混ざり合うほどに、おいしくなる
世界の人口は、約77億人。そのなかで、足を止めて話をするひとは、本当にごくわずかだ。きっかけはいろいろあると思うけれど、まったく気にならないひとに、話しかけたりはしないものだろう。何かしら気になることがあるから、わたしたちは出会い、そのご縁をつなぎ続けている。
話を始めると、おもしろい。共通の趣味があったり、同じことを大切にしていたりする。思いや考えは目に見えないけれど、空気に醸し出るものなのだろう。似た空気が重なり合ったときに“気”がつながり、気が合ったり、惹かれ合ったりするのだろう。
わたしは子どものころから、道端に落ちているゴミが気になり、何かにできないかなぁと考えてきた。大人になってからは、暮らしのなかでゴミとどう向き合ったらいいかを考えながら、小笠原、屋久島、沖縄などの島々を巡り、落ちているゴミを見つけながら歩き続けたこともあった。
ゴミの行き場に限りのある島では、人目のつかない草むらに、テレビや自転車といった、大きな不用品が捨てられていることはめずらしくない。仏壇が横たわっているのを見かけたこともある。自然とともにどんな風に暮らすのが心地よいのか。島はその答えをわかりやすく見せてくれるような気がした。
当時はゴミのことを語れる仲間はいなかったが、それから十数年の月日が流れ、ゴミを拾い続けたり、何かに生かしたり、ゴミを少なくしたいという思いを抱いているひとに会う機会が増えている。話してみたい、と思う方のほとんどは、捨てられていくものを黙って見過ごせないような気持ちをもっている方ばかりだ。
そういう出会いに恵まれるたびに、この思いをもち続けてよかったなぁと思う。たまたま置かれた環境に、自分と同じ思いのひとがいなくて、変な目で見られたり、孤独を感じたりすることがあっても、世界のどこかに、同じ思いのひとは必ずいる。そして出会える。だから、思いを変えなくて大丈夫ということを、ゴミをとおして気づかせてもらった。
雑草とみるか、ゴミとみるかは、見るひとの価値観が決める。自然に生きている生きものの命を感じていると、雑草もゴミももともとは存在していないことがわかる。この感覚が、自然とともに暮らす感覚なのだろう。
地球には、いろんな生きものが生きていて、植物たちは葉っぱの形も色もそれぞれに違う。草の料理は不思議なもので、クセや苦味が気になる草でも、たくさんの種類を混ぜると食べやすい。フルーツのサラダには、身近に生えている草を4種類ほど混ぜることもある。
混ぜる草を眺めながら、人間関係も同じだなあと思う。いろんなひとが混ざり合えばハーモニーが生まれてたのしくなる。
■Grass on the Plate Recipe 03
草のフルーツサラダ
材料
シロツメクサ、ツボクサ、アメリカフウロ、ヤブタビラコ、フルーツ(サワーポメロ)、自然塩、オリーブオイル
つくりかた
1. 摘んだ草をボウルに入れた水で洗い、水気を拭き取り、みじん切りにする。
2. フルーツ(皮をむいたサワーポメロ)に刻んだ草を和え、塩とオリーブオイルで味を調える。食べられる草なら何でもよし。草の種類や量はお好みで。クセの強い草ほど、美味。
■Plants Index
今回の草花
かわしまようこ
“雑草”好きから土や水への思いが芽生えた幼少の記憶を頼りに、2000年に草にまつわる活動をスタート。旅をしながら各地で草の使い方を学び、食べる、飲む、飾る、お手当など、その魅力の伝え方は多岐にわたる。著書に『草と暮らす』(誠文堂新光社)『ブータンが教えてくれたこと』(アノニマ·スタジオ)など。4月末にリンカランブックスより『ありのまま生きる』発売。沖縄県在住。