「近頃の若い人は」って言葉は普遍的に社会を縛るなあと思いました。
そもそも行動に年齢は関係ないわけで。
そういう意味でも今回の渡部さんのWELgeeには老若男女がどんどん参加して欲しいし、だいぶ老の方になった僕もそうします。
ーいとうせいこう
いとう:大学時代、バングラデシュに留学していたんだよね。
渡部:大学では平和構築や開発の勉強をしていて、そのフィールドワークで先住民が暮らす地域に行きたくて。2週間の予定が、休学して2年になったんです。卒業後、国際支援機関の仕事でバングラデシュに戻るはずでしたが、首都のダッカで大きなテロが発生して行けなくなりました。それで「人間の安全保障」について学際的に学べる東京大学の大学院に進み、在籍中に仲間と立ち上げたのがWELgeeです。
いとう:難民問題について動かなきゃっていう強烈な思いがあったんだ。
渡部:このすごく複雑な課題に風穴を開けるようなことをすでにやっている組織や人がいれば、そこに参画したほうがインパクトは出たと思います。でも、これというものに出会えず、「じゃあ、自分でやるか」っていう感じでした。いちばん大きいのは、難民の人たちと一緒に課題解決するという観点。彼らを救済しましょう、支援しましょうという文脈は、自分にはハマらなくて。
いとう:海外で難民の支援団体などを取材したときに難民の人が手伝っているということはあっても、計画自体から参加しているのは、あんまり見たことがない。みんなで考えて、どうにかしようってことだよね。
渡部:そうです。政府の弾圧や差別などから逃げてきた人たちは、故郷での経験や好きなことを活かして、日本で第二の人生を歩もうとしても、結局その方法がわからず、在留に必要な「難民認定」されるのを待ち続けるしかない。そのうち心がぼろぼろになって、最終的に認定されずに自国に戻るようにいわれ、でもそれもできずに支援に頼りながら日々をつないでいるという現実があります。これはお金やスタッフの人数で解決できることじゃない。構造自体をどう変えればいいのか、難民の人たちと一緒に解決しなければ先に進めませんでした。

いとう:若くして難民になった人に話を聞くと、だいたい勉強したいっていう。勉強しないと社会的に抜け出せない構造のなかに入っていることを自覚しているんだよね。
渡部:2016年にWELgeeを始めたころは、どこに風穴があるのかをひたすら探す日々でした。終電後の渋谷駅や麻布十番の地下通路を巡って、難民の人たちを探しては話を聞いていました。
いとう:そこからどう前進してきたの?
渡部:日本語を学ぶお手伝いをしたり、進学を希望する人には日本の大学に通う機会や奨学金を探したり、難民の人たちが日本で活躍していく道筋づくりをしてきました。彼らの経歴はばらばらで、弁護士や医師、アスリートだったという人もいます。そういったキャリアやスキルを活かしてもらえる企業に相談して、彼らの存在が企業にとっても成長の起爆剤になるベストマッチをつなぐこともしています。人の数だけ人生の幅があるんですよね。
いとう:日本の人は「難民」というと、命からがら逃げてきたおんぼろな姿をした人たちって頭になっちゃうじゃない? もちろんそういう方もいるけど、いろいろな事情があるんですよっていうことが抜きになっちゃっている気がするよね。
渡部:「難しいピープル」って、字面も良くない。WELgeeでは一緒に活動するメンバーを「インターナショナルズ」って呼びます。

いとう:今、重点的にやろうとしているプロジェクトはどういうものなの?
渡部:就労のプログラムです。理由はふたつあって、ひとつは自分が大好きだったりわくわくしたりする仕事に就くことで社会の一員として活躍できるため。もうひとつがビザです。外国の人が日本にいるためには、たとえば大学がスポンサーになって出す留学のビザとか、配偶者がスポンサーになる配偶者のビザとか、何かしらの足がかりがいります。でも難民はどれもないので、政府の「難民認定」という特別な制度を使ったビザになります。でも、認定されるのは平均4年4ヶ月待ったあげく、1%だけです。
いとう:僕だったらモチベーションを保てない。どうしようって感じになるよ。
渡部:必要な人みんなに届かないなら、取れるビザを増やせばいいんだということに気がついたのが2017年です。全部で29種類あるビザをひとつひとつ検証して、残ったのが「技術・人文知識・国際業務」という長い名前のビザ。企業が技術職として雇用した際に出るものです。これなら民間企業にスポンサーになってもらえれば、就労のビザを取る道が拓けるのではと考えました。
いとう:すごい! よく思いついたね。
渡部:インターナショナルズと一緒に企業を訪ねるところから始めて、今では19社で就職事例があり、うち5社では就労のビザに切り替わりました。もう「難民認定を待つ」だけじゃない。家族を呼び寄せることも海外出張もできるようになって、自由が戻ってきます。
いとう:商品を買ったりして、スポンサー側の企業も応援したくなるよね。だって、自分が少しでもソリューションに参加できているような誇らしさが生まれるから。
渡部:そこは大事ですよね。難民認定しか解決策がないと、支援団体や弁護士しか関われないのかな、とも感じてしまいますから。

いとう:それにしても5〜6年でここまで実現できてるのは、ものすごく早いんじゃない?
渡部:これまでたくさんの人たちに参画してもらってきました。経験豊富な行政書士や弁護士の方、企業の方、何より一緒に挑戦してくれたインターナショナルズ。祖国の政府に裏切られたり軍に捕まったりしてきた彼らが新しい人を信頼する、それ自体がとても難しいことなんです。「WELgeeは信頼できるのか」「目的は何か」、当初は不安があったといいます。仮にWELgeeだけで制度をつくって公募しても、たぶん手は挙がらなかったと思います。
いとう:WELgeeは何人ぐらいいるの?
渡部:フルタイムのスタッフは4人ですが、パートタイムのキャリアコーディネーターやプロボノ(専門性を活かして関わる社会人ボランティア)、WELgeeファミリーと呼んでいる継続寄付マンスリーサポーターなど、“関わりしろ”はいっぱいあります。
いとう:僕もぜひ関わらせてください。

Japanese Fika Table
Tea | Nyembwa Lubutshia(ンウェンバ ルブシア)
渡部さんの夫の祖国、コンゴ民主共和国のお茶。3分ほど煮出して、熱々のうちに。コンゴの人たちははちみつをたっぷり入れて甘くして飲むのだそう。渡部さんのおすすめは「ストレート」。
Sweet | Binowa Cafeの郷土菓子
左がインドの「ベサンラドゥ」。ナッツやレーズンを合わせた生地を丸く固めたもの。右がアゼルバイジャンで最も代表的なパイ菓子「シェチェルブラ」。
Flower | スマイルが印象的なゲストのための風景
ライラック色のレンゲショウマにアフリカや中東などに自生するファウンテングラスを合わせて。ススキのような姿からは秋らしさも。花器はLA在住の陶芸家・トモポタリィ作。

NPO法人WELgee代表理事/渡部カンコロンゴ清花
1991年、静岡県生まれ。大学在学中にフィールドワークで訪れたバングラデシュの紛争地での衝突を経験したことから休学して同国に戻り、国連開発計画(UNDP)のインターンとして平和構築プロジェクトに参画するなど支援活動に取り組む。大学卒業後は東京大学大学院総合文化研究科に進学、人間の安全保障プログラム修士課程修了。2016年、難民の仲間たちとWELgeeを設立。現在は祖国から日本に逃れてきた難民のスキルや経験と日本企業をつなぎ「育成・採用・定着」の伴走支援をする人材紹介「JobCopass」を行っている。
いとうせいこう
1961年、東京都生まれ。作家、クリエイターとして、活字・映像・舞台・音楽・ウェブなどあらゆるジャンルにわたる幅広い表現活動をおこなっている。近著に『自由というサプリ 続・ラブという薬』(星野概念との共著、リトル・モア)がある。