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どこかのようでもあり、どこでもない場所

京都のフードラボ 『Farmoon』 船越雅代

 

07/27/2021

「どこかの国のようで、どこの国でもない。時間も、文化も、食習慣も、全てを超越する空間」

銀閣寺からほど近い住宅地の一角にある「Farmoon」について、主宰であり、料理家である船越雅代さんの言葉をお借りするとそのようなニュアンスになる。

実際のところ、ここで供された料理を食べはじめると、どうしてかこれまでの旅の記憶が脳裏に浮かぶ。目の前にある異国の気配がうっすらと漂う料理と、それらの記憶に直接的な関係はないはずなのに、不思議とあたたかな結びつきが生まれるような錯覚さえ覚える。

この思わぬ感慨深さを引き出す料理を味わえるのは、基本的にその日限り。同じ味に二度出会うことはない。なぜならば「Farmoon」は、お決まりのメニューがないフードラボなのだから。

「一期一会ってよく言いますけど、本当にそう。場所が違えば、出会うはずのなかった別の人との出会いがあるように空間軸と時間軸が偶然に交わる、その瞬間そのものを『料理』として降ろすような感覚でいて」

その日、そのときのいいものを。巡る季節の中で変わりゆく、その土地で育まれた「今」の食材を起点に料理を組み立てる。そんな彼女の食材選びは、かつて太平洋上を長期運航するクルーザーの船上シェフを務め、パプアニューギニアやフィジー、ティモールの中でも特に辺境の島々ではじめて目にする現地の食料を調達し、一日三食の献立を何年間も成立させた経験とも重なる。

「料理をつくるときは、自分を空っぽにするんです。空っぽになるってことは、『うつわ』になるってことで。シャーマン状態というか、いろいろ降ろす感じ。だから自分が限りなく受け身になる。これがつくりたいからこうしたいとか、そういう自分の欲求みたいなものをなるべくなくすんですよ」

そうして完成した一品には、新しい土地を訪れるたびに行うフィールドリサーチで得た、膨大なその土地の記憶も、無意識に、自然と「落ちてくる」。統治の変遷を含む歴史、人々の暮らしに見られる民俗文化や風習 …… 。曰く、食とはそれらが集約され、同時にそこから読み解かれるものだ。

「食べ物って体に入れるじゃない?究極の共有体験というか、いつもそれは素晴らしく神聖なことで、言い方こそ怖いけど(わたしの料理を食べる人を)わたしが一気に殺すこともできる。だから、わたしは常にそれがないように、いいものだけを降ろせるように、空っぽになってから通ってくるものをとても綺麗にしておかなきゃいけないというか。変なものが入ったら、それを感じられるセンシティビティみたいなものを持っておかなきゃいけないなと思うんだよね」

 
だから、「厳かな気持ちにもなる」。命や生死とダイレクトにつながる「食」。そこには、彼女が世界中の土地を旅し、人をはじめとする生きとし生けるものとの対話の軌跡や記憶が色濃く沈殿する。

「Farmoon」、そして船越雅代さんという『うつわ』を通じた一皿は、彼女の料理でもあり、同時に世界中の、森羅万象とつながる媒体でもある。情報に溢れる現代から頭を切り離して、大きな流れのなかにある今の自分をまざまざと再確認させる時間が、ここにある。


FARMOON
京都・銀閣寺近くに佇む、昼はカフェ、夜は紹介制のプライベートレストランとなる料理家・船越雅代さんのフードラボ。
text | Yuria Koizumi photography | Farmoon