神秘のストーンアイランド
「いま歩いてきた道の砂利、古いものだと32億年前の鉱物が含まれています」
隠岐ユネスコ世界ジオパーク推進協議会の事務局長・野邊一寛さんの胸を躍らせる台詞で、僕らの旅は幕を開けた。空港から車で5分。島で最初に訪れた、国産第1号の第4等フレネルレンズが現役で活躍する、西郷岬灯台でのこと。
「この島には、隠岐の他には南極とケニア山にしか表出していない火山岩や、地中海沿岸に多いアルカリ岩など、さまざまな地形や地層が時代を超えて混在しています。それこそ、地球の核であるマントルが転がっていたりする。隠岐を調べれば地球の大地の変遷がわかるし、日本の成り立ちも知ることができる。しかしなぜここにあるのか解明されていない地層もあって、それが不思議だし、おもしろいんです」
意気揚々と郷土の魅力を語る野邊さんの話に、ぐいぐい惹き込まれていく。その特異な地質に劣らず植物の多様性も類を見ず、標高1,000mに生育するはずの花が海岸に咲いていたり、北海道の樹木と沖縄の草が混在していたりするそう。これには過去数十万年単位の気候変動や、大陸の一部から日本列島の一部を経て離島となった隠岐のルーツと関係があるらしい。さらに隠岐はかつて黒曜石の一大産地として栄え、その石は3万年前には新潟や四国まで運ばれていたという。古事記や日本書紀の冒頭のほうに「隠岐」の名が記されている史実からも、この島の黒曜石が当時の人々の暮らしにとっていかに重要なファクターだったかがうかがえる。かように隠岐の岩は、島の歴史や文化、そして地球の神秘を雄弁に語りかけてくる、無言のままで。

2013年、その国際的な地質資源の価値により、ユネスコ世界ジオパークに認定された隠岐諸島。火山の噴火の名残を深く残す隆起の激しいこの島々を巡るモビリティに、僕らはE-bikeをチョイスした。これなら諸島に4つあるすべての港でレンタルできるから利便性も高いし、上り坂も楽に走れる。車と違って島の景観や暮らしの風景を自分のペースでゆったり眺めたり、潮風を肌で感じたりできるところもいい。

その日はよく晴れていた。絶好のサイクリング日和だ。広く青く澄んだ空に、樹々の緑が映える。僕らが目指したのは、島後の北端、白島海岸。「アルカリ流紋岩という、エーゲ海だとか西欧に多い白い地質の島が望めますよ」。今回の旅に同行してくれた野邊さんの同僚、マルちゃんこと丸田さんの情報が、旅心をくすぐる。
期待に胸をふくらませて上った展望台からの景色は壮観だった。数万年の時を経て、雨に、荒波に、北西風によって削られ生まれた真っ白な小島群の浸食地形が、エメラルドグリーンの海に美しく抱かれていた。ここは日本だが、地質まで同じなら、地球の裏側の景色と一体何が違うというのだろう。その絶景は、国境なんてない、世界がまだひとつの超大陸だった2億5千万年前と現代が確かにつながっているのだと教えてくれる。隠岐のストーリーはスケールがでかい。

島に数ある名勝。島後が白島海岸なら、島前には国賀海岸がある。西郷港から高速船に乗り、西ノ島へと渡った。所要時間40分。旅における隠岐の懐の深さは、ひとつの島で収まらない、この4つの島間の距離の近さにあるのかもしれない。
「英語で書くときは『Oki Islands』と複数形の『s』をつけるようにしています。隠岐は4つでひとつなんですよ」
そう言ったのは、西ノ島で唯一のコーヒースタンド「Sailing Coffee」を営む森山勝心さん。編集長ルーカスの旧友でもある。以前は都内で企画・プロデュースやデザインの仕事をしていたが、学生時代から、父の故郷である西ノ島でのプロモーションなどに携わり、ついに拠点を構えたという。店名は隠岐の歴史的な海洋文化や、オランダからヨットで旅してきた夫婦の生き方に感銘を受け命名。古民家の温もりを活かした店内には、さまざまなアート作品やイームズの椅子などがさりげなく配されている。「西ノ島の浦郷のマチの良い風景の一部になればなと」。いつでもコーヒーが飲めるよう、今は盆正月関係なく毎日店を開けているそうだ。こういう店の存在は、島民にも旅人にも元気をくれる。

コーヒーブレイクを挟んで、僕らはまたE-bikeを走らせた。国賀トンネルを抜けると、なんともユニークな光景に出会った。道路の真ん中に、牛。
「ここから先の一帯は、牛馬が放牧されているエリアです」とマルちゃん。火山岩を基盤とする隠岐は従来、瘦せた土地が多かった。そこで作物を育てるために考案されたのが、牧畑と呼ばれる農法。土地をいくつかのエリアに区切り、放牧した牛馬を季節ごとに移動させることで、雑草はエサとなり天然の肥料が撒かれ土地は肥える。近年になって牧畑農法は途絶えたが、400年前から受け継がれてきた放牧の伝統は続いている。急峻な山岳地帯を牛馬が闊歩するこの風景は、つまり江戸幕府開府のころから変わらない。隠岐のサイクリングはまるでタイムトラベルだ。
西ノ島を代表する絶壁、標高257mの摩天崖の頂上からの眺めは圧巻だった。麓にある巨大な岩の架け橋・通天橋など、約7kmにも及ぶ国賀海岸のダイナミックな光景を見るために、わざわざこの離島まで来た甲斐がある。通天橋までは1時間ほどのトレイルになっているようだ。地球規模の天然アートを嗜みながら歩けるなんて、贅沢。


西ノ島を後にし、中ノ島へ。港町を抜けると、ふと懐かしい気持ちになったーー田んぼだーー。日本中で見られる、のどかな田園風景。隠岐には平らな地形がほとんどなく、稲作のできる土地が限られているようで、ここへ来て西ノ島にはそれがまったくなかったと気がついた。しかし黒曜石や牧畑農業、そして漁業の恩恵があってか、島の暮らしはおおむね豊かだったみたいだ。かつて後鳥羽上皇と後醍醐天皇の流刑地だったことが、それを示している。権力者を島流しにする際は、生活に不満を抱き反乱を企てぬよう、満足な暮らしのできる島を選ぶのがかつての定石だったとか。それでも後醍醐天皇は1年ほどでさっさと島外へ脱出し、挙兵して討幕を果たしたが、後鳥羽上皇は生涯を隠岐で終えた。諸島で800年続く「牛突き」という闘牛祭も、上皇を楽しませるために始まったとされている。
上皇ゆかりの地と、夏にはシュノーケル客やキャンパーでにぎわう明屋海岸を巡り、再び島後へ向かった。100を超える神社をはじめ、隠岐には歴史と結びついた魅力的なスポットが、まだまだある。さあ、次はどこへ向かおう。すっかり隠岐の虜になりつつある僕らは、また地図を広げた。

