Playful Ant 03 – 杉浦太一(Inspire High, Inc. / CINRA, Inc. CEO)
2020年1月、10代向けのオンライン教育サービス「Inspire High」が産声をあげた。90分間のライブ配信や対話を通じて彼らが学ぶのは、著名な詩人やアーティスト、マサイ族の長老や映画監督など、様々な領域で活動する「普段なかなか会えない人生の先輩」が共有する「独自の価値観」や日本中から参加する同世代の「仲間」が語りあう「熱い想い」だ。
これまでにない、このようなオンライン教育サービスをなぜ立ち上げようと思い立ったのか。Inspire Highを企画・運営する Inspire High, Inc.および CINRA, Inc.のCEO杉浦太一さんに話を聞いた。
より良い偶然を増やすための選択肢を創りたい
杉浦さん:Inspire Highを立ち上げようと思ったきっかけは、僕自身が10代の頃、ある先生との出会いによって、人生の道が変わったことにあります。高校の頃は音楽の道に進もうと思っていたのですが、教育実習に来た若い先生の「大学で時間をかけて、自分のやりたいことを考えてみるという道もあるんじゃない?」という言葉がきっかけで、思いがけず大学に進むことになりました。その一言で、今があります。
大学在学中に没頭したのは音楽ではなく、クリエイティブな活動。仲間と共にWebマガジンの運営などを行うチームCINRAを立ち上げ、後に法人化し、代表取締役としてその運営に没頭した。それから10数年経った今、日本を代表するカルチャーメディア「CINRA.NET」の運営を行うなど、CINRAはクリエイティブ・カンパニーとして知る人ぞ知る存在になっている。
さりげない出会いをきっかけに、人生は思いがけず変わっていく。自分自身がそんな風に今の道にたどり着いたからこそ、杉浦さんの心には「人生は偶然の賜物」「世界はロジックだけでは片付けられない」という思いが、いつも強く存在しているという。
杉浦さん:人生にはいろんな道があり、“たまたま” そのうちの一つを選んだからこそ、今があると思います。その意味で、若い人たちにとって「選択肢が足りないこと」はよくない。新しい人との出会いが、その選択肢の幅を広げていくと思います。
自分で自分の人生を選び歩んでいる納得感のある生き方を多くの人ができるよう、特にどんな道を選ぶかによってその後に進む道の振れ幅が大きいであろう10代のタイミングに、「少しでも刺激のある人との出会い」を提供できたらと思ったのが、Inspire Highを立ち上げようと思ったきっかけです。
一人一人が自分の生き方をもつことが、真の多様性
一層不確実で曖昧なこれからの世界。安定した仕事に就いたり、有名な学校に行くための教育サービスは存在するが、Inspire Highはこれらとは一線を画している。「Expand Your Horizons (自分の世界を拡げよう)」というメッセージのもと、同サービスが子供たちに投げかけているのは「決まった答えが存在しない問い」だ。
杉浦さん:この調査結果が面白いんです。かつては学歴や年収など、「客観的に評価できる要因」によって幸せは決められていたかもしれません。しかしこれからの時代、「自分にはこの生き方が良いと自分自身で主観的に決められる状態にあること」こそが、幸せと言えるのではないか。21世紀的な幸福観ってそういうものなんだろうなと、調査をみて思いました。
いくら他者評価ばかりを気にして成功体験を積み続けようとしても、実社会はそんなに甘くない。これからを生きる人たちにはむしろ、自分の好奇心に従いながら、「知らないものを知ることは楽しいんだ」ということを実感していってほしい。時には失敗することもあるかもしれませんが、自己を肯定しながら、一人一人が自分ならではの生き方を見つけてほしい。それを実現できる社会こそが、本当の多様性をもつ社会だと信じています。
ロジカルとは限らない、能動的な想いが行動につながる
毎回異なる経験や世界観を持つ「ガイド」と呼ばれる、様々な職業のプロたち。そのプロたちが投げかける質問に対して、10代の子供たちが自分なりの答えを考え、みんなで共有しあっていく。ライブ感とセレンディピティ満載のやりとりこそが Inspire Highの特長だ。いずれの回も優劣つけ難い素晴らしい内容だが、あえて杉浦さんにとって印象的だったシーンは何か尋ねてみた。
杉浦さん:台湾のデジタル担当大臣、オードリー・タンさんの回で目にしたシーンが印象的でした。「社会はどう変えられるのか」というテーマで、政治やテクノロジーなどに触れながら語ってくれたのに対し、10代も刺激を受け、活発に質問をしました。それに対して、タンさんもまた意見を返してくれる。
そのやりとりを弊社のスタッフがバックヤードで英語を日本語に同時通訳して画面表示していたのですが、日本語訳が表示されるまでに、どうしても時間差ができてしまうのです。そうしているうちに、参加している10代の子たちから「ちくしょう、英語がわかんない!」とか「もっと勉強したい!」というコメントが次々と聞かれたのです。
杉浦さんが Inspireという言葉に込めている想い。それは受け手として刺激を受けること(“Inspired by”)だけではなく、そこから主体として刺激を何かの行動に変えていくこと(“Inspired to”)だという。
杉浦さん:コメントをした参加者たちは、タンさんの話に感銘を受けながらも、今の自分の力では完全には理解できない。そのような状態を認識したからこそ、「このすごい世界をもっと知りたい!この考えをもっと勉強したい!」と心から本気で感じたのでしょう。そのように、自分の中から動機を感じることさえできれば、あとはもうひとりで行動を起こせるようになるんだと教えてもらいました。
そんな風に、子供たちが学びの楽しさに目覚めた瞬間のことを、とても嬉しそうに語る杉浦さんだが、自身が子供の頃はどんな感じだったのだろう。柔らかい雰囲気で、いつも落ち着いた佇まいの杉浦さん。子供時代は何となく想像しにくい。
杉浦さん:僕自身、子供の頃は周りの大人に肯定されて育った記憶があります。ところが、経営者だった父は破天荒な人で、学校のテストで100点をとってもほめてくれない。むしろ「そんなに勉強ばかりしていると、ろくな人間にならないよ」とよく怒られていました。だから逆に「本当に勉強しなくて大丈夫か?」と危機感を抱き、自発的に勉強していました(笑)
杉浦さん:父はパワーとカリスマ性に溢れる一方で、全てを自分で決め、ゆえに孤独だった気がします。だから僕は父を尊敬しつつもある意味では反面教師としていました。「答えは自分の“外”にあるはずだ」と肝に銘じながら、他人の意見を受け入れることを強く意識しているように思います。
自分の子供に対しても、僕が何かを薦めることはあまりなく、美術館に一緒に行ったり、旅行に連れ出したり。いろいろな選択肢を見せて、気になるものがあれば自分でそれを深ぼっていってもらえたらと思っています。
うろうろアリとして、見えないものをつなげていく
じきに不惑の年を迎える杉浦さん。これからの時代を生きる一個人として、今、何を考えているのだろうか?
杉浦さん:「不惑」とは言いますが、僕はむしろ「死ぬまで惑わされていたい」と思っていますね(笑) いつも軸は自分の内部に持っていて、「飛び込めるかな」とか「やってみたいな」という感覚を大事にしていたいと思っています。これからもっと力を入れていきたいのは、「社会的な課題に向き合うこと」。自分自身が多様性のど真ん中に飛び込んでいくことで、社会の中で異なる立場にいる人たちのことをより深く理解したい。今の自分には感じられていない視点をもちたいのです。
そんな風にいろいろな視点を持ち合わせることで、一見全く異なるものだけど、本当は結びつくはずだった何かと何かを結びつけるような“コネクター”でありたいと思っています。そういう意味では、大きすぎる志ですが、これからもうろうろしながら世界平和に貢献したいですね。
インタビュー後の独り言
何年か前のランチミーティングで初めてお会いした時の杉浦さんの印象は、拍子抜けするくらい「爽やかで自然体な人」というものだった。クリエイティブな実績を重ね続ける会社の若き経営者は、ガードも堅いのではないかと考えていた僕だったが、その勝手なイメージは、いとも簡単に裏切られた。
「近い将来、若い世代のための新しい教育を考えていきたいんです」と静かに熱く語る杉浦さんに、「こういう人がいろいろな人を仲間やファンにしながら、新しい時代の価値を創り上げていくのだろうな」と直感的に感じたのを覚えている。そしてその言葉通り、杉浦さんは Inspire Highという、これまでにないオンライン教育サービスを実現した。それは、成長性を志向して市場機会を探したからではなく、杉浦さん自身の原体験に基づいて、若い世代のための道づくりに貢献したいと心から願ったからだ。うろうろアリはそんな風に、「会社」だけではなく「社会」をフィールドに新しい価値を創っていく。
これから40代の円熟期を迎えていく中で、杉浦さんの構想は形を変え続けていくだろう。自分の想いに忠実に、リスクを恐れず、惑わずに夢中にチャレンジする杉浦さんがどのような価値観を社会にインストールさせていくのか楽しみだ。そして、その価値観に触れ、より自分らしい人生の選択をすることができた次世代の担い手たちが、自分自身の人生、そして周りにいる人の人生をより良くすることで、「地に足のついた世界平和」が一つ、また一つと実現されていくに違いない。
杉浦さんを見ていると、クールで淡々とした青い炎が連想される。皆さんは知っているだろうか、青い炎が一番熱いことを。
Stay Playful.
『The Playful Ants -「うろうろアリ」が世界を変える』
蟻の世界を覗いてみよう。まじめに隊列を組んで一心不乱に餌を運ぶ「働き蟻」の他に、一見遊んでいるように「うろうろ」している蟻がいることに気づくはずだ。この「うろうろ蟻」、本能の赴くまま、ただ楽しげに歩き回っているだけではない。思いがけない餌場にたどり着き、巣に新しい食い扶持をもたらす。自分たちに襲いかかる脅威をいち早く察知する。
人間社会も同様だ。変化のスピードや複雑性が増す現代。何かを人に命令されて一心に動く「働きアリ」ではなく、自分ならではの目的意識や意義に導かれながら、自分なりの生き方や働き方を模索する「うろうろアリ」こそが、新しい価値を社会にもたらすのではないか。
一人ひとりの人間はアリのようにちっぽけな存在だ。けれど、そのアリが志を持ち、楽しみながら歩いていけば、それは新しい価値を見出し創り出すことにつながっていく。世界を変えることにもつながるだろう。僕は、アメリカのコーネル大学経営大学院の職員として、また、東京に拠点をもつ小さなコンサルティング&コーチングファームの代表として、数多くのグローバル企業や日本企業と実践的なイノベーションプロジェクトをリードしてきた。その経験から、確かにそう感じている。
「うろうろアリ」は、当て所なくただ彷徨うアリではない。人生を心から楽しむ遊び心を持ったアリだ。だから、僕はこれを「Playful Ants」と訳した。この世界に、「働きアリ」ではなく、もっと「うろうろアリ」を増やしたい。この思いを胸に、この連載では、僕が魅力を感じる様々なタイプの「うろうろアリ」たちの働き方や生き方を紹介していきたい。
さあ、Let’s be the Playful Ants!
唐川靖弘 (うろうろアリ インキュベーター)
「うろうろアリを会社と社会で育成する」ことを目的に組織イノベーションのコンサルティング・コーチングを行うEdgeBridge社の代表として10か国以上で多国籍企業との実践プロジェクトをデザイン・リード。その他、企業の戦略顧問や大学院の客員講師を務める。