こけしの新しいあり方

ふう、なんて心地いい湯上がりだろうか。ここは鳴子温泉、千年の歴史をもつ温泉郷。共同浴場の「滝の湯」を後にし、湯冷ましにと周囲を散策する。

間もなく、大きなこけしと目が合った。頭上の看板を見上げると、「こけしの桜井」と書かれている。
こけし、か……郷土玩具や手仕事が好きでも、この簡素な童の人形のことはどこか敬遠していた。家で飾るにも、空間になじまなそうだから。

こけしの歴史は、江戸時代に木地師がつくっていた玩具に端を発するとされている。鳴子でも子どもの縁起物として親しまれ、大正から昭和にかけては温泉客のお土産として広まった。
先の看板を掲げる「桜井こけし」もまた、江戸時代からつづく木地師の家系であると、6代目の櫻井尚道さんが教えてくれた。父である5代目の昭寛さんとふたりで伝統を受け継ぎ、全国こけし祭りのコンクールでは最高賞の文部科学大臣賞に輝いている。

「こけしが昔から大好きでした。父や祖父の仕事を間近に見たり、子どもながらに自分でつくったり。でも、鳴子温泉の温泉客が減少するにつれて、こけしの需要も低下。両親からは『継がせない』と言われていました(笑)」
学校を卒業後、東京で建築関係の会社に勤めていた尚道さんが家業を継ぐことになったのは約10年前のこと。廃業の足音が聞こえるようになったそのころには、昭寛さんも歓迎してくれたという。

「鳴子温泉に来て、こけしを買って、家に飾る。一連の文化のようなものが、今後さらに衰退していくのは明白でした。こけしの行き場がないというか、時代にフィットしないというか。郷土玩具全般にいえることかもしれませんね」
「こけしの新しい需要をつくらないといけない。そう思ってパリに飛び、こけしを片手にデザインショップやミュージアムショップを訪ね歩きました。『和柄だとあまりに日本的すぎる』、『いまのインテリアになじまない』なんて意見が多かったですね」

「そのフィードバックをもとに、2016年に生み出したのが『Reflections』です。現代のライフスタイルに合わせた、こけしの新しいあり方の提案。海外向けに開発しましたが、いまでは日本からの注文も増えています。地元宮城のJリーグチームであるベガルタ仙台の公認グッズに選ばれ、マリオットグループのウエスティンホテル東京からは Reflections のオリジナルカラーで製作依頼がありました」
「でも、ただ時代に合わせたこけしというわけではありません。根底にあるのは、櫻井家のものづくりの精神。代々で受け継がれてきたこけしをもとに製作しています」
挑戦こそ伝統のこけしづくり

櫻井家のものづくりの精神──尚道さんはそれを、変化を恐れない姿勢にあると語る。
「父がよく言っていました。『挑戦こそが櫻井家の伝統である』と。じつは先代もそれぞれの時代で、挑戦的なこけしを生み出してきたのです。紫色を採用したり、『ビリガンナ』という装飾をしたり、帽子を被せたり」


挑戦的であるからこそ、本質への深い理解が欠かせない。こけしの用材は、木目が少なく木肌の白い、ミズキという種類が8割を占める。尚道さんは植林活動も行い、原木生産から道具の自作、こけしの完成に至るまで、一貫したこけしづくりを模索しているという。

「こけしづくりは本当に原始的です。まず木を乾燥させるだけで8ヶ月〜1年半。それを木地挽きといってこけしの形に削り出し、緻密な描彩を施して……途方もない時間と手間がかかっています」
「機械化や量産を否定する気はなく、時代に合ったつくり方が必要と思っています。でも、代々受け継いできたやり方をあきらめたくはないですし、まだ答えを見つけられてはいません」

「ただ、こけしはそもそも、ふたつとして同じものはありません。同じ型や技術を継承していたとしても、祖父や父、私とでは、同じこけしになりえない。生活してきた環境、育った文化、取り巻く自然。そうした時代性が表れるものだから、変化を恐れずに、どうすれば文化として生きつづけられるかを考えるようにしています」

店舗から工房へと案内してもらった最後、描彩を待っていたふたつのこけし。なじまないという先入観を打ち消すように、その空間へ完璧に溶け込んでいた。
桜井こけし
木地師の家系を先祖にもち、鳴子系こけしとして多くの名工を輩出。5代目の櫻井昭寛、6代目の尚道が継承し、現代的な感性でこけしづくりに取り組む。
https://sakuraikokeshi.jp/