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【Papersky Archives】

盆栽

1923年に関東大震災が東京を襲い、山の手に点在していた盆栽園のうち少数の業者が、東京の北にある大宮に集団で移住した。大宮にはきれいな水と空気、そして小さな木が育つのに最高の土があった。いまや盆栽園は10園ほどに減ってしまったが、大宮の盆栽村は現在も世界の盆栽栽培の中心である。

02/22/2022

Story 02 | 千年の眠りから覚めて

「盆栽がやがて私の仕事になり人生になることに、中学生のころに気がついて、大きなプレッシャーを感じていました」。山田香織は高名な盆栽園のひとつである清香園の跡取り娘だ。ひとり娘の山田は幼いころから、150年の歴史を誇る清香園の5代目となり、盆栽名人にならねばならないという運命の重みをひしひしと感じていたという。

ある秋の朝、彼女は盆栽の隣に座り、「長い伝統を受け継ぐ重圧」について語ってくれた。「自分にはそれだけの力があるだろうかって悩みました」。山田は現在、30代前半にして実力を高く評価され、日本でもっとも名の知られた女性盆栽家になっている。彼女は伝統的な盆栽の考えに新しい息吹を吹きこみ、これまでの客層とはまったく異なる日本の若い世代に盆栽の魅力を伝えている。

多くの外国人は日本を象徴する文化として盆栽を見るが、日本人の多くは「おじいちゃんのやること」といったイメージが強い。盆栽は、一生かけて手入れをして、初めて結果が出るものだが、山田は1980年代に父親が提案した新しい流儀「彩花盆栽」を学び、これまでの盆栽に代わるものとして世の中に紹介した。当時、日本は好景気の只中にあり、高価な盆栽が注目を集めていた。だが経済が停滞して約20年が経過した現在、盆栽をよりシンプルに楽しめる彩花盆栽の価値が理解されつつある。「彩花盆栽を通じて、若い女性にもっと盆栽を楽しんでもらいたい。従来の盆栽とスタイルこそ違いますが、本質は継承されています。古典的な盆栽はいまの世の中では少し時代遅れに見えるでしょう。伝統は時代の変化に適応し、現代人の生活様式に合わせて姿を変えていかねばならないと思います。昔からのやりかたをなにがなんでも維持しようというのは、現実的ではないですね」。

伝統的な盆栽の流儀では、ひとつの鉢に一本というルールがあり、複数の植物を一緒に植えてはならない。簡素な美しさ、抑制、忍耐強さを促すためだが、いずれも現代人にとっては理解しにくいコンセプトである。彩花盆栽では、ひとつの鉢に枝ものと草ものを寄せ植えし、小さな庭をつくりあげる。シンプルで楽しみやすいスタイルだ。「それでも、日本の大自然の風景をひとつの鉢のなかで再現するという盆栽の基本的な考えは守られています」。彩花盆栽には熱心なファンがおり、とくに女性の間で人気が高い。

批判的な人々の間では、彩花は盆栽というよりも生け花に近いもので、「真の」盆栽とは呼べないという意見がある。だが、これはあまりにも短絡的な考えだ。盆栽に対する厳格なルールや理念が生まれる前は、「盆景」という手法があり、人々は石や、野生の花や草、木などを集めて箱庭をつくっていたではないか。彩花盆栽は、この盆栽の祖である技法にいちばん近いかもしれない。盆景は山田によって千年の眠りから覚め、現代に蘇ったのである。

< PAPERSKY no.37(2012)より>

Photography & Text | Cameron Allan Mckean Coordination | Lucas B.B.