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Japanese Fika

いとうせいこうと
東西が融合した新・茶会

vol.9 詩人・比較文学研究者 管啓次郎

いとうせいこうさんが主人になって、気になる人を客人に迎え、お茶の時間を楽しむJapanese Fika。今回のゲストは詩人の管啓次郎さん。詩や翻訳、批評などの作品を手がける一方で、さまざまな土地を歩いてきた旅人でもあります。FIKAというふたりの散歩は「歩く」と「言葉」をテーマに歩き始めたものの、興味の向くままあちらへこちらへと心地よく続いていきました。

07/26/2024


詩人・管さんとはこれまでいかにもすれ違いそうだと思っていたけれどその機会がなく、ついに「歩く」ことをテーマにした茶会でお会いすることが叶いました。ずっと座っているけどじつは互いに歩くことを考えている。まさしく言葉のみが可能にしてくれる多方向のコミュニケーションを楽しませていただきましたよ!

ーいとうせいこう



いとう:今日は「歩く」ことと「言葉」をつなげて考えてみるのはどうでしょうか。

管:歩くのは好きです。ここにも作品がある画家の佐々木愛さんとは2008年ごろから一緒に歩いて作品づくりをしています。彼女は景色を見て構想を深め、僕はその場にあるものに反応しながら、なんとか言葉にする。そして絵と手書きの詩を並べて展示する。もう30作品ぐらいできたかな。そもそも人間は歩いて始まった。足を一歩踏み出すと、足の裏に刺激が伝わってくる。皮膚感覚としてその場の空気、気温や湿度を全身で体験する。次にどこに足を置くか、つねに全面的な判断もしている。だから歩くことで人間の存在自体が活性化され、自分を見直すきっかけにもなる。歩いているうちに、ある人は内にこもり、ある人はまわりに注意が向いて次々と新しい発見をする。せいこうさんは、歩きますか?

いとう:僕はなるべくタクシーなどを使わないようにしていて。今日も地下鉄で渋谷に出て、マネージャーとの待ち合わせ場所にいつもどおり迷いました。迷うのがどきどきしておもしろい。出口はたぶんBの何番だったはずとか考えながら歩きます。頭のなかを整理するためというより、攪拌するために歩く感覚です。

管:攪拌されているのは、時間かもしれませんね。言葉は根本的な性格として過去指向。言葉によって語られる未来や現在も、じつは過去のことといえます。言葉は根本的に過去に住んでいるもので、プールみたいなところから少しずつ引き出しては使うイメージかな。ポータブルなタイムマシーンとして、時間や空間を移動する旅行も可能にしてくれます。

いとう:言葉がつねに振り返っているということは、言葉を考えながら前へ歩くのは同時に2方向に行っているとも考えられますね。

管:そうそう。僕の信条は、最寄りからひとつ先の駅まで歩いて乗って、目的地よりひとつ手前の駅で降りることなんですよ。「2駅までは歩こうモンゴロイド魂」っていう1行詩をつくって、それがモットー。

いとう:僕も「都市山岳部」っていうのをつくって、何歩上がって下がったのか記録したりしていました。東京はものすごく上がり下がりが多くて、じつはみんな山岳をやっている。

管:それは流行らせたいな。僕はあるときから大江戸線をよく使うようになりましたね(笑)

いとう:大江戸線は途方もない冒険です。地中深くを走っているから、地上まで階段が延々と続く、絶望的なほど。延々といえば、僕の友人に人類や恐竜の研究をしているおもしろいやつがいて、彼が「人類のいちばんの特徴は長くだらだら歩けることです」って言っていました。他の動物は素早く走れても、1日中歩いていることはない。でも、人類は海岸沿いをずっとだらだら移動してアフリカを出て、ここまでたどり着いたんですって。

管:たしかにそうかもしれない。ブルース・チャトウィンの『パタゴニア』で、ある登場人物が「僕の神様は歩く人々の神様だ」と言っていました。チャトウィンにとって精神的な兄弟みたいな存在だった映画監督のヴェルナー・ヘルツォークは、真冬にベルリンからパリまで歩いたことがある。自分が歩き通せば尊敬する映画評論家のおばあちゃんの病気がよくなると信じて、彼はずっと歩いた。すると、本当に彼女が治っちゃう。この実話がすごく好きなんです。彼らの間で歩くことには芯のとおった部分があって、それが祈りにつながっていることが共有されている。それがおもしろい。

いとう:一心に歩くっていう。

管:「出アフリカ」と言いますけど、そもそも人類は何を思って歩き始めたんでしょうね。

いとう:さっきの友人は「いろいろ拾っていたんでしょうね」って。打ち上がっている貝や魚を食べたりしているうちに、あっちにもあるなみたいな感じで、行き当たりばったり。

管:そうかもなあ。僕は足跡もものすごく重要だと思う。他の動物も同じだろうけど、足跡を見つけて、避けるか、そちらに行くか。その繰り返しで、どんどん行っちゃうところもあるんじゃないかな。

いとう:じつは歩くのは動物だけではないですよね。園芸家で友人の柳生慎吾がよく「植物は歩いていますよ」って言っていました。我々とはスピードが違うから気づけないだけで、たとえば高山植物が温暖化で上へ上へ移動していることなど、園芸家たちは実感として「歩いている」と見ている。

管:ものすごい年月と世代をかけて、森だって歩いている。『マクベス』の「森が動いているぞ」というのは本当のことなんですよね。結局、人間は自分たちが生きられる年月、たかだか70~80年程度の幅でしか物事を考えない。これが本当に大問題。百年、千年、一万年、十万年の4つぐらいのタイムスケールを想像力のなかでもって、陥りがちな思考の時間枠を克服できるだけで、現代の多くの課題は変わると思います。

いとう:この木は千年生きてるんだぞって想像できれば、伐るのはやめておこうとなりますよね。僕は神宮外苑の樹木伐採を反対するデモのために「1本の樹木は森である」という詩を書いたんですが、1本の木は個体のふりをしているけど、そうじゃない。たくさんの虫や寄生木がいて、そこには複雑な生態系があります。1本切ることで何匹殺していることになるのっていうこと。

管:人間だって多数の生物の複合体なのにね。それを我々は言語によっても知っているはずです。言語は個体になり得ないものですから。僕は皆さんに百年前、千年前のことを少しずつでも考えるようにしてみてほしいと思う。それは自分が生まれる前の「未生の時間」、言い換えると「死の時間」について考えることになります。我々は、未来において過去の何かを投影したものを死として把握するわけだけど、そうすると自分たちの生きている「生の時間」は生と死がともにあるものだという結論に至る。そういう視点を身につけることが大切でしょう。森の道を歩いていると、そこにある目に入るすべてが生と死の複合体。これはすごく重要なことで、森はつねに生と死の複合体であって、それが生きている。歩くことで私もそこに加わり、私が歩けなくなったらそこに呑み込まれていく。それがいちばん幸せな結末なのかなって思いますね。

Japanese Fika Table

Tea:さつき会の石鎚黒茶
霊峰・石鎚山の麓に位置する愛媛県西条で江戸時代から続く、日本茶では珍しい後発酵茶。昔ながらの手作業による製法を守り、茶葉を蒸した後に木桶に詰めて石鎚山で発酵させている。緑茶では味わえないやわらかな酸味が特徴。無形民俗文化財

Sweets:alkuの石鎚山のショートブレッド
山好きのオーナーがつくる焼き菓子やグラノーラは優しい甘さでトレイルフードにもぴったり。石鎚山のショートブレッドは型から手づくりして模した山姿も愛でたい

Flowers:原種の花が咲く過去の風景
淡いピンク色に染まった可憐な花が咲くチューリップの原種・ヒルデ。ころころと愛らしい球根も愛でられるように吹きガラスのフラワーベースに合わせる。稲葉知子・作

詩人/管啓次郎
1958年生まれ。詩人、翻訳家、比較文学研究者。明治大学大学院<総合芸術系>教授。『コロンブスの犬』『狼が連れだって走る月』など批評的紀行文やエッセーを多数執筆する。2011年に『斜線の旅』にて読売文学賞。近著に『本と貝殻 書評/読書論』詩集『一週間、その他の小さな旅』などがある。


いとうせいこう
1961年、東京都生まれ。作家、クリエイターとして、活字・映像・舞台・音楽・ウェブなどあらゆるジャンルにわたる幅広い表現活動をおこなっている。近著に 「われらの牧野富太郎!」「今すぐ知りたい日本の電力 明日はこっちだ」などがある。

text | Bunshu photography | Atsushi Yamahira Flower | Chieko Ueno (Forager)