バードウォッチングとは、単に鳥を見つけるだけでなく、知覚を目覚めさせるものではないかとあるとき気づいた。カラスやハトのように魅力を感じにくい存在もいるが、耳を傾けてみると、世界は少しずつ変わり始める。これまで当たり前に感じていた風景は揺らぎ、歩く道が新たな道へと開かれていくのだ。
鳥を意識して歩けば、トレイルは変わる。前に進むことは同じでも、感覚がまるで異なる。音に反応して立ち止まり、見上げ、耳を澄ます。そしてまた歩き出す。「歩く、止まる、聴く」このリズムで歩くと、道は違った姿を見せる。一本の線でしかなかったトレイルは、小さな瞬間の連なりへと変わり、目的地を目指すのではなく、今ここにいる感覚が続く。
和歌山にいると、自然とこの感覚が湧き上がる。熊野古道や高野山、海岸沿いを歩くと、僕らは小さな変化に気づく。どこからか聞こえてくるウグイスの声、杉林に響くシジュウカラの澄んだ声、閃光のように小道を横切るオオルリ。何かを見つけるというより、静かな会話に招かれているような感覚になるのだ。

音や模様、わずかな動きに気づくたびに、森はいきいきと輝き始める。これまで気づかなかった鳴き声が聞こえ、一瞬の揺らぎを追いかけたくなる。それは静かな高揚感と創造的なエネルギーをもたらす。あるガイドは、鳥を識別できるようになればなるほど、森は心を開いてくれたと言い、ギターの弾き方さえ変わったと語った。
和歌山には、こうした見方に長い歴史がある。博物学者の南方熊楠は、キノコや粘菌といった小さな生命体を観察し、そのなかにひとつの世界を見ていた。作家のエド・ヨンは、あらゆる生き物がそれぞれの方法で世界を体験していることを思い出させてくれる。
トレイルを歩いていると、他のリズムが現れる―梅の花、梅干し、湧水、そしてその日の出来事を身体に染み込ませ、心をリセットしてくれる温泉。注意が深まってくると、鳥は現代を生きる小さな恐竜のようにも見えてくる。観察が遊びとなり、「耳を澄ませ、集中し、追う」ことで、心は研ぎ澄まされ、身体はゆるみ、明晰さが立ち上がってくる。

今号は鳥を架け橋に、クリエイティビティと自然の結びつきを探る特集。ゲストは、パフォーミングアーティストのアオイヤマダさん。「ジェスチャー、リズム、存在感」彼女の動きは、人間と鳥の境界線を曖昧にし、目で捉えきれないものを、感じられるものへと変換する。三宮真由子さんのエッセイでは、“見る”ことは“眺める”ことではないこと、鳥のさえずりが風景の地図となり、空を感じる手段にもなり得ることを教えてくれる。そして久木朋子さんの版画は、線と記憶、時間をとおして、もうひとつの見方を示している。
動き、音、芸術―どの表現も、自然へと注意を向けることから始まる。バードウォッチングとは、ただ鳥を探すことではなく、スピードを落とし、意識を研ぎ澄ませ、世界に自分を見つけてもらうこと。ほんの少し意識を向ければ、すべてがいきいきと輝き出すのだ。
