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Outdoors & Design 04

イサム・ノグチ

暮らしのスペース

アウトドア愛好家でありデザイナーでもあるジェームス・ギブソンは、彼の2つの情熱である「アウトドアとデザイン」を融合させ、日本のさまざまなプロジェクト、アート、クリエイティブな活動やブランドに光を当てている。

03/03/2022


「すべては彫刻です。どんな素材でも、アイディアでも、スペースを阻害しないものであれば、私は彫刻と見なします」



僕がイサム・ノグチ庭園美術館を再訪したのは、石の彫刻を見るためではなかった。この空間全体の作りに惹かれたからだ。ノグチと彼を取り巻く人たちとのつながり、そしてアーティスト自身の今も色褪せない魅力が、このスペースを生き生きと輝かせている。僕は、イサム・ノグチの日本における拠点について、そして、彼が著名なアーティストになるにあたって、この地がどのような影響をもたらしたのかをもう少し知りたいと思って旅に出た。



イサム・ノグチの彫刻や彼がデザインした照明、家具や庭園は、我々にとって馴染み深いものだ。でも、僕も含めてだが、おそらく彼が日本でどんな生活をしていたのかはあまり知られていないのではないだろうか。

五色台少年自然センターに設置されているイサムの遊具彫刻、オクテトラの穴から高松港を眺める

彼のアドベンチャー、女性遍歴、友情、また渦巻くカオスを読むにつれて、日本人の詩人とアメリカ人作家の息子であるイサムが、今日の名声を得るまでに関わった多数のアーティスト、デザイナー、パトロンたちとの交流に驚かされた。

僕は世界各国のたくさんの人々と彼の交流(一時的なものもあったし、末長く続いたものもあった)に魅せられた。中でも、フリーダ・カーロと彼が付き合っていたと聞いたときは本当に驚いた。なんと、銃を片手に寝室に押し入ろうとしたフリーダの夫から、間一髪で逃げ切ったらしい。ソックスは片方だけしか、足を通す余裕はなかったようだが..。また生涯を通じてバックミンスター・フラーとも友人関係であったと知り、驚いた(フラーの考案ししたダイマクション地図は毎号PAPERSKYの表紙に掲載されている)。ノグチは、バックミンスター・フラーの設計したダイマクション・カーの開発にも関わり、この車を運転して、友人とともにコネチカット州へドライブしている。 

その他にも、建築家のフランクロイド・ライト、音楽家のジョン・ケージ、振付師のマーサ・グレアム、ファッション・デザイナーの三宅一生など、その交友関係はなんとも華やかだ。しかし、今回は彼の日本での生活に重要な役割を果たした2人にフォーカスしたいと思う。

丹下健三設計の旧香川県立体育館

そのためには、高松まで足を伸ばして、イサム・ノグチ庭園美術館に行かなくてはならない。アートの島として有名な直島に行く途中に、高松に立ち寄った人がいるかもしれないが(僕もかつてはその一人だった)、高松にはモダニズム建築がとても多いことに驚かされたのではないだろうか。丹下健三による香川県庁(2019年に免震工事)、旧香川県立体育館(現在は閉館)、日建設計による百十四銀行本店営業部などが代表的な例だ。しかし、僕がまず立ち寄る場所はこのような建物ではない。

高松のはずれにある地味な津田の松原サービスエリアでひと休み。そう言えば、下りサービスエリアにノグチの彫刻があると聞いたことがある。探してみると、なるほど、確かに遊戯彫刻のオクテトラがそこにあった。それにしても、どうしてこんなところにノグチの彫刻を置いているのだろう?よりにもよって、忙しく移動をしている人たちが見過ごしてしまいそうな場所に設置するなんて。庭園美術館との約束もあったので、僕もここでぶらぶらしているわけにはいかない。バックミンスター・フラーにインスパイアされた?らしき彫刻の写真を撮り終えると、僕は再び車中の人となった。

津田の松原サービスエリアに設置されているノグチの遊戯彫刻、オクテトラ(西行き車線)

‘60年代の後半、才能がある石工を探していたノグチは、山本忠司と和泉正敏と出会った。当時、香川県庁に勤めていた山本が、石材店を一家で営んでいた和泉をノグチに紹介したのだ。若い和泉の技術力を測るため、ノグチは、彼の縮尺模型から石の彫刻を作るように依頼した。一年後に再来日した際に目にした和泉の作品に満足したノグチは、和泉とともに彼の代表作の一つである「ブラックサン」に着手した。

これが和泉とノグチの長きにわたる友情の始まりだった。二人のパートナーシップはノグチが亡くなるまで続き、和泉と彼のファミリーはノグチのクリエイティビティを支え、石材、作業場、ギャラリー、そして、来日した際に滞在できる住居まで提供した。この庭園美術館も和泉のファミリーが所有する敷地である。

イサム・ノグチ庭園美術館の外観

イサム・ノグチ庭園美術館には以前にも来たことがあった。最初にここを訪れた時、僕の関心は館内に美しく展示された彫刻だった。2度目に訪れた際は、庭園内の巨大な彫刻に魅せられた。五剣山と屋島を借景にしたこの彫刻は見事に周りの風景に溶け込んでいる。この場所にいると気分がとても落ち着いてくる。

今回の僕の関心は、建物そのものにあった。リノベーションされた蔵の中にはノグチの石彫場がある。作業道具は、僕自身を含め、デザイナーならば、おそらく皆そうするであろうレイアウトで整頓されている。僕は次第にノグチと彼の創作プロセスに親近感を覚えるようになった。

美術館内には複数の土蔵があり、案内していただいたガイドの方の説明によれば、これらはすべて(土壁も含む)移築されたものだという。ただし、窓のポジション、土壁の質感、彼の彫刻が運べるために幅広いスペースをとった美しい玄関など、さまざまなポイントで、ノグチが独自のセンスでリノベーションを行なっている。

多分、日本人はこんな風には住まないと思います」と彼は語る。「でも、僕は日本人じゃないから、こういうことができるんです」

— Isamu Noguchi, Listening to Stone: The Art and Life of Isamu Noguchi, Book by Hayden Herreraより引用


園内には彼の住まいもある。18世紀に建てられたこの立派な家屋も、1970年に山本忠司の勧めにより、この地に移築され、リノベーションされた。この家に入ることはできないが、今後役に立つことがあるかもしれないので、僕はドアや窓の隙間から垣間見られる些細なことも、頭に焼き付けようとした。全てが日本風だが、もっとそれを超えたものが何かがある気がする。ノグチが彫刻、建物、植物、石のあらゆる側面に注力している姿勢には本当に頭が下がる。デザイナーとして、僕はノグチに親近感を覚えているが、どうやったら一人の人間がこんなことをできるのかは皆目見当がつかない。

石塀の奥に見えるのがノグチの住まい

「僕は、生活様式、生活空間のような言葉で定義されているもの、もしくは閉ざされて、外界から守られているようなゲットー的な空間を作りたいと思っているのです」

— Isamu Noguchi, Listening to Stone: The Art and Life of Isamu Noguchi, Book by Hayden Herreraから引用


ガイドを務めてくれた女性がくらくらするくらい、僕はいろいろな質問を彼女に投げかけた。ノグチの美への追求の姿勢は時に頑固な一面もあるものの、必ずしも自分一人でクリエイトしたものではないという。友だちやコミュニティのサポートがあったからこそ、この奇跡的なオアシスのような空間が構築でき、彼の死後も生前のままの状態を維持されているのだ。彼の熱心で親切なファンのおかげで、今後も僕はまた何度もこの美術館を訪れることができるわけだし、ブレることのないアーティスティックなビジョンを保ちながら、周りのコミュニティを受け入れる許容性を持ち合わせていれば、さらに可能性が広がるという事実をこの空間は再認識させてくれる。

喫茶 城の目

翌朝、僕はかつてノグチが友人と連れ立って、足繁く通っていた喫茶店に朝食をとりに出かけた。1962年創業のこの喫茶店「城の目」の内装が見たくて、僕はウズウズしていた。Googleによれば、開店は8:30am,ということだが、 店の外のメニューには7:30amとなっている。ところが、自分のタイムスケジュールで動いていると思しきオーナーは、9:45amに開店すると僕に告げた。それならば、通りに向うにある高松市美術館に寄って、ノグチの彫刻を鑑賞してから戻ってこよう。

松市美術館の貯蔵品であるイサム・ノグチの彫刻

もし僕が喫茶店を経営するチャンスがあるならば、この店を経営したい。店内に客は僕一人。「今朝は静かですね」と姉妹の一人が僕に話しかけてきた。この店では、60年前の開店時から、ずっと典型的な喫茶店のメニューを提供し続けている。60年前と変わったことといえば、音が大きめの薄型TVが店内に設置されたことだけだろうか。僕は目玉焼き、トースト、サラダ、フルーツ、そしてコーヒー付きのDセット(550円)を注文した。ノグチについて記事を書いていることを話すと、テレビの音量は適度に下げられた。「ああ、あの人はチャーミングだったわ」と彼女は立ち上がって言った。「あの方はいつもお洒落でしたよ。丈が長い麻のスタンドカラーのシャツをよくお召しでした。いつも決まってその席に座っていましたよ」とお店のちょうど真ん中の席を指差した。多分、ノグチの性格からして、注目を浴びたかったからではないだろうか。

この店の設計は前述した山本忠司によるものだ。この喫茶店もまた高松を愛するクリエイティブな人たちによるコラボレーションで生まれたものだ。インテリアは、一見、昔ながらの喫茶店風だが、ひと味違う。内壁は石造りで、木製の背の低い椅子とテーブルが配され、高松市庵治町から切り出される日本を代表する高品質の花崗岩の一つである庵治石を使った2つの巨大なスピーカーが存在感を放っている。僕はこの店の音楽デザインを現代音楽家の秋山邦晴、製作を空充秋が担当したことをのちに知った。

イサム・ノグチ庭園美術館のそばにある遊具彫刻

僕はこんなものは見たことがなかったし、こんな場所は二度と作れないと思ったが、希望は捨てないでおこう。タペストリーが掛かった壁、テーブルと椅子、灯りの配置、明かり窓、スピーカー、音楽、この場所で働く姉妹の組み合わせはまさにアートとデザインのいいとこ取りをしたような唯一無二のものだ。

お店を立ち去りたくなかったし、チャーミングな姉妹にもっと聞きたいこともあったが、その気持ちをなんとか抑えて、彼女たちのストーリーをいつか書くことを約束して店を出た。

山本忠司設計による瀬戸内海歴史民俗資料館
山本忠司設計による五色台少年自然センターにあるノグチの遊戯彫刻「オクテトラ」
お食事喫茶 みち草の手打ちうどん

高松を去る前に、他に2、3箇所ほど興味を惹かれた場所に立ち寄った。家路につきながら、ノグチが成功をどのように定義していたのかについて考えた。彼の代表作である「Akari」は、ファイン・アートとしてのアート界の称賛を得ているわけではないが、文化、時代の制約、伝統の媒体の狭間で、分断されていたものをつないだことこそがノグチの功績だと思う。そして、僕にとって最も重要なことは、行間を読むように注意深く彼の足跡を辿ると、彼は僕たちがイメージしていた葛藤する一匹狼のようなアーティストではなかったということが見えてきたことだ。もちろん、彼は葛藤するアーティストではあったが、彼をサポートする仲間は常にいたはずだ。彼を取り巻くコミュニティ、信頼の置けるアシスタント、充実した人間関係なしでは、この天才アーティストは注目されなかっただろうし、この美術館のような恒久的なスペースも生まれなかっただろう。

そして、この伝説は今後も永遠に語り継がれるはずだ……


Photographs courtesy of James Gibson – © Copyright James Gibson.

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