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カプセルに込められた未来への思い

1972年に竣工された、世界ではじめて実用化されたカプセル型の集合住宅、中銀カプセルタワービルが解体の運びとなった。建物の一部は世界中のギャラリーや公共機関に寄贈される予定だ。

02/14/2022

中銀カプセルタワービルは、約50年間、新橋の東京高速道路沿いに毅然とした佇まいで根を下ろしてきた。色あせたロケットのような2本の鉄骨鉄筋コンクリートのタワーとその周囲に配されたレゴのようなカプセルはとてもユニークで、未来志向の建築ムーブメントの遺産とも言える。かつてこの建物は、最先端のテクノロジーと現代建築のシンボルだったが、今は住人もなく、間も無く解体されることとなる。

1972年に竣工された中銀カプセルタワービルは、著名な建築家、黒川紀章(1934-2007)が設計を担当し、新たな建築思想の試作品であった。すぐに時代遅れになってしまって建て替えられてしまう建物を設計するよりも、有機体の細胞のように代替、交換できるパーツを使って、永久性のある建物 を建造することがコンセプトだった。

このビルは、1950年代に若手建築家から始まったメタボリズム(新陳代謝)という建築運動を代表する建築物である。メタボリズムとは、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案するという建築運動で、黒川はその中心人物だった。本来ならば、このコンセプトは大都市の巨大建築物に適用されるものだったが、有機的な成長の原理は小規模なプロジェクトの方が実現可能で効力を発揮することもある。このカプセルタワーもその一例である。

機能性の高さを目指して設計された世界初のカプセル構造の建造物、中銀カプセルタワービルは、2つのコンクリートの塔に、10㎡の面積のカプセル(部屋)140個が張り付くように集結した造りである。カプセルの室内には、トイレ、バスタブ、シャワー、洗面台が一体になったユニットバス、オーディオ機器、収納スペースなどが効率的に配されており、週末のみ自宅に戻る単身赴任のサラリーマンが平日1人で過ごすには快適なスペースだ。

建物の外観は生細胞を想起させる。カプセルは個別に25年ごとに交換される想定で設計されており、時代遅れの技術や考え方は刷新され、時代の変化に柔軟に順応する建造物を目指していた。無駄なものが削ぎ落とされ、絶え間なく変化する社会のニーズと共生しながら建物が成長していく姿を設計者は思い描いていたのだろう。

時代を先取りしたサステイナブルなシステムであったにも関わらず、所有権、団体協約の必要性、資金へのアクセスなどの問題から、当初目指していた建築コンセプトは実現できなかった。その結果、建物は次第に衰退し、入居者は部屋を売却、もしくは退出することになった。

歩行者に瓦礫が落下することを防ぐためにネットでカバーされた現在の中銀タワービルは、薄汚れて悲しげに見える。まるでたくさんの生き物の目のように生き生きとしていた丸い窓は、最後の入居者が退出してからは、黒ずんでしまっている。この建物の寿命もあるわずかであることを受け止めなくてはいけない。でもこれですべてが終わるわけではない。

中銀カプセルタワービルが竣工した1年後、黒川は軽井沢のはずれに家族で過ごせる小さな別荘を作った。玄関とリビングルームがあるコアシャフトと呼ばれる建物に中銀カプセルタワービルと同じタイプのカプセルを設置した延床面積103.32㎡のユニークな建物である。4棟あるカプセルでは、黒川は特に茶室がお気に入りだったようだ。

カプセルハウスKと称されたこの建物は黒川の息子である黒川未来夫がオーナーになり、今は宿泊施設となっている。修繕費の一部をクラウドファンディングで補って再生されたこの建物で、宿泊者は自宅でくつろいでいるようにリラックスして過ごせるはずだ。未来夫は、自分の父親がこの建物に込めた思いをすべての宿泊者に共有してほしいと願っている。

中銀カプセルタワービルの保存再生活動も開始しており、カプセルの一部は美術館や博物館に寄贈される予定だ。また、宿泊しなければわからないこのカプセルの魅力を伝えるために「泊まれるカプセル」プロジェクトも全国展開されていく予定だ。

メタボリストの代表的な建築物であるこのビルが取り壊されるのは、建築の歴史上、また東京にとっても悲劇的な出来事だ。しかし、カプセルが再生され、さまざまな場所に寄贈されることになれば、黒川の考える再生、交換、再建がキーワードになっているメタボリストの思想が活かされることになる。今後の展開に期待したいところだ。