間の想像をはるかに超えています。自然の為せる技は、とても人間が真似できるものではありません」

< PAPERSKY no.39(2012)より>

Photography & Text | Cameron Allan Mckean Coordination | Lucas B.B.