火山と森と湖が織りなすフィールドへ
北海道の東側、阿寒摩周国立公園内に位置する阿寒湖周辺には、原始の時代の面影を留めるダイナミックな自然が息づいている。15〜20万年前の火山活動によって誕生した阿寒湖には特別天然記念物であるマリモが生息し、周囲を取り囲むトドマツやエゾマツの林はシマフクロウやクマゲラ、オジロワシなどの野鳥、ヒグマやエゾシカといった野生動物たちの営巣地になっている。湖畔には日本最大のアイヌコタンがあり、この地の自然をカムイ(神)として敬うアイヌの人々のスピリッツに触れることができる。
阿寒湖温泉街に隣接し、雄阿寒岳と阿寒湖を望むロケーションに位置するのが、「国設阿寒湖畔スキー場 ウタラ(以下、ウタラ)」だ。リフト1本に2コースというコンパクトな造りながら、こちらでは毎年、FIS公認の大会が実施され、シーズンイン直後には多くの学校・団体が合宿に訪れる。大雪エリアほどの降雪量を見込めない道東のスキー場に、全国からトップクラス、あるいはトップを目指すスキーヤーが集まるのはなぜか。「国設阿寒湖畔スキー場 ウタラ」所長で、「NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構」理事長を務める松岡尚幸さんに、「ウタラ」ができた背景をお話いただいた。
世界に通用する競技者を育成したい
「『ウタラ』の特長は、気温が低いゆえに安定している雪質と、国内随一の難易度を誇るスラロームコース。11月下旬に氷点下になると、人工雪とインジェクションという作業でスケートリンクのように固い氷のバーンを作り、シーズン序盤は競技者のためにこのコースを開放しています。未来を担うスキーヤーを輩出していきたいという思いから、ヨーロッパのスキー場にもひけを取らないバーンを作っています」
いまや競技者にとってなくてはならないトレーニング環境を提供する「ウタラ」がオープンしたのは、いまから40年前のこと。当時、松岡さんはスキーのナショナルチームのコーチを務めており、世界各国のスキー場を巡るなかで、世界基準のスラロームコースの必要性を痛感していた。阿寒湖周辺は、降雪量は少ないもののとりわけ寒さが厳しい地域で、厳冬期にはマイナス30度以下になることも珍しくない。この気象条件を生かせばヨーロッパ並みのアイスバーンを造成できるとにらみ、町に人工降雪機の導入を提案した。
「12月からこれだけのクオリティのコースを作れるのは全国でもうちだけとあって、国内外の競技者、団体、学校から支持されるようになりました。年末に行われているゴールドウインカップは昨年で36回を数え、全日本スキー選手権や全日本ジュニア選手権、インターハイなど、数多くの大会が開催されており、多くのトップスキーヤーがここから巣立っていきました」
スキー場が始めたゼロカーボンへの取り組み
トップスキーヤーの育成に加えて「ウタラ」が力を入れているのが、環境保全活動だ。阿寒町は道内初のゼロカーボンパーク(※)に指定されており、スキー場でも2022年夏に再生可能エネルギーへ切り替え、施設内の電力使用におけるCO2排出実質ゼロを実現している。Goldwinの環境配慮型ワークウエアは、このようなカーボンニュートラルの試みの一環として採用されたものだ。
※環境省が推進する、国立公園において先行して脱炭素に取り組むエリア
「索道とパトロールのユニフォームの一新を検討していた2022-2023シーズン、Goldwinから『リペアが可能で耐久性が高いワークウエアをリサイクル可能素材で作った』という話を受け、すぐに導入を決めました。ワークウエアとしての機能性に優れていたことはもちろん、環境に配慮して無駄な廃棄をなくそうというアプローチに共感したと言うことが大きかった。このウエアを採用することは、『私たちは長くこの地で、自然と共生しながら生きていくんだ』という、環境問題に対する姿勢の表明になると思いました」
凍てつくような寒さに見舞われる阿寒湖周辺にも、気候変動の影響は着実に及んでいる。かつて4ヶ所あったマリモの生息地は2ヶ所に減じ、阿寒湖の結氷は年々遅くなり、今年は1月20日になっても一部区域しか結氷していない。この先、雪のあるフィールドを、スキー文化を守り続けることはできるのか。「全国、全世界のスキー場が同じ課題を抱えている」と松岡さんは言う。
「気候変動の影響を感じ、雪不足に悩みながらも、多くのスキー場は何から手をつければいいのかわからず途方に暮れているのではないでしょうか。国立公園内にあるスキー場の責任として、私たちは他のスキー場に先駆けてこのような取り組みを行うことにしました。こうした取り組みが他の施設のベンチマークとなれたらいいですね」
実際にワークウエアを着用するスタッフの作業を見学させてもらった。「ウタラ」に勤めて6年目というパトロール隊員の松岡幸亮さんは、阿寒町で生まれ育ち、このスキー場のスラロームコースで鍛えられたという生粋の地元っ子だ。アルペンスキーの選手として札幌の高校に進学、小樽での社会人生活を経て、地元に戻ってきた幸亮さんがあらためて感じる「ウタラ」の魅力は、「圧倒的な寒さとバーンの固さ」だ。
「日本国内のスキー場でインジェクション作業を行っているのは、うちと菅平(高原スノーリゾート)だけ。しかもうちは合宿や大会前に都度、この作業を行ってスケートリンクのようなバーンを作り出しています。ツルツルのバーンは技術の向上に欠かせないものですが、その分、パトロールが必要とされる局面も多いんです」(松岡幸亮さん)
パトロール隊員の仕事は怪我人の対応から安全対策までさまざまだが、「ウタラ」ならではの作業として、スラロームコースの全面に張り巡らされた、高さ2m のセーフティBネットの保守がある。
「普通のスキー場のネットは腰の高さほどですが、うちは安全対策として人の背丈以上のネットを設置しています。このネットを張ったり、雪に埋まったポールを掘り起こしたりという作業は意外と重労働で、僕たちはいつも汗だくです。だからフルオープンできるベンチレーションはありがたいですね。また、ポールやネットと擦れるのか、袖口やジャケットの裾がワンシーズンでぼろぼろになるのですが、このワークウエアは耐久性のある造りのためか、そこまでヘタリませんでした。パトロール用ウエアはゴアテックス製なのでリサイクルできませんが、その分、丈夫に作られていて長く使用することができる。そこに共感しました」
このワークウエアの導入が決まった際には、「環境配慮型ワークウエア」とはどんなものなのか、環境に対するどういう性能を期待するのか、同僚たちと話し合った、と幸亮さん。
「というのも、阿寒の人々はもともと環境に対する意識が高いんです」
地元に息づく環境への意識
幸亮さんの子ども時代は小学校で植樹の課外授業があったり、マリモの観察をしながら水質についてのレクチャーがあったり、自分たちの町にある自然について理解を深める機会がたくさんあった。「環境保全」という言葉を知るより前に、この森や湖や、そこに生きる動物たちは特別であるという意識が芽生えていた。
「小学生のときは阿寒湖でエビを釣って湧き出る温泉でゆがいて食べたり、ザリガニをとったり、そういう遊びが普通でした。けれども近年は、『こうした遊びを叶えてくれた自然は今後、なくなってしまうのかもしれない』という危機感を募らせています」
幸亮さんは昨年、阿寒観光協会内に新設されたSDGs部会の部会長に就任した。部会では、子どもたちと一緒にこの地域の恵まれた環境を未来に継承する施策を進めている。この地域ではSDGsという言葉が生まれるずっと前から環境保全のための取り組みを行ってきたのだが、それを先導してきた前田一歩園財団とともに、地域住民に向けての勉強会などを実施している。
「前田一歩園財団は阿寒湖周辺の森林3600haを所有しており、阿寒の自然を後世に残すことを理念に、『伐る森ではなく観る森にしよう』という取り組みを100年近くも前から行ってきました。ところが、こうした活動は県外には発信されているのに地元ではあまり知られていません。そこで、地元の人々に向けた勉強会を企画し、財団が行ってきたこれまでの取り組みをレクチャーする機会を設けました。自分たちや祖先が100年前から取り組んでいることを知ってもらう、そして誇りを持ってもらう。ローカルプライドこそ、地域を守る礎になるのです」
さらに今年は、子どもたちと一緒に財団が所有する森の中に入り、保全活動を体験するという試みを企画している。森や湖の営みを知れば、自ずと足元の植物や動物に目を向けるようになる。そこに意識を向けることは、自然の価値を見出すことに通じるはずだ。
「雪のある未来」を守り続けるために、果たして何ができるのか。スキー場としてできることは限られている。鍵となるのは町民や子どもたち、ムーブメントを大きくしてくれる一般の人たちの存在だ。
「大切なのは、われわれが地元の自然でもっともっと遊ぶこと。私は、観光業というのは地元の自慢話で成り立つ職業だと思っているんです。人に自慢するためには、その土地で遊び尽くし、他を圧倒する知識や経験をもって地域を理解しなくてはいけません。そうして『こんな楽しいところは他にはないんだぞ』って世界にアピールすることが、フィールドを守ることにつながるのではないでしょうか」(松岡尚幸さん)