二俣から阿多古へ、青い川をさかのぼる
長野県の諏訪湖を源流とし、愛知県、静岡県を経て太平洋へ注ぐ、全長213kmの天竜川。江戸時代、東大寺大仏殿の改築のための木材を運搬するため、長野県辰野町から静岡県磐田市までの舟路を開発して以来、流域は木材や物資の流送、渡船の要衝として栄えた。流域にある天竜二俣は、秋葉街道や塩の道といった産業道路が出合う場所にあり、軍事、政治、経済的に重要なポジションを占めていた。たとえば、天竜川と二俣川という天然の城塞に囲まれた二俣城は中世の名城郭といわれ、徳川家康と武田信玄・勝頼親子はこの城を巡って激しい戦いを繰り広げた。街には陣屋が置かれ、最盛期には19軒もの旅籠が軒を連ねたという。
今回の旅のスタートは、昭和ノスタルジックなムードが漂う二俣商店街から。ここに自転車ショップ「HAPPY&SLAPPY」と餃子専門店「餃子スラッピー」を構える伊藤幸祐さんが案内してくれるのは、天竜川に合流する阿多古川をさかのぼるコースだ。伊藤さんが浜松市内でショップを構えていた時代からグラベルバイクに乗って走っていたエリアだといい、ミニベロバイクでも走破できるライト&イージーなグラベルルートをセレクトしてくれた。
「浜松出身の僕にとって、阿多古は“夏休みに遊びにいくエリア”のイメージ。自転車で走りながら、道中、川遊びも楽しめる、そんな“大人の遠足”を満喫できますよ」
二俣の街を出発して天竜川に沿って北上し、そこから阿多古川沿いの道を北西に進む。田んぼの畦道から、阿多古川の清流と、男滝、女滝といった滝を眺めるグラベルへ。川の音と木漏れ日がリンクして、最高に気持ちのいいサイクリングが楽しめる。
はじめに訪ねたのは、阿多古の森のなかでオーダーメイドの家具を手がける「ひかべ家具製作所」の日下部善昭さん。日下部家は、杉林と茶畑に囲まれたこの地で代々、林業と茶農家を営んでいる。“川と森”がキーワードになる阿多古エリアでの、森づくりの意義を教えてもらおう。
「松本で家具づくりを学んだ後に故郷に戻り、今度は森林組合に入って伐採のこと、森づくりのことを勉強しました。この工房や隣接する自宅は、木こりである父が山で伐り出した木材を使い、柱と梁以外は父とふたりで建てました。うちの山の木で家を建てるって、昔は当たり前だったのに、今はとんでもない贅沢になってしまった。けれど、コロナ禍以降、そういった贅沢が正当に評価され始めているように感じます」
自分で山を管理しながら、自分の思うようなプロダクトを生み出すスタイルが今っぽい、とルーカス。山の管理では、たった一本を植林する際にも、50年後、つまり自分の孫の世代のことを考えてプランニングする。「サステナブル」なんて言葉がなかった時代から綿々と行われている持続可能な山づくりのあり方は、今の時代にこそ求められているものではないだろうか。
阿多古で、最高に贅沢な体験を
阿多古の地域活性化を担う森敬之さんは、13代前からここに暮らす生粋の阿多古っ子。6年前、1棟貸しの宿「ヴィラ阿多古」をオープンした。
「目の前にきれいな川がありますから、そこで薪を拾い、焚き火をしたり、魚を焼いたり、ただ夜空を眺めたり、昔からそんな遊びばかりしていました。ここには何もないって思っていたけれど、これができる環境こそ、現代で望みうる最上の贅沢だと気がついた。だからこの宿を始めたんです」
その森さんが「ぜひ味わってほしい」と連れていってくれたのが、阿多古で製茶・販売を行う茶農家の「カネタ太田園」。太田勝則さんは超一級の天竜茶を生み出し、日本はもとより世界にもその名が知られる茶の匠。もともと年貢として天竜茶を納めていた時代があったことからもわかるように、この地方のお茶は高く評価されていた。理由は、茶栽培に適した阿多古の環境にあるという。
「代々続く茶農家の畑は大方こんな傾斜地にあるけれど、風が抜けるから冬でも霜が降りにくく、朝晩の寒暖差のおかげで病害虫が発生しづらい。加えてうちでは、土づくりに手間暇を惜しまんのです。こうやってひと畝ずつ天地返し(土の表層と深層を入れ替える)すると土の隅々まで酸素が送れ、肥料もよく混ざる。手間だからどこもやらなくなったけれど、人がやらんことをやらないと、いいお茶はできないからね」
おすすめの淹れ方で、太田さんのお茶をいただいた。まるで出汁のような旨味と甘みが凝縮したお茶は、これまでのお茶観を一変させる味わい! 「もう2度とペットボトルのお茶は飲めない」、一同がそう思うほど衝撃的な体験だったのである。
その夜は「ヴィラ阿多古」に1泊し、二俣への帰路に着く。旅の締めは、もちろん「餃子スラッピー」で。店の前で「餃子ある? 餃子ない?」の短冊がひらひら揺れている。なかからは、ジュージューとおいしそうな音。肉汁たっぷりの餃子とビールで、乾杯!