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Kenji Boys
現代に継がれる「賢治的」スピリット

菅間一徳
農夫、音楽家

宮沢賢治は多様な学問、文化、自然の摂理に関心を抱き、これらに生涯、情熱とアイデアを注ぎ続けた。そんな創造性、精神性を現代に継ぐ岩手の男たち。彼らが紡ぐ、ユニークな暮らしと仕事の物語。

03/08/2022

自分の手は、土のことを知っているのか?

「もうずいぶん前、東京にいるときでしたか。賢治の『農民芸術概論』の“なべての悩みをたきぎと燃やし、なべての心を心とせよ”という一節を知りました。この言葉によってここまで来たなと今は感じます」

岩手県奥州市の深い山奥で自然農に没頭する菅間さん。世界全体が幸福にならねば個人の幸福はあり得ず、強く、苦難を避けず、一心に打ち込もうという、賢治の農業青年に向けたメッセージを心に抱え、ひたすら作物をつくる生活に注力している。

東京にいたころはギターを片手に音楽家として活動をしていた菅間さん。かつて、「土と、白の色彩」という曲をつくった後に大きな気づきが心に芽生えた。

「土や自然そのものを表現する曲のはずだったんですが、本当に自分の手が土のことを知ったうえで曲を奏でているのか、ということを無視してはいけないと思うようになった。この作品をつくってしまったことを、恥ずかしいとさえ感じたんです」

そんな思考から逃れることができない自分を知り、ゼロから自然のなかで生きる術を叩き込むため、1年間、長野へ移住。その後、住む場所を探した末、現在の拠点である岩手の古民家に巡り合った。

「幼いころから東京での生き辛さを漠然と感じていたけれど、その答えが自然のなかに暮らすということなのかは今もわからない。でも農作業に打ち込んでいると魂が喜んでいるなという感覚はあります。自然農といってもまだ始めたばかりなのですが、自分の身体を農というものにどっぷり浸けて生きるということに大きな意味を感じますし、僕に必要だったのは土に触れて暮らすということだったのかもしれません」

百姓の時間を削ってまで音楽をやろうとは思わないと静かに語る菅間さん。自分に嘘をつきたくないという選択の先に、また美しいメロディを奏でる瞬間があるのだろうか。その答えは本人でさえまだわからない。


菅間一徳
東京都生まれ。10歳のころにギターを始め、ソロを中心に多彩なコラボによって数々の音像をつくるように。2020年、奥州市に移住。自然農に注力しながら、作物を地元の料理店などに提供する。

text | Miguel Utsunomiya Photography | Shuhei Tonami