Connect
with Us
Thank you!

PAPERSKYの最新のストーリーやプロダクト、イベントの情報をダイジェストでお届けします。
ニュースレターの登録はこちらから!

Explore Gifu

岐阜・中津川をイラストレーター 成瀬洋平さんと歩く

中央アルプスの南端に聳え、古くから信仰の対象とされてきた恵那山。その麓に広がる岐阜県中津川は、江戸の頃より多くの旅人が行き交う中山道の宿場町として栄えてきた。今回、そんな中津川をイラストレーターの成瀬洋平さんにナビゲートしてもらった。

03/30/2021

山に抱かれて暮らす中津川の人々

山を歩き、そこで出会った風景を繊細な水彩画で表現するイラストレーターの成瀬洋平さん。以前は東京で山岳雑誌などの編集に関わる仕事をしていたが、「もっと自然の近くに身を置きたい」という思いから2010年に故郷の中津川にUターン。木漏れ日が差しこむ山あいの雑木林にアトリエ小屋を建て、雑誌や個展で絵画作品を発表するなど多方面で活躍を続けている。

長年にわたり『PAPERSKY』でも連載を担当していた成瀬さんのアトリエに編集長ルーカスが訪れたのは、じつは今回が初めて。

「ルーカス、久しぶり。ようこそ中津川へ!お腹減ってない? 早速だけど、まずはランチにしようか」と向かったのは、成瀬さんのお姉さん夫婦が営むベーカリー。フランス語で「耕す人」を意味する「Cultivateur(キュルティヴァトゥール)」と名付けられた店は、“大地に寄り添うパンづくり“を目指しているという。

「自然のなかでパンづくりがしたくて、市街地から離れた山のなかでお店をはじめました。国産小麦100%、無添加にこだわり、毎日食べられるパンをつくっています。なんでも手づくりにこだわりたくて、ログハウス風のこのお店も4年間かけてセルフビルドしたんですよ」

町なかでベーカリーをはじめる選択肢もあったが、やはり山を身近に感じられる場所にしたかったと話すのはご主人の俊介さん。絶好のロケーションでいただけるランチも人気で、わざわざ遠方から訪れるお客さんも多いという。じつは成瀬洋平さんが中津川に拠点を移したのも、地元の山の存在が大きかった。

天然の岩山のうえに築かれた苗木城跡と、その奥に聳える恵那山を望む

幼い頃から山に親しみ、高校時代にはクライミングに傾倒していった成瀬さん。中津川へ戻ってからは、日本でも有数のクライミングエリアとして知られる笠置山を拠点に、インストラクターとして活動を開始。岩場へと続く山道の整備や新たな岩場の開拓、ボルダリング講習会を開催するなど、クライミングの魅力を伝える仕事にも尽力している。

「岩と向き合い、登れそうな道筋を読み取って、そこにラインを描くというのがクライミングの魅力。カッコつけた言い方をすると、ぼくにとってクライミングは岩に絵を描いていくような作業なんですよ」と屈託のない笑顔で話す成瀬さん。自然の表情を読み取り、そこに線を描いていく。それは絵を描くことにも通じている。きっと成瀬さんにとって、絵を描くことと岩を登ることは本質的には同じ行為なのだろう。


江戸から続く歴史のうえに息づく暮らし

中津川宿は江戸から数えて45番目となる中山道の宿場町。旧中山道沿いには老舗の造り酒屋や和菓子店がいまも並び、江戸時代の風情を残す街並みを歩くことができる。道すがら、江戸時代から続く老舗の和菓子店を巡り、中津川の銘菓「栗きんとん」を食べ歩き。パクッと一口頬張ると、上品な栗の甘みが口いっぱいに広がっていった。

今回宿泊した「夜がらす山荘 長多喜」も、もとは中山道沿いに門を構える宿だったが、昭和の初期に恵那山を一望できる小高い丘の上に移転。江戸時代の民家などを移築し、全8棟の離れを一棟一組で貸切できる古民家の宿として生まれ変わった。伝統ある老舗の宿を切り盛りするのは、齢32歳にして15代目若旦那の吉田将也さんと、90歳を超えるいまも現役で大女将を務める祖母の和子さんだ。

「秋は裏庭で採れた栗をお菓子にしてお出ししたり、春には山で採れた山菜や筍を使うなど、季節を感じられるお料理をお出ししています」

家業である宿を継ぐことに迷いはなかった、という将也さん。静かで温和な口調のなかに、受け継がれてきた歴史の重みを感じさせてくれる方だった。


心健やかに生きていくための智慧を自然から学ぶ

旅の最後、藍染作家の戸塚みきさんが主宰する「しずく地藍工房」を訪れた。藍がつくる自然な色に魅せられたみきさんは、種から育てた藍を自然発酵させ染料をつくるという伝統的な藍染文化を継承しながら、創作活動をおこなっている。みきさんが大切にしているのは、春に種をまき、冬になればすべてを土に還していくという自然のサイクルに沿った暮らしそのものだという。

そんなみきさんの夫の戸塚智尚さんは、平日は会社勤めをしながら、週末になると1200年の歴史を持つ長楽寺の堂守をされているというユニークな肩書きを持つ方だ。長楽寺では、本堂の脇に「役行者(えんのぎょうじゃ)」が祀られている。役行者とは、7〜8世紀頃に実在した修験道の開祖とされる人物。中津川は恵那山を中心に修験道の盛んな地域で、智尚さんも定期的に山に入り修験道の山伏修行を積んでいる。

「山伏信仰では、山に心霊が宿るとして山を信仰するのですが、山での修行中、岩の前で足を止めて手を合わせます。人の心はすぐに移ろいますが、岩は動かない。自分も岩のように在りたいという思いを込めて祈るんです」

「僕が岩に登るのも、そうした岩への憧れが心のどこかにあるのかもしれませんね」と成瀬さん。中津川のシンボルである恵那山も、岩のように動かずに聳え続けている。町を歩いていても、ふと見上げるとそこにはいつも恵那山があり、その度に羅針盤の針を合わせるように方角を確認することができた。

今回の旅で出会った中津川の人々は皆、木が根を生やすようにしっかりと地に足を付けて暮らしていた。それは、暮らしの隣にいつも山の存在があることと、きっと無関係ではない。