湿潤な空気を描く画家
秋晴れの透明な空の下、幾重にも重なる山並みの向こうにひと目でそれと分かる槍ヶ岳の鋭い岩峰が小さく見えた。美しい三角錐は笠ヶ岳、その手前に大きく横たわっているのは薬師岳だろう。いくらか傾斜した高原が広がり、高原の真ん中にポツンと一軒の山小屋が見える。暖かい日差しを浴びながら、ザックを降ろして仰向けになる。寝転がって目を閉じると、乾いた風が、甘く、芳しい秋草の匂いを運んできた。
冬の間、日本海を渡る湿った風は遮るもののないまま屏風のように立ちはだかる立山連峰にぶつかり、山々に大量の雪を降らせる。黒部が豪雪地帯なのはそのためで、6月下旬になっても五色ヶ原は一面の雪に覆われている。夏になり、豊富な雪解け水が湿地をつくる頃になると、高原は色とりどりの高山植物が咲き乱れる別天地となる。そんな五色ヶ原について、吉田博は次のように書き記している。
「日本アルプスには湖水が少ないように、高原もまた極めて少ない。大町と立山との間の立山寄りの方にある五色ヶ原など、挙げるとなれば第一に挙げるべき高原であろうけれども、それとても原の面はあまり平らだとはいえない。土地の高さは其処此処に黒い這松の生えている程度の高山帯でいずれかといえば薬師ヶ岳に寄った方の部分の方が風色は面白かった。其処に残雪が今に消えずに横たわっているかと思えば、此方には高山植物の小さい花が咲いているという調子で、見るからに高山の内部の高原らしいものであった」
吉田博の「五色原」には、この記述のように残雪の横たわる五色ヶ原が描かれている。しかしこの作品をもっとも印象付けているのは、淡い色彩で描かれた夕日に染まる湧き立つ雲であろう。
風が頬を撫でる感覚で目を覚ました。強い日差しを反射させた雲海が眩しいほどに輝き、遥か遠くに白山が頭を出している。ゆるやかな山肌につけられた道を辿り、草原をトラバースしてから急斜面をザラ峠へと下って行く。午後3時を過ぎると少しずつ風が冷たくなってきた。黄金色の光に包まれて最後の坂を登り切ると広大な草原に出た。そこが五色ヶ原だった。
すでに花の盛りは終わり、冬支度をするかのように草は褐色に姿を変えている。花を落として頭に綿をつけたチングルマが西日を浴びて、まるで蓄えた光を放つかのように輝いている。穏やかな風が吹く草原に一本の木道が延び、その先に赤い屋根の五色ヶ原山荘が見えた。
山小屋の主人の話では、「五色原」の中央右に描かれている山は赤牛岳だということだった。晴れていればその左に槍ヶ岳の穂先が見えるそうだが、博は槍ヶ岳を描くのではなく、幻のように湧き立つ雲を描くことによって刻々と変化しては消えてゆく高山の美しさを描いた。
「水を描かせたら吉田博の右に出るものはいない」と評されるほどに、水や湿潤な空気、微妙な雲の動きや色彩までをも驚異的な描写力によって表現してみせた吉田博は、次のような興味深い記述を残している。
「高山美と気象の変化とは大いに関係が深い。…経験が積んでくると、山に登って皮膚に触れる空気の感覚で、来るべき天候の具合を感知することができる。…その意味では山の空の色彩からでも天候を予知することができる。天気のよい時にはその色彩が爽快なほど鮮明である。天気の悪くなる前には、たとえ遠くの山も見え別段空が曇っているというわけではなくとも、何とはなしに空の色彩が濁っている。…同じ霧であっても、これは天気の悪くなる霧か、それとも快晴になる霧かということは、やっぱり自ずと感覚に訴えてくる。快晴になる時の霧は、たとえ一間先が見えなくとも、何処からともなくぼうッと滲むような明るさを漂わせているものである」
吉田博は山に篭っては描くべき「高山の美」を求めて歩き回り、山々が見せる一瞬の美しさを何時間も何日も待ち続けた。山々を眺めながら、彼がもっとも注意して研究したのが光線や雲の変化などであったという。「高山では晴天に恵まれるに越したことはないが、風雨の前後の豪快壮麗な光景にもまた無限の魅力が潜められている」と語った彼は、自らの皮膚感覚さえ交えながら天候の変化――色彩や光の具合などの微妙な変化を感得する術を磨き、はかなくも豪快壮麗な山々の美しさを表現しようとしたのである。
翌日も抜けるような青空が広がっていた。雲ひとつないコバルトブルーの空の下に、朝日に白く輝く枯れ草やオリーブ色になったハイマツの絨毯がゆるやかに続いている。
吉田博が「五色原」を描いた場所を探そうと、朝食を済ませてからあたりを歩き回った。赤牛岳の形や五色ヶ原の起伏から判断すると、鷲岳へと続く斜面の中ほどがその場所のようだった。木道はなく、今は歩くことが禁止されている場所である。数十年前までの登山者は草原のあちらこちらで昼寝をしていたといい、博もまた「呑気に草原に昼寝して山を眺めたり、絵を描いたり楽にやってゆける」場所として五色ヶ原を挙げている。昼下がりの穏やかな山の時間をここで過ごしたのだろう。
木道を歩き、五色ヶ原を見下ろせる場所まで登ってみる。稜線に立つと西から風が吹きつけてきた。風渡る草原の向こうに、朝日を浴びて淡い影をつくった立山の山々が大きく連なっていた。
<PAPERSKY no.29(2009)より>
route information
五色ヶ原は旧立山火山が噴出したときに形成された高原で、夏には一面に高山植物が咲き乱れる別天地となる。立山から五色ヶ原へのルートは一部ハシゴがあるものの全体的になだらかで歩きやすい。ただし雪が多いので残雪期の歩行は注意が必要。場合によってはアイゼンを携行したほうが良い。今回は平ノ小屋を経て黒部ダムへ下るルートを歩いた。平ノ小屋から黒部ダムまでは、黒部湖へ落ち込む斜面に付けられた道を歩く。アップダウンは少ないが、長く(コースタイムは約3時間半)、シーズン前や大雨の後などは部分的に崩壊している可能性もあるので事前に確認したほうが良い。黒部湖へ下るのではなく五色ヶ原から薬師岳へ縦走するルートもおすすめ。充実した山旅をたのしむことができるだろう。
成瀬洋平
1982年、岐阜県生まれ。都留文科大学大学院修了。広告代理店勤務の後、フリーのライター、イラストレーターとして活動中。