リッキー・ゲイツは、transamericana、Every Single Street in San Francisoco など、これまでユニークなランニング・プロジェクトを企画、実施してきた。次回はどんなプロジェクトを考えているのだろうか? 彼のクリエイティブ・ランニング・プロジェクトは、彼が、時にはゲストを交えながら、思いもよらない場所を走るプロジェクトだ。道中、街のさまざまな姿を捉えて、一つのストーリーとして紡ぎ出す行為は、ランニング・プロジェクトという領域を超えたものだ。
今回は、リッキーのクリエイティブマインドに迫り、彼をランニングに掻き立てるものは何か、そして、日本でランニングすることの楽しさについて探ってみた。
山小屋で起きて、走る、そして、また次の山小屋で一休み 。食べて、寝て、起きてを友達と一緒に繰り返す。こんなパターンが続くのだが、僕はリッキーのプロジェクトに参加したくてしょうがない。どこで申し込めばいいんだろう?
キャンセルされたよ!
残念なことに、2年連続でHut Run Hut Japanはキャンセルされた。僕はリッキー・ゲイツ、アンナ・フロスト、そして、20人のガッツのあるゲストたちのバックパックを背負って飛騨高山(北日本アルプス)をランニングするグループに参加したかった。彼らのスピードは、僕のヤワな足にはあまりに早すぎると思ったけど、すごいランナーが走る光景を一目見たかった。自国のロッキー山脈から、はるかに離れたこの島国の日本になぜ彼は来たのだろう?
サロモンがスポンサーを務めているプロのアスリートのリッキーは、カッパーキャニオンのタラフマラ山脈のレース、モンブランの厳しいレース、湖水地方の山々でのレースなど、世界中のトレイル&マウンテン・ランニング・レースに単に参加しているだけではない。彼はもっともクリエイティブに走る方法、そしてそれを記録する方法を考案し、さらに自分がランニングした場所についてもっと学ぶためのユニークな手段を開発した。
山小屋の寝泊まりを繰り返しながら、ランニングをするリッキーのアドベンチャー・スタイルは、彼の故郷であるコロラドのアスペンでの生活から端を発している。彼は、青年期に非営利団体の 10th Mountain Division Hit Association で働き始めた。この団体は、11〜12キロごとに点在している約13軒の無人の山小屋を管理しており、この距離感がトレイル・ランニングにはうってつけだった。高校生の時から、この団体が管理する山小屋間をランニングすることを夢見ていた彼の夢が、約8年前に現実のものとなった。その後、リッキーは、Hut Run Hut Colorado を定期的に開催するようになり、また、日本での旅でインスピレーションを得てからは、Hut Run Hut Japan もスタートした。
彼にインスピレーションを与えたその旅は、2015年、Solomon TV向けに短編映画「Nihon」を撮影するためにアンナと日本を訪れたときだった。白馬周辺の日本アルプス、紀伊半島での仏僧との出会いなどを収めた際、リッキーの中でHut Run Hutの日本版の構想は始まった。日本の火山と山小屋は彼のイマジネーションを刺激した。日本の山小屋はその広さと、管理人が居住しているという点で、彼のホームタウンのロッキー山脈の無人で狭い山小屋とは大きく異なるものだったが、その魅力は共通のものだった。日本の山小屋もアメリカと同様に、豊かな自然の中に10kmごとに点在している。さらに、日本では、食料とベッドが常備してある点もランナーフレンドリーで、バックパックに必要最低限のものを詰めて、ランニングをするにはうってつけだった。晩秋に日本を最初に訪れた時、一日の終わりに新しい山小屋に着いて、ランニングシューズを脱いで、スリッパに履き替え、日本流のホスピタリティを受けたリッキー、アンナ、そして現地ガイドのシンヤは、日本でHut Run Hut を開催することを真剣に考え始めた。
この旅で日本に惚れ込んだリッキーは、また日本に来れる機会を伺っていた。4年後の2019年10月、ついに彼は世界中の仲間を引き連れて再び日本にやって来た。
「その土地を歩くことは、その場所を知ること」
この時点では、僕はまだリッキーも Hut Run Hutのことも知らなかった。最初に僕がこのイカれた髭面の男を知ったのは、彼がサンフランシスコを走り回る17分の映画を見た時だった。彼は自らのプロジェクトを Every Single Street と名付け、まさにこの映画で彼がしていることはそのことだった。いや、正確に言うとそれだけではない。彼は、すべての通りにマークをつけたり、線を引いたりしていたのだから。
このクリエイティブなプロジェクトは、彼の言葉を借りれば、サンフランシスコと「ガチに付き合う」やり方で構成されたものだ。これはアメリカの都市、そして都市全体の付き合いにおいてもユニークな手法だ。この試みで彼は思ったよりもこの街のことをわかっていないことに気づいた。
この作品では、リッキーが時間を節約し、1日の無駄な時間を削減するために、毎晩ヴァンに寝泊まりしている様子を映し出している。何日か経過すると、リッキーはいくつかのトピックを選んで、一日中そのことを考え続ける。「まるで宝探しみたいな感じさ」と彼は言った。それは、彼にとって土地を理解する一つの方法だったのだ。街の輪郭を掴み、気になった人や道中で発見したものを写真に収める。彼の写真は、これまで 陽の目を見ることがなかったサブカルチャー、社会の変化が垣間見える確証的なもの、人間が葛藤している姿など、様々なシーンを捉えている。しばしば、それは、僕たちが日常生活で目をそらしたり、目にすることを避けている光景だったりする。
このプロジェクトでリッキーは、良くも悪くもこのような光景に焦点を充ており、このプロセスは、彼の目の前で街が徐々にすべてをさらけ出していくようなイメージだ。リッキーは、そんな一瞬、一瞬に向き合っているうちに、街の本当の姿を理解できるようになってくる。毎日、人と街について学ぶことが増えてくるのだ。
リッキーの話好きな性格と、どこでも写真をたくさん撮る習慣のおかげで、彼は自分自身のストーリーを編み、心の中で彼のアメリカ像を描いている。もちろん、彼は街の真のストーリーを知っているわけではないが、写真を集めることで彼の旅はとても具体的で視覚的だ。それを他人に見せて、彼らが関心を抱いた場合、リッキーは、彼らがそこからイマジネーションを働かせて、自分自身のストーリーを着想することを望んでように思える。
僕は、リッキーのランニングプロジェクトについて知れば知るほど、魅了されていった。僕が世界を旅し、理解を深める方法との類似点がたくさんあったからだ。街を彩るさまざま形、パターンを知覚し、写真を撮り、ストーリーを編みながら、僕たちはお互いに交流を始めた。
彼の著作、 Cross Country では、サウスカロライナ州のチャールストンからサンフランシスコまでの5,954kmをランニングとスタンドアップパドルボードで移動した旅の記録だが、ここでも同じように街のさまざまな表情が収められている。これは、映画 Transamericana と同じスタイルのアドベンチャーで、彼のユニークなクリエイティブ・アプローチとストーリーテリングが存分に発揮されている。僕は、ランニングと旅はクリエイティブな表現手段であり、単に街や国をより理解できるだけではなくて、自分自身を知ることができる行為であることを彼から学んだ。
僕はどうして彼があえて日本で走りたいと思ったのか、その理由を知りたかった。僕はリッキーにメールすると、彼は翌週Zoomでのチャットを快諾してくれた。太陽が地平線から登り、僕の傍らでは、猫が太陽の光を浴びながらグダグダと眠っている。心優しく、とてもクリエイティブなリッキーのことをもっと知りたいし、なぜ日本にそこまで引かれているかも訊きたかった。
僕たちは1時間以上にわたって、ランニング、クリエイティビティ、そして、彼のプロジェクトのモチベーションについて語り合った。彼は世界中で集めた砂のコレクションを見せてくれた。そして、愛犬のMaybeも紹介してもらった。
日本の話題になると、彼の顔はパッと明るくなった。彼は、日本の山での素晴らしい体験、そして、山小屋のことを克明に覚えていた。特に、白馬山荘という収容人数800名の山小屋は「信じられないくらいよかった」らしい。だが、彼の心を最も惹きつけ、毎年日本に戻りたいと思わせる理由は、日本のカルチャー、トレイルランニングの途中で出会った親切で礼儀正しく、お互いを尊重する気持ちに満ち溢れた日本人の感性だ。「本当に特別だね」という彼の言葉に思わず僕も同意した。
「いとも官能的な食体験」
彼が日本で愛してやまないものがもう一つある。それは日本食だ!日本で食べたものの中で、一番驚いた体験の一つを彼は語ってくれた。小皿や小鉢に盛り付けられた旬の食材の食事に美しい彩りを添えていることに彼はとても感動したと言う。彼は懐石料理を「いとも官能的な食体験」と賛辞を述べている。食事のためだけでも、日本はもう一度訪れる価値がある。カルチャーがあり、スポーツも思う存分楽しめて、食事も美味しい場所は日本以外に考えられないだろう。
僕は彼の旅の参加者についても尋ねてみた。日本人のランナーも参加しているのだろうか?
残念ながら、まだ誰もいないそうだが、もし実現したら嬉しいと思っているとのこと。今は、世界中からトレイルランナーを集って日本を訪れているので、今度は日本のトレイルランナーをアメリカに連れていきたいと思っている。彼らをキツイ Bus Run Bus ツアーに招待して、彼のお気に入りの国立公園や街を案内したいのだ。これは日米のランナーたちにとって、愉快なプログラムになるだろう。リッキーによれば、Bus Run Busは、Hut Run Hutのようなプログラムで、日中はランニングをして、夜間は次の国立公園までバスで移動しながら、車中で就寝、そして最終目的地はラスヴェガス!かなりイカれた試みだ。
僕はアメリカの国立公園やラスヴェガスには行ったことがないので、すぐにでも参加したくなった。リッキーに次のクリエイティブ・プロジェクトについて訊いてみた。例えば、今、計画中の日本のプロジェクトはあるのだろうか?
リッキーは、現在、計画しているプロジェクトについて教えてくれた。アメリカを縦断するランニングプロジェクトを実施してから、およそ5年が経過した今、次にこのような試みをどの国でするのかをずっと考えていたそうだ。彼の頭に浮かんだのは、イギリスと日本で、どちらも島国でカルチャーがユニークで、地形が面白いと言うことが共通項だった。
「一人きりで実行することが、クリエイティブなプロセスでとても大事」
1977年に故アラン・ブースが東北から九州への旅について綴った著作、「佐多岬への道」にインスパイアされたリッキーは、日本をランニングで横断したいと考えている。彼は、最も中身が濃く、クリエイティブなアドベンチャーは、たった一人で実行した時だったと話してくれた。もちろん、怖いこともあるが、2人以上のグループで行動すると、現地のカルチャーから離れて、ただその地を通り過ぎてしまうだけの可能性があるが、一人で行動すると無防備だが、いろいろなことに遭遇するチャンスはある。一人だと他者が話しかけやすいし、いろいろな場所に連れて行ってくれて、あった言う間に現地の言語や習慣を覚えてしまうことができる。短時間で現地のカルチャーに慣れて、妥協のないクリエイティブなプロセスに注力できる。本当のアドベンチャーは、2〜3週間経たないと始まらないと彼は言う。心と身体を現地にフィットさせるにはこれくらいの時間が必要なのだと。
北海道北端の宗谷岬から、九州の最南端の佐多岬まで、おそらくリッキーならば8〜9週間で走りきれるだろう。僕はこのランニングコースで、リッキーに出会った人のリアクションを想像してニヤリとしてしまった。そして、彼が街のどんな姿、場所に注目するのか、思いを巡らせたのだった。
「成功とは、幸せに向かうコンスタントな旅」
そろそろ話を切り上げなくてはならない。僕は自分の質問をすべて問いかけるには時間がとても足りないことに気づいた。そこで、彼と話を終える前に、彼の成功のイメージを訊いてみた。
数年間にわたり、数々のアドベンチャーを成し遂げてきて、リッキーは自分の人生の目的について考えていた。でも、はっきりとした答えは見つからなかった。ともかく、彼は自分の人生を楽しんでいるし、自分の居場所を見つけている。自分の人生の目的を問い続けていくだろうが、ともかく、前に進むことが大切なことだと思っている。長距離を走ることも、人生もすべて、前向きに走り続けることだ。「僕の愛犬、Maybeは目的を持っていなけどね」とリッキー。
今、彼の成功の定義は幸せを目指して行動することだ。その他は、あまり意味のないことだと考えている。何年もわずかな資金でランニングを続け、いろいろなカルチャーや異なるバックグラウンドの人たちと出会ったことで、彼はお金がすべてではないことを学んだ。成功は、幸せになるためのコンスタントな旅だ。自分自身を知るための旅なのだ。だから、今日も走り、行動し、学び続けるのだ。
ジェイムズ・ギブソン James Gibson
人間の行動がこれまで以上に相互に関連している現代において、ジェームズは旅、写真、映像、クリエイティブ・ライティングを通して、自然再生デザインの観点から、「’design your life’ (人生をデザインする)」「’do-nothing design’ (何もしないデザイン)」「’well-being’ (幸福)」というテーマを探求している。その際、常に問いかけているのだ。ミクロからマクロに至るまで、健康とはどのようなものか知っているか?と。
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