Jomon Fieldwork
賢者の欠片

津田直
vol.2

いまから遡ること2,500年から13,000年、日本の歴史がはじまるずっと前に、日本各地で繁栄した縄文文化。このシリーズでは、フォトグラファー津田直が独自のフィールドワークを通して、縄文の歴史を紐解く新しいピースを拾い集めます。第2回は、岩手県紫波郡を探索したエピソードです。

09/01/2020

縄文人が暮らした空間へ

まだ吹雪く2月中旬、夜行バスの到着した夜明けの盛岡駅に降り立つと道路は凍りつき、吐き出す息が一瞬目前を白く霞めるだけで、まだ人影すらなく、駅前は静まり返っていた。近くには誰が作ったのか、かまくらがあった。中に入ると風はぴたりと止み、風を凌げるだけでこんなにも体温が奪われないものかと感心し身体をほぐした。穴から空を見上げると今日は太陽が照る予感がしたので、リュックを背負い出発した。

岩手県紫波郡へ。北上川流域の東側、山間の道をぐんぐん進むと積雪は深まり、気がつくと小動物たちの足跡に囲まれていた。僕は石灰岩層でできた洞窟へと続く雪道を案内人の松坂嵩さん(松さん)と共に歩き、洞窟が発見された当時(昭和初期)の話に聞き入っていた。松さんによると、ある時マタギの犬が穴に落っこちて洞窟は偶然見つかった。その後、真っ暗な洞穴の奥では縄文時代後期から晩期にかけての土器、石器、骨角器などが次々に発見され、中には鹿、イノシシ、熊などの獣骨も含まれ、縄文時代の横穴式洞窟住居跡としてわずかながら調査隊も入ったという。発見当初の話をさらに詳しく尋ねると、当時は火を熾した場所がそのまま残り、足元には土器が転がり、まるで縄文人が立ち去ったばかりのようだったという。さらには頭蓋骨まで存在していたらしいが、研究者か誰かの手に渡り、今では所在がわからなくなってしまったそうだ。それでも遺物の一部は保管され、地元の郷土資料館へ移され残されていた。協力を得て見せていただくと、土器片は山のように積まれ、かなりの量が出土したことをうかがい知ることができた。一片一片を手に取り、指先でなぞる。中には形を崩さずに残った土器もあり、朱塗りが表面にほどこされた台付鉢は、冬空の下で独特の照かりを見せていた。角が落ち手触りの軟らかくなった滑らかな土器を手にすると、最近まで使用していたのではないかと思わせるほどに馴染み、永年の隔たりが感じられなかった。

洞窟は奥へとつながる細い通路を抜けると、思いの外に広い場所に辿り着く。そこはまるでドームのようで、人が集える広さがある。松さんが「きっとみんなが集まれたね」とにこやかに教えてくれた。頭上には冬眠中のコウモリが身を縮め群れていた。振り向くと松さんが手を伸ばしコウモリを捕まえ、羽を広げ伸ばして見せてくれた。大人が両の掌を広げた程度のキクガシラコウモリは、現在90羽ほどがこの洞窟に暮らしている。行動範囲は20キロを優に超えていると聞いて驚いた。

かつて縄文人が腰掛けたかもしれない岩場を前に、洞窟全体を眺めた。時空を超え想像すら及ばない永き時間を思い描いていると、「自分」という儚き存在はすでに土に還り、縄文時代から奇跡的に手つかずに残された風景だけが辺りを包み、僕自身は空っぽとなった器の陰くらいの存在にすら感じられた。空気は静止したままで、遠くで水の音が微かに聞こえていた。松さんが、「地下水が流れているんだよ」と言った。地面からは所々キノコのように氷筍が生え、重力が逆転している錯覚を覚えた。地元のケイビングクラブが洞窟を調査した時のこと、その土からは魚の骨が見つかったらしい。「食事の跡が残されていたのかもね」そんな声が後ろから聞こえた。

地上に戻ると、風がいたずらに僕の周りを吹いてみせ、どこからか山の香りが届いた。太陽が照り雪原の白く眩しい地面には、透明な足跡のような僕の陰が落っこちていた。

<PAPERSKY no.38(2012)より>


津田直 × ルーカス B.B. 対談動画
2019年9月21日〜11月24日に長野県八ヶ岳美術館にて開催された津田直展覧会「湖の目と山の皿」会場で上映された、津田直とルーカス B.B.による縄文フィールドワークについての対談動画です。


津田直 Nao Tsuda
1976年神戸市生まれ。世界を旅し、ファインダーを通して古代より綿々と続く、人と自然の関わりを翻訳し続けている写真家。文化の古層が我々に示唆する世界を見出すため、見えない時間に目を向ける。主な作品集に『SMOKE LINE』、『Storm Last Night』(共に赤々舎)、『Elnias Forest』(handpicked)がある。
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